フラーシアのおけいはんです。
今朝のHRを見て
PROGRESSは風通しの良い場所だなぁと思い
仕事中にふと書きたくなりました。
━━━━━━━
受け入れる勇気
━━━━━━━
あっちゃんの「うん。やってみよう。」に、
「じゃあ○○はどうなんですか?」
「○○についてはいけますか?」
という声もチラホラあったけど。
いやいや。
だから禁止を《やってみる》んだよ。
「やってみたことが失敗だったら
失敗だったというデータが取れたという成功。
失敗するというデータが取れているのに
それをやっちゃう事はやる前から失敗。」
キンコン西野さんが言ってた。
やってみる人に対して、
「でも」とか「どうせ」とか言っちゃう人は
言葉より根拠とデータを示せばいい。
ただ、PROGRESS関連のDMを禁止した
データは取れた事がないわけだから
「やってみる」の一択なんだ。
勇気を持って受け入れていこうじゃないか。
咽び泣かないで。
━━━
格付け
━━━
「○○様」についてもずっと疑問だった。
少なくとも、見ていて威厳を感じる人が
往々にして付けられて呼ばれている印象。
人は、自分を基準として他人のグレードを決めたがる。
各々に格付けチェックをしている。
味が分かって、音感があれば一流で、
間違えば無価値という正月番組よろしく。
そういった感じで、人は自分より
上だと思えば崇めるし
下だと思えばそこそこナメてかかる。
そんなもんだなぁって思ってる。
下手ダンス部という素晴らしい部があって
(下手ダンス部:https://www.facebook.com/groups/345472500174775 )
僕も所属しているんだけど
発足したときは「部長」でした。
部長と呼ばれる事には初っ端から困惑していたけど、
僕は部のキッカケを作った人間だし
それもそうかと受け入れた。
自分が向いていない人間であることをよく知っていて
ずっと違和感が拭えなかったけど
そう呼んでいるだけという感じだったので
次第に慣れた。
そんな中、いつかの自分のTV配信で
リーダーについて話したことがあり
「嵐の大野君だってリーダーなんだから」
というような事を話したことがある。
その時「大野くんと比べたw」というような
コメントがあったのを覚えている。
嵐の大野くんと僕を並べたらいけない人という
揺るがない格付けが既にできあがっている。
立ち位置を並べたわけでも、並びたいわけでもない。
リーダーっぽさをザックリと言ってみただけだったが。
ただ、意識して格を付けるならば仰るとおりなので
そこに咽び泣いてはいないけど、
そういう見方を人はするんだなぁと
本当に漠然と感じた。
人の数だけ僕の格がある。
リスペクトしてくれる人もいれば、鼻で笑う人も、
そりゃ、いる。
━━━━━━━━━━━
YOSHIKIさんとハラさん
━━━━━━━━━━━
で、何が言いたいん?という話で。。。
あっちゃんは大リスペクトのYOSHIKIさんでも
「YOSHIKIさん」だし、
大咽び泣キストの僕のことも
「ハラさん」と呼ぶ。
(※何度も言うが、僕はもういちいち大っぴらに咽び泣くことは一切やっておまへんで!)
あっちゃんは、
そういう部分に区別を付けないというアイデンティティが
確立されているということ。
そして、そこを僕はリスペクトしていると言いたいんだ。
モノゴトに対する優劣はハッキリと示しはするが、
だからといって人を表立って格付けしないところが
かっちょええなぁと思ったんだな。
いやね。とは言えね。
YOSHIKIさんと僕はグレードが違い過ぎると
思ってはいると思うよ。絶対に違うからね。
でも、
「YOSHIKI様ぁ〜ん!」「ハラぁ〜!」
とはならないところが素敵だなと
今日のHRを見ていて思いました。
自分のものさしを使って呼び方で格付けすると
相手を苦しめてしまうこともあるし、
周りの人を格付けに加担させてしまう可能性もあるかもしれないですね。