手塚治虫「罪と罰」〜天才なんてしょせんは天才〜

執筆者 | 21/06/12 (土) | コラム

 こんにちは。今回は、筆者がもっとも尊敬する人物について書きたいと思います。タイトル通り、手塚治虫先生についてです。手塚先生は、よく「天才」と評されます。もちろん、それは間違いではない、というか誰も否定できないところだと思います。ただし、私クラスの粘着質なファンになると、その天才と言う呼称にすら違和感を覚えるほどに、その才能に心酔しきっているのです。天才なんてしょせんは天才、と書いたのは、手塚先生は天才などというありきたりな枠組みには収まりきらない、それをはるかに凌駕した存在だと思うからなのです。「マンガの神様」とも言われますが、単に「神」でよくないですか、と常に思っています。

 第一段落ではやくも筆者が相当やばそうなファンであることがお分かりいただけたかと思いますが、今回は手塚先生の初期作品である「罪と罰」を例として、その才能のほんの断片をお伝えしたいと思います。

 *以下の文中に出てくる固有名詞は、手塚版「罪と罰」に添っています。

「罪と罰」

 YouTube大学でも取り扱われたドストエフスキーの最高傑作のひとつ。それが、「罪と罰」ですね。手塚先生は、この作品を1953年に少年漫画として描きました。少年向けの配慮がなされ、原作に見られる残酷な表現は省かれています。また、漫画のいわゆるコマ割りの構成も秀逸そのもので、過去と現在の出来事が同時進行で描かれる冒頭部分は近年の漫画表現でも見られないものです(ちなみに、現在の漫画のコマ割りを考案したものもちろん手塚先生です)。

 これだけでももちろん尊敬に値するお話なのですが、私がこの作品を紹介したいのはこんな陳腐な理由からだけではありません。

クライマックスシーン

 「罪と罰」を既読の方、あるいはYoutube大学をご覧になった方は物語の結末をご存知だと思いますが、手塚作品の結末は原作とは全く異なるものとなっています。先生の生涯を通して描かれた悲劇的な要素がここでも遺憾無く発揮されており、青年ラスコルニコフの魂の救いとも呼べるシーンがないのです。このように紹介すると、「ペシミスティックにすることで作品を印象付けようとした」という不愉快な評価を生むことになってしまうのですが、手塚作品に常に横たわる悲劇的要素は、決して物語を盛り上げるためのものではありません。手塚版「罪と罰」では、クライマックスシーンが以下のように描かれています。

 

 青年ラスコルニコフが大地に口づけをするシーンなのですが・・・。

 「罪と罰」手塚治虫(Kindle版pp.132~133より引用)

 

 おわかりいただけますでしょうか。主要な登場人物以外の、いわゆるモブキャラが各々好き勝手におしゃべりしています。モブキャラにも自我を持たせていることが素晴らしい、という通り一遍の評価もできますが、ここで大事なのはそんなことではありません。

 重要なのは、誰もラスコルニコフに興味がないことです。

 「罪と罰」を読んだことのある方は、皆さん『最も罪深いのは誰か』あるいは『罪とは何か』ということを考えたと思います。殺人を犯したラスコルニコフか、人々から金銭を巻き上げるアリョーナか、それとも貧困か。筆者はこのひとコマを見るまでは、判事ポルフィーリィが最も罪深いと思っていました。ラスコルニコフが犯人と分かっていながら、自首をすることこそが崇高だと信じ独善的な見解のもとラスコルニコフの精神を追い詰めてゆくからです。けれど、このコマを見て考えが変わりました。

 ラスコルニコフの心のうちは、殺人の罪の意識と判事に追い詰められる恐怖、ソーニャへの想いと自首の決意が入り混じり、複雑に入り組んでいます。その心が大地に口づけするという行動を起こさせるのですが、周囲の人間は誰もそんなことは知る由もありません。そして、誰も知ろうとしないのです。

 どんなに貧困であっても、他者と協力し生活することはできます。もしも、ラスコルニコフに共存・協力できる者がいたなら殺人は行われなかったでしょう。誰かがたったひとこと彼に声をかけていたなら、違う途をえらんだことと思います。しかし、殺人に至るまで誰ひとりとして彼の生活に関心を示さなかったのです。大地に口づけるという奇怪な行動に出てもなお、誰も彼の心を推し量ろうとはしません。殺人まで想像できなくても、何か心に咎めることや深く思うことがあるのだろう、ぐらいの考えをもったとしてもおかしくはありません。けれども、誰ひとりとして、彼の心のうちを想像しようとすらしなかったのです。

 手塚版「罪と罰」は、この他者への興味・関心の無さ、ひいては己の生活のみを案ずる狭量な心が最も罪深いことなのではないかと、たったひとコマの漫画で表した作品なのです。

ラストシーンは

 このコマに続くシーンで、ラスコルニコフは天を仰ぎ絶叫のもと罪を告白します。けれども、その声は銃声にかき消され、誰にも届きません。さらなるひとコマがラストシーンなのですが、それはみなさまの目でご確認いただきたいので、ここではあえて書きません。

「罪と罰」手塚治虫 (Kindle版)

 意地悪してしまいましたが、ぜひご覧ください!

余談

 俳優でもあった手塚先生は、「罪と罰」の舞台に端役で出演したこともあります。ペンキ職人の役で、高所恐怖症なのにもかかわらず一生懸命演技をしたのに、客席からは足しか見えなかったのだとか。

 ではまた(*´`*)

 

 

*参考文献・参考資料*

・「罪と罰」手塚治虫 (手塚治虫漫画全集・講談社)

・「罪と罰」手塚治虫 (Kindle版)

・手塚治虫大全 (マガジンハウス)

・「罪と罰」ドストエフスキー 亀山郁夫訳 (光文社)

執筆者 | 21/06/12 (土) | コラム


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