「戦場のメリークリスマス」〜映画鑑賞〜

執筆者 | 21/08/02 (月) | コラム

 こんにちは!8月になりました。毎年、この季節は終戦記念日に向けて様々な戦争をテーマにした映画やドラマが取り上げられますね。今はコロナ禍ですが、オリンピックなどのお祭りが平常時にはつつがなく開催できるようになるまでに、日本と世界がどんな歴史を辿ったかを知っておくのも悪くはないと思います。

 そんなわけで、8月前半のコラムは戦争を題材とした映画や文学作品を取り上げたいと思います。

 第1日目の今日は、「戦場のメリークリスマス」。タイトルと音楽を聞いたことのある人も多いのではないでしょうか。カンヌ国際映画祭で大絶賛された大島渚監督の代表作ですよね!

*以下、壮大すぎるネタバレを含みます。

登場人物

 ・ハラ軍曹(北野武)・・・日本陸軍軍曹。暴力で外国人俘虜を統括する。

 ・ローレンス(トム・コンティ)・・・イギリス人俘虜。日本に居住していた経験があり、日本文化と日本語を解するため、ハラ軍曹に気に入られ重宝されている。

 ・ヨノイ大尉(坂本龍一)・・・日本陸軍大尉。収容所所長。

 ・セリアズ(デヴィッド・ボウイ)・・・イギリス軍人。美麗な顔立ちと勇敢な言動でヨノイを翻弄する。

 ・ヒックスリー(ジャック・トンプソン)・・・英国空軍大佐。収容所の俘虜長だが、心の奥では日本人を嘲っている。

 ・カネモト・・・朝鮮人軍属。

 ・デ・ヨン・・・オランダ人俘虜。

あらすじ

俘虜収容所

 1942年、ジャワのレバクセンバタにある俘虜収容所で、ローレンスはハラ軍曹に呼び出される。連れてこられた砂浜では、カネモトとデ・ヨンを捕縛されていた。カネモトは、昨夜デ・ヨンを犯していたため、ハラ軍曹はカネモトに切腹を命じ、ロレンスは処罰が正当なものであることの証人として呼ばれたのだった。カネモトが切腹しようとしたとき、ヨノイ大尉が現れ処罰は先送りされた。

 それから、ヨノイは軍律会議に出席し、裁判官の一員として日本軍に捕らえられた英国軍人を裁くことになった。裁きの場に連れてこられたセリアズは、美麗な顔立ちの英国陸軍少佐だが、態度は日本人を馬鹿にしているようで質問にもまともに答えなかった。他の裁判官が死刑の判断をする中、セリアズに特別な感情を抱いたヨノイ大尉は、ハムレットの一説を誦じてセリアズの気を引き、彼を俘虜にすべきだと主張した。

 セリアズはレバクセンバタの俘虜収容所に送られた。ヨノイ大尉は、衰弱したセリアズを早く回復させるように命じる一方で、ヒックスリー俘虜長に銃器に詳しい者の名簿を出せと命じる。ヒックスリーは、国際法上の俘虜の権利を主張し名簿の提出を拒んでいた。

 夜中、ハラ軍曹は眠るロレンスを起こし、セリアズはどこにいるかと尋ねた。ハラ軍曹は、ヨノイ大尉が特別扱いする人物のことが気になっていたのだ。ハラ軍曹はセリアズの顔を覗き込む。目があったセリアズは彼に言った。「変な顔だ。だが、目は美しい。」その夜、ヨノイ大尉もまた、セリアズの様子を見にきていた。

セリアズとヨノイ大尉

 カネモトは切腹になることが決まり、その場にデ・ヨンやヒックスリーら俘虜も立ち合わされていた。怯えながら切腹するカネモトの体は突っ伏してしまい、兵士による介錯が思うようにいかない。見かねたハラ軍曹は自らカネモトを介錯した。それと同時に、デ・ヨンも舌を噛み切ってしまった。一連の出来事に腹を立てたヨノイ大尉は、「行(ぎょう)」に入るため、これから48時間何も口にしてはいけないと命じた。ヒックスリーはこれに反発するが、ロレンスは、ヨノイ自身も行を行うのだと言って反論した。

 行が行われる収容所へ、セリアズは死んだデ・ヨンのためにカゴいっぱいに赤い花を積んできた。その花の下には饅頭を隠し持っており、セリアズは行のために空腹になった俘虜たちにそれを配って回った。

 騒ぎを聞きつけた日本兵によりセリアズの行動が露見したため、セリアズは牢に入れられることになる。ロレンスもまた収容所から無線機が発見されたことで捕らえられた。

 その夜、ヨノイ大尉の従卒は、大尉の心を乱すセリアズを殺そうと牢に忍び込む。セリアズは混乱に乗じてロレンスを連れて脱走を図るが、その前にヨノイ大尉が立ちはだかる。大尉は自分を殺せないと踏んだセリアズは戦う意志を見せず、代わりにハラ軍曹が殺そうとするがヨノイ大尉はそれを止める。セリアズ殺害に失敗した従卒は切腹した。

クリスマスの夜

 従卒の葬儀の場にロレンスは連れてこられる。ハラ軍曹は自殺では恩給が出ないので、戦死扱いにするようにヨノイ大尉に申し出たのだという。そして、彼とセリアズは、無線機を持ち込んだ罪で処刑されると知らされる。無実を訴えるロレンスに、ヨノイ大尉は無実であることはわかっているが、収容所の秩序を守るためハラ軍曹が願い出たのだと告げる。

 牢に入れられたロレンスとセリアズは、壁越しに会話する。ロレンスはかつて出会った女性のことを話し、セリアズは弟のことを語った。セリアズの弟は歌がうまかったが、寄宿学校で新入生の「歓迎」と称したいじめの対象となり、セリアズはそれを見て見ぬ振りをしたしたのである。弟はそれ以来、歌を歌わなくなった。

 そこへ、日本兵が現れ二人はハラ軍曹のいる部屋に連れてこられた。ハラ軍曹は酒に酔っており、上機嫌だった。その様子を見たロレンスは、「You’re human,after all」「あなたもやっぱり人間だ。」と言う。

「ロレンスさん、ファーデル・クリスマス。ご存知か。」

「ええ。知っていますよ。サンタクロースですね。」

「わたし、今夜、ファーデル・クリスマス。」

 人懐っこそうな顔で声をあげて笑うハラ軍曹。今夜はクリスマスだから、自分がサンタクロースになって二人を特別に釈放しようと言ったのである。部屋を出ていこうとする二人にハラ軍曹は「ロレンス!」と命令口調で呼びかける。

「メリークリスマス。ロレンス。メリークリスマス。」

終戦へ

 翌日、ハラ軍曹はヨノイ大尉に無線機の持ち込みの犯人について自分の判断が誤っていたこと、勝手にロレンスとセリアズを釈放したことを詫び、ヨノイ大尉は、ヒックスリー俘虜長に銃器に詳しい者の名簿提出を命じた。ヒックスリーは、ヨノイ大尉のセリアズに対する気持ちを嘲り名簿の提出を拒んだ。激怒したヨノイ大尉は、病人も含め全ての俘虜に整列するように命じ、炎天下にすべての俘虜が集められる。その最中、病人が死んでしまいヒックスリーはジュネーブ条約違反だと詰め寄るが、それでも銃の専門家はいないと言い張った。ヨノイ大尉はその場でヒックスリーを処刑しようとするが、そこへセリアズが歩み寄り、ヨノイ大尉の両頬にキスをした。ヨノイ大尉は卒倒してしまう。

 ヨノイ大尉の後任としてやってきた大尉は、セリアズを首から下を土中に埋める刑に処した。意識が薄れていく中で、セリアズは歌を歌う弟の夢を見、ヨノイ大尉は彼の遺髪を持ち帰った。

 終戦を迎えた1946年、戦犯として翌日処刑が決まったハラ軍曹のもとにロレンスが尋ねてきた。私ならあなたを家族の元に返す、すなわち助命嘆願すると申し出るロレンスに、ハラは死ぬ覚悟はできている、と告げる。ただ、私の罪は他の兵隊と何が違うのか、と問う。ロレンスは、あなたも犠牲者だと告げた。

 あのクリスマスの夜の話になり、ふたりに笑みが溢れる。帰ろうとするロレンスの背に向けて、ハラは命令口調で「ロレンス!」と呼びかける。そして、満面の笑みに涙を浮かべた。

「メリークリスマス。ミスターローレンス。メリークリスマス。」

感想など

 書きながら涙出てくるお話ですね。

 映画全体を通して一つのテーマを届けると言うよりは、淡々と時系列に沿った出来事が描かれます。それもそのはず。この映画の原作は、ロレンスの手記なのです。実話を元にした映画だから、テーマ性を度外視しても様々な問いを投げかけてくれるわけです。激しい銃撃戦や戦闘シーンがなくても、戦争の悲惨さと極限状態での人間性を描いている名作は、この戦メリとディア・ハンター、地下水道ぐらいじゃないでしょうか。

 あらすじに記載することはできませんでしたが、実はヨノイ大尉は2・26事件で同志を失った人物です。事件の際、満洲に居て決起できず自分だけが生き延びたことを恥じているのです。他方で、セリアズは弟を裏切ったことを恥じて軍隊に入ります。状況は違えどふたりの軍人としてのキャリアの背後には、自らの行動を恥じたために軍隊に居続ける点で共通項があるのです。人種も育ちも全く違いますが、前線に立つことで罪滅ぼしをすることがふたりの生きる道だったのかも知れません。

 

 そして、なんと言っても注目すべきキャラクターはハラ軍曹ですよね。北野武の荒削りな演技と堂に入った暴力シーンで見るものを引き付けるのですが、それだけがこの人物の魅力ではありません。ハラ軍曹は、「18で志願し」たと述べています。つまり、18歳で自ら軍隊に入った、ということです。入隊時は当然二等兵でしょうから、そこから階級を5つあげて軍曹となった、生粋の軍人になるわけです。日本陸軍の純粋培養で作られた人格が劇中でも刺激を与えます。ハラ軍曹は、ロレンスに、なぜお前ほどの人物が捕虜になってまで生きているのか、と問います。当時の軍人の考え方では、敵の捕虜になるぐらいなら自決せよ、と言うのが主流だったのですね。現代人にとっては信じられない感覚ですが、ハラ軍曹はこの考え方を疑ってはいません。恥を晒すくらいなら自ら命を絶つべきだ。だから、軍曹は切腹を命じ介錯もするのです。そして、遺族に恩給が出るように自殺ではなく戦死扱いとする。ハラ軍曹は、常に彼なりの礼節と倫理観、優しさで俘虜に接していたのです。独特の倫理観に聞こえますが、従卒の切腹からもわかるように当時はこれが一般的な軍部の倫理観でした。

 ただ、互いの価値観を認め合い歩み寄ることで、優しさが伝わることもあります。それが、クリスマスの夜の釈放なのです。精一杯片言のオランダ語(おそらくハラ軍曹が知っていた数少ない外国語)を組み合わせて、笑顔を見せることで初めてはっきりと優しさが伝わったのだと思います。戦争を題材にした作品ではありますが、現代にも通じるところがある、というか、普遍的な人類の心の交流でもあるような気がしています。自分では優しさや親切のつもりでも、相手の望まないやり方や理解されない価値観では、溝が生まれるばかりです。相手が何を望んでいるか、そこにフォーカスすることで仲良くなれるし優しくなれる。当たり前ですが、難しいことと思います。

 さて、この映画、なぜか作品全体を通して言葉が聞き取りづらく(トム・コンティが日本語を知らなかったことだけではなく)、単語も聞き馴染みのないものが多いので、あらすじを抑えてからでないと見づらいかもしれません。加えて軍部の階級等にも説明がないので、予備知識も必要かもしれないですね。それでも、あまりにも有名なラストシーンと音楽。そして、デヴィッド・ボウイの歌声!!!これらを見るだけでも価値があると思います。

 ではまた(*´`*)

 

 

 

 

執筆者 | 21/08/02 (月) | コラム


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