娘が小児ガンになって、幸福度が上がった話

執筆者 | 21/10/08 (金) | コラム

2年前(2019年)の冬のとある日、当時小学1年生の長女が小児ガンになりました。

突然の40度の発熱。「もしかしてインフルエンザかな?」と考えながら
一旦、クリニックで診断を受けるも、陰性とのことで、しばらく様子見。

しかし5日が経っても熱は収まらず、おまけに夜中じゅう、鼻血が止まらない状態に陥り、急いで紹介された大学病院に駆け込み、血液検査を行いました。

検査の結果、長女は小児癌を患っており、重篤度次第では命を失う危険があると、
医師から告げられたのです。

数万人に1人の特殊な病気、なんで、よりによって娘が…

その後、救急車で世田谷区の難病専門の病院に移り、治療に専念することが決まりました。

長女は病気の苦しさと、学校の友達に会えない悲しさで、胸が一杯になり
毎日のように病室で涙を流していた姿は今でも忘れられません。

それからは家族の生活も一変しました。

当時は自分も、寝る間も惜しんで働く日々で、土日返上で全国出張、
夜は毎晩、顧客や友人と浴びるように酒を飲み、深夜に帰宅するという有様。

仕事も遊びも全力投球できる男が一流なんだ

まっすぐ駆け抜けるレールの中に、娘の姿はありませんでした。

子育て?

保育園・学童・シッター、東京にはなんでもある。プロに任せればいいじゃないか。

そんな言葉を盾に、自分のやりたいことをひたすら追求するだけの男に
神様は喝をいれたかったのかもしれません。

長女の入院以後は、仕事を定時で切り上げ、妻と分担しながら、毎日病院に通う生活になりました。

なんてハードな生活なんだ。。。はじめはそう思いましたが
いつのまにか、病室のドアを開けたときの、長女の嬉しそうな笑顔が、
毎日の楽しみになりました。

2人でマリオパーティーしたり、好きなポケモンの話を聞いたり、カップラーメンを分け合って食べたり、色んな過ごし方をしましたが全部、「それまでやろうと思えばできたこと」なのかもしれません。

その後、長い闘病生活を経て、手術(骨髄移植)は成功。
入院から丸一年が経った2020年の冬、退院の日を迎えることができました。

あぁ、本当に良かった。

退院した日の夜、1年ぶりに娘と同じベッドで寝た日は忘れられません。

朝目覚めた後も

ちゃんと隣にいるよな?,,,

ふと過ぎった不安から、静かに眠る長女の姿を確認して、ほっと一安心。

「生きてるだけで幸せだよ」

よく見聞きする言葉ですが、娘の難病というアンラッキーがなければ
一生、実感できなかったかもしれません。

今は退院したてだから、慣れてきたらこの気持ちも薄れてしまうのかな・・・
なんて、実は思っていたのですが、退院から更に約1年経った今でも、
毎朝、長女の姿を確認して、ほっこりできています。笑
(本当の幸せは、時間が経っても逓減しないのか・・・)

今や、長女もすっかり元気になり、毎日学校で
他の子供達と変わらず、楽しく過ごしているようです。

こんな学校に行かせたい。
これからは〇〇を学ぶ時代だ。
病気になる前は、父親として、子供の教育についても
こだわって、変に思い悩んでいたことも、たくさんありましたが
正直今は、どうでも良くなっています。(語弊w)

自分も子供もいつか死ぬ。

後悔をしない人生を送るためにはどうすればいいんだろう?

死や人生・お金について、改めて考え直す中、
最近読んだ「DIE WITH ZERO」という書籍で、
人生で一番大切な仕事は「思い出作り」だと記されていました。

達成や成功を追い求めることも時には必要だと思いますが
ゴールに囚われず、人生の道のりそのものを「思い出」として
もっと楽しもう。

そう素直に思えるようになったきっかけは、あまりにも苦いアクシデントでした。

執筆者 | 21/10/08 (金) | コラム


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