2020年12月入会、ウォルクス所属のコヴァこと小林誠です。
書いては消し、書いては消しの繰り返し。
半年記念でミスってから、7カ月、8カ月と引きずってしまい9カ月も引きずりそうになりながら、モヤモヤした1日の打開のためにコラムを書くことに。
今日のHRを見て
もともと共感性が高いので、人の感情に引っ張られることの多いですが、今朝のHRは久しぶりに幼少期の記憶を揺り起こしました。
「ウソをついてはいけない」まぁ、当たり前ではありますし、嘘をついてもいいと育てるのもどうかとは思いつつ。クソ真面目に真正面から額面通りにしか言葉を受け取れない人間には、割と酷な選択をさせられてきたなぁ、と。
そんな中、やはり父親の背中というものが大きく。憧れに始まり、尊敬、目標と来て失意の中で軽蔑に代わり、最終的に無視をして7年ほど口を利かなくなる暗黒期へ。
なくなる約1年前からは、とあるきっかけのおかげでそれまでの7年間を取り戻すくらいに毎日たくさん話し、まわりをびっくりさせたのもいい思い出。今ではあの軽蔑の感覚すら何だったのかと思うくらいのスッキリ感で生きていました。
でも、仕事をしている中で気分の乗らない日もあり、一人で営業している以上休もうと思えば休めるという中、病に侵されながらも人一倍仕事をしていた父親の背中が自分には「呪縛」のように脳裏から離れなくて。
「時代が違う」「自分は父親とは別の人間」「取り巻く環境も違う」頭ではわかってる。
そんなこと言葉で言われなくたって理解もしてるし、納得もしてる。
でも体が動かない。休むほうにに体が動かない。動かなければいけないという「呪縛」
前言撤回を許せない
そんな中、入会当初から目標にしてきた移動理美容車の計画も父親の遺志を継ぐ形でやろうと決めた。と思ってた。
でもこれも「呪縛」なのかと思い始めてしまう。自分がええカッコしたいだけ?本当にお前のやりたい事なのか?商売としてやる以上利益の追求は当たり前だが、そこに共生する公共性、社会への貢献度から、普段の仕事以上に感謝されることは間違いなく多い。
でも、感謝されることに慣れない。自分が無価値だと思って、いつか感謝されたくて一生懸命やったはずのことも、実り始めて感謝されると、なぜかそこに居続けることが怖くなる。
「やめる」とまでは言わなくとも「少し方向転換します」程度の前言撤回が自分で許せない。またここに父親の影がユラユラと現れる。
『一度決めたことはやり抜け』と言い続けられて育てられたので、逃げ出すことができなくて。やりたくなくてもやらなきゃいけない。それは最終的に、自分自身の放棄になる。
自分があるから苦しむ。自分がなければ苦しまない。自分がただの入れ物になれば、気持ちがなければ、そうすれば怒られることも責められることもない。ずっとそれで生きてきた。
そしてPROGRESSに
色々とヘビーな過去を超えて、トラウマに苦しみ、乗り越えるために涙を流しながらPaypalのボタンを押した12月7日。
入会当初は「入ったくらいで何が変わるんだ」くらいに荒んでいて、結局今までと同じように人のアラ探しをして、否定、否定、否定。
1か月たち、2か月たち、気づけばあんなに否定していた配信をやり始め、3か月、4カ月と知り合いが増え、半年を迎えるころには見たことのない自分がそこにいた。
入ってからも何度も何度も暗い穴に閉じこもったけど、いつも誰かが肩をたたきに来てくれる。勇気を出して輪に加わると何もなかったかのように接してくれる。
常に誰かが横に、前に、後ろに、いてくれる。
いまだになぜ自分の周りに人がいてくれるのかも理解できないけど、とりあえず常に誰かいてくれる。とてもありがたい。本当にありがたい。
多分こういう話をしている僕を見る大多数の方が驚いているんだろうなぁ、と容易に想像できるが、最近は素の部分が出せるようになってうすうす気づいてる方も多いのかもしれないとも思う。
人前で泣けることにあまり恥ずかしさを感じなくなったのも、ホントここ数カ月の出来事だし、それまででは絶対に考えられないことだった。
その先へ
べつにこんな自己開示をしようと思ってコラム書きかけたわけじゃないのに。
今までも何度も書いては消して、書いては消してしたのは、やはり「自分」を知って欲しいという思いがどこまでも消えなくて。
でも怖くて、受け入れてもらえなかったら・・・二度と口を聞いてもらえなかったら・・・って思うと出せないままで3か月が経った。
なぜかやる気の出ない今日を変えるために書き始めたコラムが、今まで下書きに書き連ねたどんな文章よりもまっすぐで、かっこつけないままで、ありのままで書けたのかもしれない。
亡くなった後も僕を縛る「父親」という呪縛。今となっては昔の尊敬していた姿しかないのに、深く突き刺さる父親の言葉、生き方が自分を縛る。
自分なりに一生懸命やってきたことを、人に言うことは「自慢」や「エゴ」になると思ってた。でももうその呪縛から自分を解き放ってもいいと思う。
そのことで父親が生きた証を踏みにじるわけでも、貶めるわけでもないから。
きちんと尊敬したうえで、自分は父親とは違う人間だから、考え方も生き方も違うということを再認識するだけだから。
そして、その先にあるものを見つけたい。
これだけ苦しんだから、あとは楽しむだけー!なんて楽観視もしてないし、今までが可愛く見えるような困難がこれからやってくるかもしれないし。
それでも、闇の中で腐ってた20代、復活したと思ってまた闇に落ちた30代前半、すべてを諦めて無になろうとした30代後半。
父親の死をきっかけに、一気に自分の周りを包む空気がすごい勢いで流れ始め、がむしゃらに走り続けた3年間。少し余裕が出てきたときに、その隙間に入り込もうと昔の闇が自分の周りを囲みだし、そこから逃げるようにして入ったPROGRESS。
そのPROGRESSの先にあるものを見つけたい。