個人視点PROGRESSヒストリー

執筆者 | 21/06/09 (水) | コラム

こんにちは、ラグナリオの羽深将人(はぶはぶ)です。僕の視点から見てきたこれまでのPROGRESSの歴史を綴ってみようと思います。

※少し前の記憶を元に筆を走らせている為、数値、時期の情報に微妙に誤りがある可能性があります。ざっくりの流れとして読んで頂ければと思います。

※中田さんの言うフェーズ区切り、第1ブロック〜第6ブロックに分けて記述していきます。(5/31 HR参照)

※自己紹介も兼ねて、はじめに第0ブロックを追加しました。

【第0ブロック 兼 自己紹介(出会い〜孤独ファン時代)】

初めて中田さんを好きになったのは2008年でした。武勇伝バブルなど最初のブレイクが落ち着く頃です。当時「Gyao」という動画配信サイトでよしもと芸人のトークライブを無料視聴できるコンテンツがあり、そのオリラジ回を見たのがきっかけです。当時の感想は「いや、オリラジフリートークめちゃくちゃおもしろいやん!テレビの姿しか知らなかったけど2人だけの長尺トーク(2時間)の方が圧倒的に面白いやん!何でこの2人にテレビでもっと自由にトークさせへんねん!」でした。ノーテーマで2時間ただただ喋り続けしかもずっと面白い、そんなライブでした。特に中田さんのファンでした。

おもしろい!すごい!と認識してからはDVDを買い集めたりトークライブの生観覧に行ったりするようになりました。ライブ会場の客席は90%が女性で、男性がいてもカップル連れで来ている方が多く、僕のような単独男性の参加者はわずか数%でした。この数%の中に恐らく玉城さんも含まれていたのだと思います。またトークライブのアーカイブを録音して通勤中や営業車の中、散歩中、眠る時など何年も何年もずっとトークを聞いていました。中田さんのトークに憧れすぎてこの頃から音源に合わせてシャドーイング練習もしていました。当時は周囲にオリラジファンがいなかった為ひとり孤独にファン活動をしていました。(トークライブの頃は月に1回しか楽しみがありませんでしたが今は月30回もHRがあり当時の30倍幸せです)

【第1ブロック(NKTオンラインサロン〜PROGRESS発足)】(2018年5月〜2018年11月)

PROGRESSの前身サロン、”NKTオンラインサロン“に2018年6月頃入会しました。中田さんのトークを聞くことが目的だったので当時はメンバー交流よりも、中田さんの生配信を楽しんでいました(1回だけバーベキューに参加)。時々中田さん自身もHRで話されますが、この頃は中田さんがメンバーに対して厳しめな態度をとっている時代で、それはそれは現在の中田さんのマッチョ思想が顔を出した時とは比較にならない程の、破壊的マッチョでした。基本的にメンバーは「さん」付けなし、褒める時も怒る時も個人名を挙げながら、また手を挙げたのに本気で取り組んでいないメンバーにはちゃんと詰めたりしていました。このNKT時代のサロンメンバーは、愛でる対象としてアイドル的に中田さんを好き、という女性ファンが多かった印象で、その層が目立っていました。しかし破壊的マッチョ中田さんの時代ですので、愛でる対象としての中田さんが好きで厳しい中田さんを期待していなかったファンはここで離れてしまった方々もいらっしゃったようです(中田さん自身のトーク引用)。恐らくこのときの反動が、のちに発足するPROGRESSの創設時のサロン方針「ファンの為のサロンではない、ただファンであるという事で参加するコミュニティではありません」という内容に結びついたのだと推測しています。

NKTは中田さんにとっても初めてのオンラインサロンでありメンバーとの距離感が掴むのが難しかったそうですが、その時の教訓が生かされ今のPROGRESSがあると思うと避けて通れない重要な過程だったと思います。NKT時代は中田さんの中でかなり葛藤があった時期ではないかと思います。

ビジネス面では主に物販にトライされ、ノート、お守り、音源、を経て、最終的にアパレルブランド「幸福洗脳」に辿り着きました。「幸福洗脳」のリリースはラジオ(オールナイトニッポンプレミアム(ANNP))で発表され、僕はラジオ音源を聞いてその発想や考え方、挑戦の軌跡を楽しんでいました。ラジオのアクティブリスナー(ラジオへのメール投稿者)には同じくビジネスの世界で戦っている方々が多かったです。そんな、ビジネスに取り組むようなマッチョなメンバーを集めたオンラインサロンがしたいと中田さんが立ち上げたのがPROGRESSであったと認識しています。

【第2ブロック(PROGRESS発足〜YouTube大学開始】(2018年12月〜2019年4月)

PROGRESSは前身のサロンNKTオンラインサロンを①UNITED(ファン系サロン)、②PROGRESS(ビジネス系サロン)の2つに分裂させる形で発足しました。僕自身はビジネスをしていないのでUNITEDに在籍し、しばらくPROGRESSに入りませんでした。PROGRESSの初期はANNPと幸福洗脳と共に歩みを進めていましたがANNPの終了(3月)に伴い中田さんは個人発信の場所を失いました。そこで作られたのが中田さんのYouTubeチャンネルです。カジサックさんの助言もあり教育系に特化したYouTubeチャンネルとなり、しばらくして現在の「YouTube大学」の形になりました。

【第3ブロック(YouTube大学ブレイク〜コロナ襲来(2019年5月〜2020年2月))】

第3ブロックは僕の体感では前半と後半でPROGRESSの様子が大きく変わった印象です。前半は交流が活発ではない「よそよそ期」、後半は活発化する「交流期」です。

【第3ブロック前半・よそよそ期】(2019年7月〜10月頃)

YouTube大学がブレイクする頃、PROGRESSや中田さんのビジネスマッチョ思想は徐々におさまり、YouTube大学ファンもサロンに入会していく流れができていました。僕も2019年の7月に入会します。入会当時のメンバー数は300人でした。(ここからようやくPROGRESS内側からの視点になります)

入会当初PROGRESSのコンテンツはオフラインが主でした。

オフライン:授業生観覧、幸福洗脳会(月一オフ会)、PROGRESS RUN、Tパーティー(Tさんと少人数交流会)

オンライン:朝の会(生配信=現在のHR)、教育実習室(動画投稿=現在のPROGRESS Theater) ※TVやTwitterはありません

授業生観覧は毎回15〜18名限定で、間近で中田さんの喋りが見れるとい今となっては激プレミアなイベントです。アパレル店の裏の狭いスペースでの収録だった為、席によっては中田さんの身振り手振りが当たるのではないかという程の距離感で観覧ができました。印象的だったのが授業後の帰り道です。帰り道、誰も誰かに話しかけたり感想を言い合ったりせず、そそくさと最寄りの乃木坂駅に互いに微妙な歩行距離を取りながら帰っていました。「話しかけてくれるな」的な空気を醸し出す人も割と多かった(ただの人見知りだったのかも)為「えー、誰も喋らないの 泣」と寂しい気持ちがありましたがそれがサロンのマナーなのか、と空気を読んでいました。僕の印象では入会当初のPROGRESS(7月頃)は今のように交流が活発でなく、積極的に会話をする雰囲気ではなかったのです。

当時最も大きなイベントだった月一オフ会「幸福洗脳会」(洗脳会)にも参加しました。7月の参加者は30人くらいでした。「幸福洗脳の服を着てみんなで集まろう」という趣旨のイベントで六本木や渋谷で開かれました(このイベントの参加の為に幸福洗脳Tシャツ代25,000円を支払った時は手が震えました)。当時はカードゲームXENOに熱心だった為、洗脳会はみんなでXENOで遊ぶことがメインで、他に中田さんの話を聞く時間や、ミニ音楽ライブ、景品争奪ジャンケン大会などがありコンテンツは充実してましたが、メンバー間でフリーで話せる時間は短く仲良くなれたのは数名でした。解散時には中田さんが出口で握手しながら話してくれて、メンバーの顔と名前を覚えようという意識は当時から強かったです。

PROGRESS RUNは「走りたい」という中田さんの希望から立ち上がった、毎週火曜、土曜の朝7時に日比谷に集まって走る、というイベントです。中田さんはメンバーを近寄らせない為、毎回非常に冷たい目をしていましたが、これはメンバーと適切な距離を保つ為、とのちに分かります。このイベントも初期しばらくは走り終えるとシャワーを浴びてすぐに帰るようなあっさりしたものでした。

このように、第3ブロック前半はメンバー間の関係が本当によそよそしく、寂しさも感じましたが、そういうものか、と思って過ごしていました。当時玉城さんにも「羽深さんはPROGRESSで何がしたいですか?」と聞かれて「交流がしたいです」と答えていたくらいです。当たり前のように交流する文化ができた今となっては信じられませんが、当時はそのような風潮でした。

【第3ブロック後半・交流期】(2019年10月〜2020年2月)

その雰囲気が変わってきたのが2019年の秋頃です。

人数も順調に増え、幸福洗脳会の中身もフリーの歓談タイムが主となり交流のチャンスが増えました。

この交流の際に効いてくるのが教育実習室です(今でいうPROGRESS Theater。動画を投稿しコメントし合うコンテンツ)。僕が入会した夏頃は現在の様に有名メンバーが多くいる訳ではありませんでした。その頃の有名メンバーといえばPROGRESSを改善しようと具体的に企画を立てている方や、(当時の)部活など特別な活動をしているメンバー数名と狭い範囲に限られていましたが、秋以降は動画を投稿しているメンバーの中から有名になるメンバーが生まれていくという、新しい流れが出来てきました。幸福洗脳会でも「あの動画を投稿していた〇〇さんですよね!」と、知らないメンバーから声をかけられる芸能人風(笑)の現象が発生していきます。当時PROGRESSでは中田さんからYouTuber養成をしたい旨が発表されており、動画投稿が流行っていました。動画を投稿すると中田さんから長文でアドバイスを送られるなど、非常にフィードバックが手厚く、また顔や名前が認識されたり、いいね数上位者は幸福洗脳会で表彰もされるなど、メリット盛り盛りなコンテンツでした。この辺りで、ここまでで見えていなかったメンバーの「華」や「技術」や「才能」に中田さんが注目し始め、個々のメンバーにより具体的にスポットがあたり始めます。

またこの頃交流の場として最も大きな功績を果たしたのがPROGRESS RUNです。毎週毎週会うメンバーが決まってきて顔なじみになり、また活発なメンバーが入ってきたこともありRUNの後に朝食(日比谷Wendys)をとりながらXENOをしたりカラオケに行ったりする文化が出来てきました。中田さんの寄せ付けない空気感も徐々にゆるみ、最後の方はメンバーと一緒に楽しく鬼ごっこするまでになりました(手繋ぎ鬼や氷鬼など、中田さんとガッツリ手を繋げるラッキーなメンバーもいました)。

交流期の象徴的な出来事が年末頃中田さんから発表された方針です。「全員才能開花、大連携状態」。自分の特技や才能を積極的に発信していこう、そしてみんな仲良くして新しいものを生み出していこう、という趣旨です。この方針は最近は言葉にこそされませんが今もPROGRESSの根底に流れている精神だと思います。また基本三方針(今でいうコアバリュー1.0)が発表されたのもこの頃でした。

【基本三方針】

・強くて優しい人になる

・1日3コメ3いいね

・親友をつくろう

積極的な交流を推奨し、メンバー同士が仲良くなること自体に価値があると明確に打ち出しました。

当時のPROGRESSは文化の醸成、価値観の浸透、共有は非常に重要視されており、基本三方針は朝の会でも何度も何度も繰り返し発せられた内容であり、当時からいるメンバーは今でもソラで言える人が多いと思います。この方針の具体化でまとまりができ、文化の良さを実感しながら活動ができるようになった印象が強いです。非常に大きなポイントであったと思います。

2月には第二回PROGRESS合宿in太宰府が開かれました。オフラインメイン時代の集大成とも言えるイベントです。同時期は”コロナという感染症が中国だけでなく世界に広まってきているらしい”と世の中が騒がしくなり始めた時期です。当時一体どれほどれほど恐れるべきのものかはっきりしない状況でしたが、世間の状況を参考に、その当時の判断で予定通り合宿は実施されました。

そして2月末、幸福洗脳会が予定されてましたがこのタイミングで国内のコロナ情勢も急変し、洗脳会は当日朝、土壇場で突如中止が発表されました。コロナ時代に突入です。

〜後編へつづく〜

長くなったので分割させて頂きます。後編は後日投稿いたします。

執筆者 | 21/06/09 (水) | コラム


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