こんにちは。前回のコラムでギルガメシュについて取り上げたのですが、少々書き残したことがあったので改めて書きたいと思います。不老不死や男の友情以外にも、現代に引き付けられるお話があるかも、というお話です。
エンキドゥが人間らしくなる話
エンキドゥは女神が造った野獣ですが、ギルガメシュが送り込んだ娼婦によって人間らしさを手に入れ、それと同時に、森の獣たちが彼から去っていく、というエピソードがあります。人と自然・動物は別の生活圏で生きており相入れないものだという共通認識があるからこそ、このエピソードがすんなりと受け入れらるのですよね。メソポタミアにおいては、5000年も前から人間社会と自然・野生は隔絶していたのでしょうか。隔絶までいかなくても、大きな隔たりがあることは間違いなさそうです。
『その年、地球が変わった』
このこともまた、現代においても変わらない事柄と思ってしまいます。アップルtv+で配信されている『その年、地球が変わった』という番組があります。コロナ禍のロックダウンで人が消えた街はどうなっていくのかを克明に記録した番組です。同番組によると、ロサンゼルスの大気は過去40年で最高の状態になり、インドではロックダウンから12日後、30年間スモッグで隠れていた200キロ以上先のヒマラヤが見えたのだそうです。また、観光客の減ったフロリダでは絶滅危惧種のウミガメが安全に産卵し、ここ30年でペンギンの数が約70%減少した南アフリカでは、ケープタウンでケープペンギンが子育てに大成功してるそうです。その他にも、ロックダウンで世界各地の自然が息を吹き返す様子が映し出されています。
私はこれを、「ロックダウンは人間にとっては我慢の時期だけれど、自然にとっては良い面もあることを伝えている番組」と単純に捉えることができませんでした。
自然破壊と「共存」
自然破壊をしていると自覚して、人間は自然や動物と「共存」していく、と言います。けれども、それは大概自然と動物に大きな負担を強いた上での「共存」かも知れません。自然保護区にして動物を保護する一方でそこに観光客を呼び込むようなやり方は、不平等条約でしょう。自然を保護する・野生生物と共存するためには、人間がいなくなることが最も手っ取り早いのだ、と突きつけられた気がしました。
番組内では、インドの一部地域でインド象と文字通り共存する人々が描かれています。制作陣の意図としても、今よりももっと良い方法があると暗に示唆しているのでしょうね。
エンキドゥから、だいぶ遠いところに来てしまいましたが、まるっとまとめると、太古の昔から自然と人間って距離感が難しいねってお話です。
ではまた〜(*´꒳`*)