【小説】朝焼けの空に

執筆者 | 21/10/04 (月) | コラム

2019年11月入会、アリスカーナの末永浩です。

読書の秋ということで、小説など需要あるかなって思って、以前に書いた小編を投稿します。

感想などいただけてモチベーション上がったら、新作なども書くかもしれません(笑)

ではどうぞ。


    「朝焼けの空に」

 一日の大半を高温多湿の調理場で過ごす島袋にとって、既にクリスマスムードに沸き返る世間の季節感は全くの他人事であった。
 今日は珍しく客引けが早く(たまには早目に店を閉めるか。)などと過ぎった考えを打ち消す様に、カウンターからオーダーが通る。
「ラーメン一丁。」
 島袋は忌ま忌ましそうにでっぷりと太った重い腰を上げると、中華鍋にもやしを一掴みぶち込んだ。
 炒めながら、ちらりと客席が並ぶホールを見遣ると、がらんとした店内に、いつの間に来店したのか一人の男が鎮座しているではないか。
 その佇まいに何故だか分からないが不安が兆すのを感じた。
 しかしすぐに忘れ、いつもの手順で横柄に仕事をこなし、出来上がったラーメンを無言でカウンターに置く。
 島袋にとって料理とはあくまで生活の為の手段であり、料理人の気概なんて物はとうの昔に生ゴミと共にカラスの餌になっていたのだが、にも関わらず、ここ広東飯店の信者は多い。
 旨いとの評判を聞きつけて、口コミでいくらでも客が集まってくるのだ。
 それが島袋の増上慢な態度を助長しているのは否めない事実であろう。
 今しがた使った調理器具を洗浄しながら、島袋は再びホールの客に目をやる。
 スープを一口。
 その深みを確認する様にゆっくりと口内の液体を飲み下すと、男の顔から満足そうな笑みが零れた。
 島袋はフンと鼻をならし、まるで当たり前だと謂わんばかりのふてぶてしい態度で店仕舞いの準備に戻って行くが、後を追う声に引き止められた。
「あのー。」
「なんだ?」
 島袋は面倒くささを隠そうともせず、威嚇する様に振り返ると。
 その視線の先、カウンターの上には、先程のラーメンがほとんど手付かずのまま帰って来ている。
「あちらのお客様が炒飯を注文したいと…。」
 五年間この店でホール係をしている青木敏子は、島袋の性格を熟知している。
 確実に訪れるであろう爆発の瞬間に備えて身構えたのだが、島袋は既にその場所にはおらず、真っ赤な顔でホールの客に向かって行くところだった。
「俺の料理が気に入らねぇなら、すぐにこの店から出ていきやがれ。」
 およそ客商売をしている人間とは思えない言葉である。客はいくらでもいるんだという思いを隠そうともしない、明らかに思い上がった態度だったが、それを受けた男の方には全く動じるところが無い。
「炒飯を頂きたい。」
 抑揚の無い声で、自分の要求だけを島袋に伝えた。
 チッと舌打ちだけを残して、島袋は踵を返す。
 一応は料理人の端くれ。通ったオーダーは誰が相手でも作ってやるという気持ちはある様だ。
 それに注文されたのが炒飯というのも良い方に作用した。
 かつて、炎を操る事に掛けては天下一品。炎の料理人と謳われた島袋にとって、自分の持ち味を最も活かせる料理こそ炒飯であったのだ。
 だが、島袋の渾身の一品はその思い虚しく、三分の一程を食されただけで再びカウンターに戻って来る事になる。
「あのー。」
「なんだ?」
 先程よりやや力無く答える。
「今度は回鍋肉定食だそうです。」
 チッと忌ま忌ましさを表に出すものの、島袋は少しく恐怖感を募らせていた。
(何なんだあの客は?)
 最初に男を見た時に感じた不安感を思い出し身震いしながらも、淡々と調理をこしていく。
 その後、そんなやり取りを何度繰り返した事だろう?
 時計の針は既に午前3時を示している。
 いつもならば夢の中をさ迷っている時間であるが、なぜ俺は鍋を振るっているのだろう。
 ホール係の青木敏子は随分と前に、終電が無くなるとの理由から帰ってしまっている。
 疲労と睡魔で朦朧とする意識に逆らいながらひたすらに炎と格闘していると、遠い遠い修業時代の自分とシンクロしていく。
(ああ、あの時は毎晩がこんな感じだったなぁ。)
 辛くて辛くて、何度も投げ出そうとしたが、夢だけでなんとか踏ん張れた時代。
 どんな人も一口で幸せにする、そんな料理が作りたいんだと、翌日の仕込みに残すべき体力の事も考えず、朝まで仲間と語り合ったっけ。
 何十年振りかで思い出した感覚。
 この数十年で蓄えた脂肪はそのままだが、心に付いた贅肉は綺麗に洗い流されて行った。
(あの男を満足させたい。)
 そんな気持ちの変化を反映する様に、下げられる皿に残る料理は減って行った。
「ホットケーキを頂きたい。」
 島袋は一瞬我が耳を疑った。
が、男の言葉に迷いは全く感じられない。
 ここまでのやり取りで、男の嗜好はなんとなく把握出来ている。要は技術云々じゃないのだ。料理に対する熱意こそが、この男の食欲の源なのだ。
「かしこまりました。ただ、何分不慣れなもので少々お時間を頂きたい。」
 対して男は黙って頷いた。

 

 東の空が白み始めた街に、男は消えて行った。
「旨い。」という一言と供に、完食されたホットケーキの皿がテーブルの上に置かれている。
 島袋の両の目からはとめどなく熱い物が流れ続け、溢れ出す思いを、心に留め置く事敵わず、窓越しに煌めく朝焼けに向かって叫んだ。
「食い逃げだー!!!」

執筆者 | 21/10/04 (月) | コラム


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