こんにちは、2020年7月入会、ふじいみちえです。
アンタ何の人?と聞かれれば、「元ガチバーテンダーの現二児の母、DTMを趣味にしはじめたメンタル弱めの人」です。
元々文章を書くのは好きなのですが、コラムはなかなか思い切りがつかずにいました。なんとなく、UPしてみることにしました。
こちらもGWに書いたものです。
5分ほどお時間を頂戴いたします。自分語りにお付き合いいただければ幸いです。
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「それで、あなたは何をしたいの?」
飛び跳ねる脈拍がウーファーよろしく響く中、彼女はこう尋ねた。
■プライド
オランダにはジュネバという酒がある。タンカレーだとか、なんとかだとかの、所謂「ジン」の原型と言われる酒だ。
8年前のGW、私はこのジュネバを作るメーカーのバーテンディング・コンペティションに出場していた。
世界史がお好きな方にはお馴染みの、オランダ東インド会社。その筆頭株主でもあった、BOLSというメーカーのコンペティションだ。
優勝すればワールド・アンバサダー。
とんでもない名誉だ。
日本からのいい感じの経歴を提げて、目ヂカラいっぱいに顎をクイっとあげながら、ビシっとスーツでピンヒール。
完璧な感じで空港に降り立った。
ゲートを抜けたところから、撮影クルーがずっと貼り付いている。審査はもうはじまっているのだ。
コンテンダー達は皆カメラを意識し、一挙手一投足からして自己アピールを欠かさない。
さっきまで目をギラつかせていた私は、欧米のノリにイマイチ乗り切れず、とはいえ、日本のOMOTENASHIバーテンダーとしてのプライドだけは一丁前に、必死で人見知りを誤魔化していた。
連日の研修、見学、インタビュー、チャレンジ、審査、コミュニケーション、カメラ、etc。
多タスクのお祭り騒ぎに、メンタルがジリジリと焼き付いてきた頃、ファイナル出場権がかかったプレゼンテーション審査が行われた。
■アンバサダーって何だ
毎年行われていたこのコンペティション。この年のテーマは「Make History」。なんとも解釈のし難いテーマだ。
とはいえ、世界的なカクテルの流行を鑑みれば簡単。当時の流行は「クラシック・ツイスト」。往年のカクテルの歴史を紐解き、新しい価値を作るというというものだ。
私は思った。
ジンの原型の酒を売り込みたいメーカーとしては、確実につかんでいきたい流行。それを理解しているということへの説得力だ。ここは外せない。
【自国内でのプロモーションを考えよ】
私は、毛筆で「温故知新」と書いた半紙を持参し、クラシック・ツイストは、日本でこそ成り立つムーブメントであり必要なものだと力説した。
長崎とオランダ東インド会社のエピソードを盛り込みつつ、国内観光客に向けた、SNS映えのカクテルプロモーション。
だが、審査員たちの腕組みは解けない。どんどん椅子の背にもたれかかっていく。不安と焦燥で心臓が飛び跳ね、ウーファーの前に立ってるようだった。
そして自分の声も遠くに聞こえるくらいになった時、一人の審査員が腕組みを解き、前のめりになった。
やがて、彼女の口元がゆっくりと動き出した。
「Well, what do YOU WANT to do?」
???
私が?何をしたいか?
アンバサダーとして売り込むためのプレゼンでしょう?
クオリティではないの? 何?
私?したい? どういうこと?
覚え込んだはずのプレゼンがすっ飛び、目の前が真っ白になった。
■私って何だ
なんとか通過できたファイナルも終わり、
1000人の観客が帰ったナイトクラブは、湿った熱気とバックステージの冷気が混じりあう頃、彼女は喫煙スペースからステージを眺めていた。
私は彼女に近寄り、尋ねた。
「私のプロモーションの何が不十分だったのですか?カクテルの内容をより具体的にしたほうがよかったのでしょうか?」
彼女は言った。
「あなたは素晴らしく勤勉なバーテンダーでパフォーマーよ。今日も良かったわ。もちろんプロモーションもね。けれど、私たちが知りたかったのは、あなた自身なのよ。」
斜め上を眺め、適切な回答を探す私に彼女は続ける。
「あなたの知識や技術は、語らずともわかることなのよ。だって、私たちは皆あなたと同じバーテンダーだったのだから。皆、そこを通ってきた」
審査員に対峙する時のいつもの笑顔で私がうなづくと、彼女は私にタバコを1本渡して言った。
「ねぇ、あなたはどうなりたいの? 何がしたいの? あなた自身になりなさいよ。そして自信を持って楽しんでみて。そうすればきっと、もっと魅力的な人生を送れるわ。あなたはまだ、ただのバーテンダー。私の若い頃によく似ている。」
そしてゆっくりと深く一服して、私の肩をトンと叩き、
「see you」と去っていった。
私はもらったタバコに火をつけて、誰もいないステージを眺めていた。
■私は、私になりたい
あれから8年が過ぎた。
バーテンダーという肩書きがなくなり、コンペティションとは無縁の今でも、深く問われているように思う。
もうスーツも着ないし、ピンヒールで闊歩することもない。目ヂカラいっぱいに顎を突き出すこともないだろう。
そしてもう、理論武装する場所も、必要もないのだ。あれは鎧。バーテンダーでい続ける事自体、私には戦いだったのだ。
生身になった今、私自身になれたのだろうか。
わからない。けれど切に思う。
私は、私になりたい。
そしていつかそれが叶った時彼女に会いに行きたい。
今度は肩を並べて、一服できるだろうか。
彼女は今も、何も変わらず彼女自身だ。
クラフト・ジンとボタニカルを作り、往年のカクテルの解説を書きながら、ロンドン郊外の森の中で暮らしている。