スクリプターに立候補するので、その参考資料です。

執筆者 | 21/06/20 (日) | コラム

はじめに

こんにちは、20年7月入会、現在フラーシア所属の石井理(さとる)です。「Twitter Checker」のおじさんです。サイドバー下の方にありますので、月1チェックお願いします。

とはいえ今回は「Twitter Checker」の話ではございません!

スクリプターに立候補します

と申しますのも、HRで盛り上がっている「書籍要約キャラクターチャンネルのスクリプターの募集」に立候補しようと思いまして。で、それに先立ちまして、以前(20年8月)にTheaterにアップした動画作品(10分程度)とスクリプトを、参考資料としてこちらに掲載いたします。

参考資料

Theater 投稿動画

動画は10分程度で、中国唐代の大詩人・白楽天(772-846年)の漢詩「中隠」を題材に、僕が本人(白楽天)に扮して、現代人のために超訳で語り直すという内容です。もとの詩が21世紀の「ワークライフバランス」のことを語っている言っても過言ではないし、Progressメンバーの皆さんにも響く言葉なのではないかと思います(こっそり、あっちゃんのシンガポール行きを応援するという意味も込めました)。

というか、そういえば、僕、中国古典文学の専門家でした。

こんな動画です。

Theater投稿動画へのリンクはこちらです。

「こまちゃんとTVさんぽ」第8回でも紹介していただいて、入会直後の僕にとって、とても励みになりました。

こまちゃんへのリンクはこちらです。

スクリプトPDF

スクリプトもTheater投稿時にPDFで共有していたので、そのリンクをこちらにも貼っておきます。10分のスクリプトの分量、これぐらいです。ご興味ある方、ご覧いただければ嬉しいです。

スクリプトPDFへのリンクはこちら。

なんとスクリプト全文(無料公開)!!

「無料公開!!」もなにも、もともと無料です。

PDFリンク押すのかったるい方に向けて、以下テキストをコピペしますね。


中隠(ちゅういん)ーワークライフバランスの達人・白楽天(はくらくてん)

 

 どうも、白楽天です。八四六年に死んでます。ということで、今日は一二〇〇年くらい離れた遠いところから頑張ってやってきたんだけれど、ちょっと聞いてほしいことがあるんだよね。

 というのも、二十一世紀には「ワークライフバランス」なんて言葉があるって、小耳に挟んだんだけれども。これって要するに、仕事と私生活のバランスを見直しましょうっていう考え方だよね。ここだけの話なんだけどさ、楽わたし天、実は一二〇〇年前に、もうすでに答え出しゃってんだよね。もちろん「ワークライフバランス」なんて言葉は使っちゃいないけどね。嘘だと思うんなら、私の全集を紐解いて「中隠(ちゅういん)」って詩を読んでごらん…って、めんどくさいよね。じゃあ、令和時代を生きている皆様方にもなるべくわかりやすいように、わたくし白楽天が頑張って語りなおしましょう。

* * *

大隱住朝市,小隱入丘樊。

 大隱(だいいん)は朝市(ちょうし)に住み、

 小隱(しょういん)は丘樊(きゅうはん)に入る。

丘樊太冷落,朝市太囂諠。 

 丘樊(きゅうはん)は太(はなは)だ冷落(れいらく)、

 朝市(ちょうし)は太(はなは)だ囂諠(ごうけん)。

 

 皆さんもご存知のように、都会には、いろんな欲望がぐっちゃぐちゃに渦巻いております。歓楽街では色恋、喧嘩、その他諸々ありまして、ビジネス街じゃあ庶民の我々には考え付かないくらいの大きなお金が毎日毎日動いています。それから政治の世界なんて、これまた白黒はっきりしないお金とか、黒い噂、足の引っ張り合いが尽きないもんです。要するに、街は汚い。都会は汚い。

 一方で、「そんな汚い世界には染まりたくない」と言って、人目につかないように、ひっそりと暮らしている人たちがいます。ひっそり隠れ住んでいるということで、「隠者」だなんて呼ばれています。その隠者っていうのは普通、山奥にこもって暮らしているっていうのが相場です。なぜなら山奥は何にもないから、ひっそりと質素な暮らしをするにはもってこいの場所。というか、逆にいうと、そんな物寂しい田舎に閉じこもっていたら、みんな隠者みたいに暮らすしか、他に方法がないってなもんです。

 ところが中には、隠者の中でも最もすごい人、すなわち隠者オブ隠者ってのがいるらしくて、そいつらは隠者としての心構えが、もうバッチリ出来上がっています。たとえ欲望渦巻く都会の、ゴミゴミしてやかましい街中に身を置いて暮らしていたとしても、ちゃんと隠者として質素な生活を営むことができるってんだから、完全に仕上がってます。偉大な隠者ということで「大隠」なんて呼ばれています。すごいもんですよね。

 

不如作中隱,隱在留司官。 

 如(し)かず中隱(ちゅういん)と作(な)りて、

 隱れて留司(りゅうし)の官に在るに。

似出復似處,非忙亦非閒。 

 出づるに似て復た處るに似る、

 忙(ぼう)に非ずして亦た閒(かん)に非ず。

不勞心與力,又免飢與寒。 

 心と力を勞せずして、

 又た飢えと寒さを免る。

終歲無公事,隨月有俸錢。

 終歲(しゅうさい) 公事無く、

 月に隨ひて俸錢(ほうせん)有り。

 

 しかし、私に言わせてみれば、大隠でも小隠でもなくって、その間をとって真ん中くらいの隠者、つまり「中ちゅういん隠」になるのが一番いい。なぜなら、人生は決して二択問題なんかじゃない。選択肢の間には無限のグラデーションがあるんだ。その中から、自分にとってちょうどいいのが、一番いいんだよ。

 私の場合は、経済的にも文化的にも申し分ない副ふくと都の洛らくよう陽で、ほとんど実態のないハリボテの官職をもらって、きちんと給料はもらいながらも、隠者のようにのんびりとした生活を送るっていう、そういう暮らし方が一番だったよ。

 なぜなら、それって、働いているようでいて休んでいるみたいだし、忙しいような暇なような、仕事のバランスとしてちょうどいいだろ。心も体も元気ピンピンでいられるし、それでいて食べるものや着る物に困るなんていう貧しい暮らしというわけでもない。それどころか、一年中そんなに働かなくていい割りに、毎月毎月ちゃーんと給料がもらえる。どう、いいでしょ。仕事が楽だと、時間が自分のものになるよ。

 

君若好登臨,城南有秋山。 

 君 若(も)し登臨(とうりん)を好めば、

 城南(じょうなん)に秋山有り。

君若愛遊蕩,城東有春園。 

 君 若(も)し遊蕩(ゆうとう)を愛せば、

 城東(じょうとう)に春園(しゅんえん)有り。

君若欲一醉,時出赴賓筵。 

 君 若(も)し一醉(いっすい)を欲せば、

 時に出でて賓筵(ひんえん)に赴(おもむ)かん。

洛中多君子,可以恣歡言。 

 洛中(らくちゅう)には君子(くんし)多く、

 以(もっ)て歡言(かんげん)を恣(ほしいまま)にすべし。

君若欲高臥,但自深掩關。 

 君 若(も)し高臥(こうが)せんと欲せば、

 但(た)だ自ら深く關(かん)を掩(おお)ふのみ。

亦無車馬客,造次到門前。 

 亦た車馬の客の、

 造次(ぞうじ) 門前に到る無し。

 

 自分の時間があったら、何ができるか想像してみなよ。あなたがもしも、山登りが好きだとしたら、この洛らくよう陽っていう街の南側には、秋の景色が美しい、そういう山がいっぱいる。あなたがもしも、ふらふらーっと遊び歩くのが好きだってんだったら、洛陽の東側には、春の花々が美しい、そういう庭園がいっぱいある。あなたがもしも、ちょいと酔っ払いたいなーっていうときには、時々ひょいと、宴会に顔を出してみればいい。なんせ、この洛陽には、すんごい

人たちがたくさん住んでいるからね、楽しくおしゃべりをするにはもってこいだ。ちなみに、みんな詩を書いたり琴を弾いたり、字を書いたり絵を描いたり、趣しゅみじん味人だよね。あるいは、あなたがもしも、誰とも関わらずにひとりで寝ていたいっていうことならば、家の門の扉に鍵をかけて、閉じこもってりゃいいよ。そうすりゃ、馬車に乗って急いで駆けつけてきた人たちに「ごめんくださーい」なんつって邪魔されることなんか、ありゃしないから。

 

人生處一世,其道難兩全。 

 人 生まれて一世(いっせい)に處り、

 其の道 兩(ふた)つながら全(まっと)うし難(がた)し。

賤即苦凍餒,貴則多憂患。 

 賤(せん)なれば即(すなは)ち凍餒(とうだ)に苦しみ、

 貴(き)なれば則(すなは)ち憂患(ゆうかん)多し。

唯此中隱士,致身吉且安。 

 唯(た)だ此(こ)の中隱(ちゅういん)の士のみ、

 身を致すこと吉 且(か)つ安(あん)。

窮通與豐約,正在四者間。 

 窮通(きゅうつう)と豐約(ほうやく)と、

 正に四者の間に在り。

 

 どうだい。人の命は一回きりで、ひとつの人生しか生きられない。世の中のために立派な仕事がしたいってのも、もちろん大事だ。自分の趣味、プライベート、家族との時間、そして心の平穏を保つのもやっぱり大事だ。問題は、このふたつをどっちも完かんぺき璧に百点満点、合わせて二百点満点取ろうなんて、そんな難しいこと、誰にもできるわけがないってことだ。そうだろう。

 でも、だからといって、どっちか片方だけを頑張って、もう片方は完全に捨てちまうっていうのも、あんまりオススメしないな。

 汚い世界を怖こわがってばかりで社会に出なけりゃ、お金はなくなる。お金がなければ、飢えて凍えて死んじまう。大事なものも、守れない。かといって、世のため人のため、働き働き働きまくって、自分の心を置き去りにしたら、ストレスばかりに苛さいなまれ、いつしか笑顔も忘れちまう。

 そこで、私はやっぱり、この中ちゅういん隠っていう生き方だけが、幸せで安らかな人生を送る、たったひとつの方法だと思うわけよ。ひとりっきりの世界に閉じこもって世間に背を向けるわけでもなく、天下の公人として生きていくわけでもなく、極端な金持ちになるわけでもなく、極端な貧乏をするわけでもない。中ちゅういん隠は、その四つの間のちょうどいいバランスのとこで生きていくこと。

* * *

 どうだい、ちょっとは伝わったかな。似たような考え方として、「中庸(ちゅうよう)」ってのは聞いたことあるかもしんないよな。儒教(じゅきょう)って云う教えの中で、古くから言われている言葉だ。まあ、確かに中ちゅういん隠と中ちゅうよう庸が全然別物ってわけでもないんだけどもさ。中ちゅうよう庸ってのは、ひとつの軸の中で、やりすぎでもない、足りなくもない、真ん中の方のちょうどいいとこを探しましょうって話。私の言ってる中ちゅういん隠ってのは、仕事の軸と私生活の軸っていうふたつを掛け合わせて、そんで現実的に、どちらもそこそこ満足できるような暮らし方を探りましょうって云うことよ。こういうのを「二軸思考(にじくしこう)」っていうのかな。

 二十一世紀の日本に当てはめて考えてみると、生きてく環境としては、必ずしも東京しかないってわけじゃない。大阪だってあるし、奈良や京都で風流な生き方を探したっていい。それに、言葉をおぼえれば選択肢はもっと増える。私のいた蘇州や杭州で、庭園とか、でっかい湖を見ながら、ぼーっと緑茶をすするのも悪くない。ほかにも上海や香港とか、シンガポールみたいな国際都市も、いろんな人が集まってていいよね。

 要するに、絶対に東京で一花咲かせなきゃいけないとか、ヘマこいたらバカにされちまうんじゃないかとか、そういうことばっか考えてたら、仕事を中心に毎日を回さなきゃなんないし、しかも雇われ脳のままだったら最悪で、いつまでたっても、何にも変われない。考え続けて、変化し続ける。それこそがプログレスってもんだろ。二十一世紀のことはよくわかんねぇけれど、この話って、何十年、何百年、何千年経ったって、おんなじだと思うんだよなあ。

 おっといけねえ、ちょっとしゃべりすぎちゃったかな。そろそろ帰る時間だ。え、私の人生はどうだったかって。そりゃ、まあ、それなりに波乱万丈あったけれど、そこそこ楽しい一生だったよ。余談だけど、いま語ったようなことに気づけたのは、若い時分から官僚としてのエリート街道を駆け抜けてた矢先に、思わぬところで挫折を味わったからかもな。まあ、私も色々ありましてね。簡単に言えば、世の中を批判したり、皇帝陛下にズバッとものを言ったりしてたら、気づいたら恨みを買って、そんで左遷されちゃいまして。都の長安から追い出されちゃったっていうね。まあ、その後も蘇州とか杭州とか、いろんな街を見て回ることになったんだけれど。どんな状況でも、楽しく明るく生きていこうってのが、この楽天の性分だからね。興味があったら何かの本に書いてあると思うから、そこでまた、お会いしましょう。

 

 ……じゃ、またな。


まとめ

最後の「じゃ、またな」は、言わずもがな、「ではまた」の白楽天バージョンです。

執筆者 | 21/06/20 (日) | コラム


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