1979年に世界中でヒットしたバグルスの『ラジオスターの悲劇』は、ラジオからTV へとマスメディアが変節することで起きる、ラジオスター(歌手)の仕事が減る嘆きと、ラジオ時代のノスタルジーをネタにした歌です。
「VIDEO KILLED THE RADIO STAR♬」のコーラス部分が耳に乗りますよね。
このように、メディアの特性が変わると、悲劇を被る立場もあれば、恩恵を受ける立場もあります。しかし、『ラジオスターの悲劇』という商品の売り方そのものは、旧メディアどころか、ケーブルテレビで音楽ビデオを流した最先端だったわけです。しかも、未だにYouTubeでも再生されつづけています。
それ以前に、ラジオが誕生したことも、その当時には、エンターテインメントの主役を変えました。日本では昭和のある時期、ラジオの主役は浪曲だったんです。これは、落語や講談をラジオだからこそ追い抜けたんですね。ラジオ以前の演芸場においては、浪曲は落語や講談よりも一段下だったんです。
映画からTVに移行するとき、そもそも「クイズ番組」とか「トークショー」とかは映画にはないですが、「ドラマ」は大変ですよね。俳優がいないと魅力あるドラマは作れないですから、映画会社は俳優を専属にしますよね。しかし、そうなると、俳優のギャラも高騰するので、俳優の政治力もあがりますよね?
映画スター田宮二郎は映画会社と物騒な方法で喧嘩をして、映画界から追放されます。しかし、キャバレーなどのドサ回りを経て司会力を身に着け、『クイズタイムショック』の司会としてTV業界で大復活を果たし、TVドラマの主役として、「スター俳優」にもカムバックします。
ところが、様々なビジネスに手を出して、多額の負債を抱えて精神を病み、自身の圧倒的な代表作的ドラマ『白い巨塔』の最終回放送が残りわずかという時期に、猟銃で自殺します。何という悲劇でしょうか。
田宮二郎は、映画界から追放されていなかったら、新メディアとしてのTVでの大復活がなければ、慢心とか、見返してやりたいとか、そういう気持ちは起きなかったかもしれません。TVで『白い巨塔』をやることに固執したのも、同じ題材が、映画スター時代の代表作だったからですよね。
メディアが変わる時期には悲劇が起きる。
いや、でも、そんな悲劇はもう見たくないですよね。
雨上がり決死隊は解散しても、宮迫さん蛍原さんのお二人には、仲良くゴルフでもやって、楽しく遊んでいて欲しいのです。
お終い。