言葉を選ぶ技術

執筆者 | 21/05/22 (土) | コラム

“言葉遣い”とは別の枠にある“言葉選び”について、あなたは普段どれくらい意識しているでしょうか。

私は言葉選びに対して、少し過敏な方だと思います。
自分の中にあるものを言語化することに四苦八苦して来たことに起因します。
人と少し視点や感覚が異なるらしい時があり、理解され難くて、どのように言語化すれば伝わるのか、と。そして自分の想定以上に強めの印象を与える時も多く、自分の言葉は強いらしいことをよく感じます。

子供の頃、それは自分がどこかおかしいからなのか・凄いからなのか・何故なのか、分かりませんでした。上手く言葉に出来ないからでした。(今ではただの個性だと結論付けています。)それから後に、どうしてこんなにも誤解されることが多いのか・理解されない感覚が常にあるのか、と見えない障壁に頭を抱え続け、「コミュニケーション力さえ上げれば解決するのかも知れない」と考え、コミュ力や言葉についての様々な本を読んだり、コミュ力が高い人を参考にして実践して来ました。でもそれで得られたものも多いけど、本質的ではありませんでした。
どうやらコミュ力や社交性とは別の枠組みとして“言葉の選び方”という技術が存在するらしいと確信を持ちました。

言葉選びは、自分を理解して貰うためにも、他者を理解するためにも、自分自身を理解するためにも、他者を傷つけないためにも、自分自身を傷つけないためにも、とても重要な工程です。

ほんの少ししか言葉にしていないのに、想定より遥かに多くを汲み取ってくれる人もいれば、「これくらいまで伝えれば伝わるでしょう」と踏んでも全く本質から離れた受け取り方をする人もいる。それはその時の相手の心の状態や、自分と相手の距離感や理解度にも起因するので、どちらがどう良い・悪いということでもありません。

とは言え、「その言葉、今そのタイミングで使うのが適切?」「その言葉が他者にどんな印象を与えるか想定済み?」と聞きたくなるような雑な言葉選びをする人は、やはり目につきます。イライラするというよりも敏感肌のようにピリピリとします。
もちろん私自身も毎日のように言葉選びで反省しますし、距離感を見誤って選び方を怠る時もあれば、選んでも伝わらない時もあれば、そもそもどうしたって相手との相性もあります。人間関係の摩擦を完全に無くすことは出来ません。だからこそ、“技術”として捉えるのが大事なのだと思っています。

それはいわば、刃物と同様です。使い方をよく知らないまま食材を切るのは、刃物の本来の機能性を活かしきれずに勿体無いし、何より危ないですよね。逆に毎日丁寧に研ぎ続けて来た包丁と、積み上げて来た技術で食材を捌けば、それは食材の良さを引き出すことにも繋がるし自分の怪我を防ぐことにも繋がります。

逆に、言葉を選んでいる意識が無く自然と溢れ出た言葉でも素敵だったり面白かったりすることもあります。それは言葉が持つ本来の目的「分かり合いたい・コミュニケーションをとりたい」という気持ち由来であったり、或いはあくまで高い技術の上で感覚的に選ばれた言葉なのかいずれかであると思います。

そんなのは当たり前と思うかも知れないけれど、実際のところ、「分かり合いたい」というよりも「自分のことを理解して欲しい(自分はこんなに傷ついた!)・認めて欲しい(自分はこんなに凄いんだぞ!)」というような気持ちの上で発せられる言葉は決して少なくありません。そして、選び方なんて意識しなくても言葉は使えてしまうから、技術として捕らえずに言葉という刃物を粗雑に使っている時も、また然り。

この「分かり合いたい」気持ち由来と、言葉選びは技術であると捉えることが、今回言いたいことの本質です。

因みに、関連性が高いテーマのnoteのリンクも貼っておきます。noteではこういうことを書いています。

ディスりとイジりの境界線
発信力を欲しがるより前に
「同調」と「共感」の違い

さて、話を戻しまして、
“言葉を選ぶ”とはどういう技術なのかと向き合ってきた先で、中田さんの凄さを常々感じます。言葉選びに対し圧倒的に高い技術を持ちながら尚も磨き続けている中田さんと出会い、私は多分、どこか救われたような面もあるのだと思います。

感覚的にお喋りされている時も面白いのですが、とても熱量を込めてエネルギーを割いて言葉を選び抜いていることが伝わって来る時は特に、その内容を理解や同意できるかどうかよりも先に、言葉選びに対する熱量や鬼気迫る真剣さに私は感動と感謝を抱きます。言葉選びに苦悩して来たのは決して自分だけではないし、自分より遥かに高い技術や膨大な時間とエネルギーを注いで来られた人がいる、と。
そしてそれは、PROGRESSが、そうさせた側面もあります。
「こういう言い方をするとこういう受け取り方をする人がいる」、「この言葉を使うと、こういう返しをする人がいる」と、良くも悪くも、コミュニティに置ける経験の積み重ねから。

私達は常に中田さんの言葉選びの上で築かれた治安の中に居ます。そのことを忘れたように、自分の主張や承認のためだけ・自分の感情や知識や経験値を出したいだけ、の言葉たちを目にすることもよくあります。
でも、その幼く危うく発せられた言葉であれ、丁寧に選んで紡がれた言葉であれ、PROGRESSのみんなは、見ています。
そしてその中には、私と同様に言葉選びに苦戦して来た敏感肌の人も、恐らくいっぱいいると思います。

「思ったことを言っちゃうタイプだから」というのは「選ぶ技術が無いから包丁を振り回すよ」というのと同義です。独りよがりの言葉は一人で日記に書けば良いし、上から目線の言葉はそれをお互いに笑って言い合えるような関係性の上でエンタメ的に使うのが良いし、攻撃的な言葉の前にはアンガーマネジメントが必要なのだと思います。そうして自分の感情と、感性と、個性と、知性と、丁寧に向き合って、言葉を選ぶ技術を磨くことを習慣にするのが良いと思うのです。批判より提案を。心配より応援を。自戒も含め。

「分かり合うために言葉を選ぶ」という工程を踏む人が、一人でも増えたら嬉しいです。

執筆者 | 21/05/22 (土) | コラム


842 ビュー
40いいね!
読み込み中...