※この日記は北欧の水産業に携わる私(二階堂)が、育休を契機として、自分の仕事を振り返る日記です。もし宜しければお付き合い下さい。(アイスランド産カラフトシシャモの買付 編)
“It’s a mystery for you to be here.”
冬のある日。アイスランドにて。
もう2時間も、同じ景色を見続けている。この真っ平な地形はどこまで続くのか。目に刺さるくらい、真っ白で眩しい雪原。空はどんよりと曇っているが、当地は高緯度の為、太陽高度は低く、直射日光も目に刺さる。どこを見ても目が痛い。この国に来て、「月面着陸はアイスランドで撮影された」というジョークを知った。初めて当地に来た時は、この月面のような景色を見て、異世界に降り立った様な気分になり、とても感動した。しかし、さすがに2時間もこの光景を見続けると・・・正直もう見飽きたという気持ちにもなる。
首都レイキャビクから南に2時間、車を走らせた後、出港間際のフェリーに車ごと飛び乗る。我々が乗船した瞬間に出港する。危ないところだった。この船を逃したら、この月面のような「何もない場所」で1日待機しなければならなかった。(アイスランド人達は、この「何もない状況」を自虐して、”middle of nowhere”だとか “you are now at the end of the world”だとか言ったりする。いつも返答に困る。)
私は1か月分の荷物が入った重たいスーツケースを片手に、船内の簡易寝室所を目指す。一刻でも早く寝るべきだ。昨日は強風だった。波は1日遅れて高くなる。こんなに風のない穏やかな日和なのに、予想通りかなり揺れる船旅となった。箱に入れられたビー玉の如く、前後左右に揺られながら千鳥足で寝室所を一歩ずつ目指す。一方、同行していた取引先のアイスランド人は、サンドウィッチを片手にノートパソコンを叩く。どうしてこの状況で文字が打てるのだろうか・・・。
単調なドライブと船酔い地獄の末、アイスランドの南西にあるウエストマン諸島のヘイマエイ島に到着した。
この島は1973年に火山の大噴火があり、全体的にゴツゴツとした地形が特徴的だ。不便な離島ではあるが案外商店街は充実している。住民もイイモン着てる、食べてる。そして、仕入先シシャモ工場の社長は、60歳近いが顔がやけに整っている。(数年前に美容整形したそうだ。)何故ならば、この島だけでアイスランドの魚の総輸出量の10%を占めるからだ。私は、新人商社マンとしてこの島にカラフトシシャモを買い付けにきていた。
日本人バイヤーを待ってましたとばかりに、私が当地に上陸した頃に、シシャモ漁船も島に帰港し、私は一息つく間もなく生産現場へ向かう。漁船からシシャモが工場内に搬入される。意外にも水産工場は、「魚臭い」訳ではない。生産現場は、みずみずしいキュウリの匂いで充満されている。この魚が「キュウリウオ科」に属している事がよく分かる。0度の海水の中からシシャモを1時間毎に拾い揚げ、品質検品をし、鮮度が落ちれば、ロットを変える。生産者と協議して、ロット毎に魚価を決めていく。
島に数週間住んでいると、行きつけのレストランのオーナーに言われる。“It’s a mystery for you to be here.”と言われてしまう。「ええ、本当に」と言わざるを得ない。私も、北欧の辺境の離島で、まさか水産バイヤーの仕事をする事になるとは思ってもいなかった。
この仕事をしていると、「カラフトシシャモってニセモノなんですよね?」とよく聞かれる。ニセモノとは何だろう?と考えさせられる。日本人が勝手にカラフトシシャモを北海道産シシャモの代替魚として食べ始めただけのことである。(「カラフト」というネーミングは、消費者庁の定めによる。)
アイスランドの10クローネ硬貨(日本円で約10円)には、カラフトシシャモが描かれている。彼らに向かって「あなた方のシシャモってニセモノなんですよね?」とは聞けないだろう。アイスランド人にとって、魚とは「自分達に豊かさとプライドを与えてくれた象徴」である。
アイスランドとは、9世紀、ノルウェーの圧政を逃れてきた人々の移住地である。漁船にモーターがつくまでは遠洋漁業が出来なかった為、食べ物に大変貧しかった為、様々な保存食がアイスランドにはある。ラム肉を樽の中でスキムミルクに漬けて保存食にしようとしたら、樽の外にヨーグルトのような副産物が滲み出てきたので、それすらも舐めて腹を満たした。それが、近年日本のスーパーで売られるようになった高級ヨーグルト(スキールÍsey Skyr)の始まりと言われている。遠洋漁業が可能になった後も、外国の統治下におかれていた為、水産輸出で儲けられるようになったのは、つい最近の話。私と同い年の、アイスランド大手水産会社の御曹司は、「僕の祖父はとても貧しかったんだ」と話す。彼らにとっては「200海里」とは、やっと自分たちの物になった1尾1尾=1銭1銭という感覚が強いのだろう。
私が水産バイヤーとしてデビューしてから10年が経ち、この間、日本市場が買い負ける事が年々増えていっている。20-30年前、日本人バイヤーは、コーヒー一杯の商談で500トンの魚を買い付ける「お得意様」だったが、現在は少量の買付でも足踏み。足踏みしている間に、目の前で、中国、東欧、アフリカが「美味しいロット」を高値でさらっていく。
あるアイスランド人の営業担当がこう言っていた。 Customers always come and go. But fish is always here. 外国に翻弄されつづけた彼らにとって、「長年の海外のお客様」よりも、魚こそが頼れる「ホンモノの相棒」のようだ。