先日、アリスカーナクラス内で初めて研修ミーティング配信を行いました。
目的は新クラス特番アリスカーナスタジオの番組プロモーションの一環で、”番組の宣伝用画像をみんなで作ってみよう”という研修というよりもワークショップのような形式の配信でした。
クラス内での発信だったのですが、内容的にはTV配信のサムネイルなども日々作っている多くのProgressメンバーの方の少し参考になるかなぁと思い、研修内で紹介したデザインの考え方についての部分を抜粋してコラムにしようと思いました。
簡単ではありますが、「デザインってこういう意図があるんだぁ」とか「こう考えればいいのかぁ」みたいな気付きのきっかけになれば幸いです。
もしこのコラムを読んでもう少しデザインを踏み込んで学んでみたいという考えになった方がいらっしゃったら、超有名な本ですが以下の本もオススメです。
なんか、デザインって懸念されがち
デザインと聞くとどのようなイメージを持たれるでしょうか。
ほぼ初対面のような人に「お仕事はどんなことされてるんですか?」と聞かれて「デザインをやってます」と言うと「へえ、センス良さそうですね」とか「はぁ。自分は全く絵心がなくて」と言われます。
そこにはまだ成熟していない人間関係の間に存在するある種の配慮などが多く含まれているのだと自覚しつつも、毎度このような返しが来ることから読み取れるのは「デザインってなんかとっつきにくそう」という認識と「デザインに関心がない」のだろうという気持ちです。
デザインってなんか小難しそう、自分には関係ないしこれ以上ここの話を深堀るのは得策じゃない、
そう言った心がちょっこり透けて見えてしまって寂しくなったりします。そのため自分も職業を聞かれたときはある程度の関係性がある人以外には少しぼかして伝えるようになりました。※IT系です、とか。。
もちろん考えは人それぞれですべての人がデザインを学ばなければいけない!と押し付けたいとは思いません。
しかし、前述のような「デザインにはセンスが必要」とか「絵心がないとデザインはできない」などと言った誤解から「デザインは自分には関係ない」という認識が蔓延しているような現状にいくばくかの居心地の悪さを感じていました。
デザインは難しくも敷居の高いものでもないし、デザイナーを遠ざけないで、、と
デザインはみんな毎日やっている
Designと英和辞典でひくと「設計」という訳語が出てくることからも、デザインとは広義の意味ではある目的に向かって事象を構造化し、解決させていく設計行為そのものです。
身の回りのあらゆる人工物は何かしらの目的をもってデザインされており、デザインから逃れて生きることは不可能です。
また、なにかの目的を持って行われる営みをデザインと定義するのであれば、私達は誰もが日々デザインを行って暮らしているとも考えられます。
若干話が脱線しますが、例えば友達と雑談をするにしても「このエピソードを話すにはどのような流れで話そうか」とか「だいぶ自分が喋りすぎてしまったから相手の話を聞き出してバランスを取ろう」とか、頭に様々な目的が浮かんではそれを達成するための具体的な施策を瞬間的に誰もが行っています。
前述の定義で言えばこれも「デザイン」と言えると思っています。
ここまで大きいことを言うとデザイナーのポジショントークにも思われるかもしれませんが、昨今のデザインという言葉の認識はこのような考え方に立脚しています。
デザインは0から見たこともない新しいナニカを生み出す行為ではありません。
今ある情報を整理して、課題を理解し、解決への道筋を考えながら手持ちの手段を駆使して前へ進んでいく。
その点では思考プロセス部分を切り取ればプログラマーなどに近い職種であるように感じます。
そこにはセンスも絵心も必ずしも必要なものではありません。もちろんあるに越したことはないのですが、それはプログラマーも同じでしょう。
プログラマーと言うとそれも縁遠い存在に思うかもしれませんが、。前述の通りデザインは日常の様々な場面で必要に迫られます。
意外と会社でも使うデザイン
例えば会社のプレゼン資料。パワポやKeynoteでデータをまとめ、誰かに伝えるという場面があるのではないでしょうか。
特に中堅以上のサラリーマン管理職となると、職種に関わらず社内でそういった機会が増えてくるでしょう。
「人は話し方が9割」のような本もありますが、人は人が話す内容自体よりも、その人の声や抑揚などの話し方によって印象を左右されやすい非常に非合理的で感情的な生き物です。
プレゼン資料で言えば、資料の中身(情報)はまさしく「話す内容」であり、デザインは「話し方」に相当すると考えます。
でも社内で人になにかを伝えようと資料を作る場合、どうしても資料の中身に労力を割きがちで、どう伝えるか、について時間を割くことをなかなかしないのではないでしょうか。
もちろん大事なプレゼンであれば内容だけでなく、話の流れや話し方など事前に練習することはあるでしょうが、「その人がどう話したか」についてはその現場に居合わせないと伝えられません。
しかし、プレゼン資料は社内でひとり歩きしていき、いろんな人の目に触れることが多くなります。
そのため、プレゼンにおいての「話し方」だけでなく資料自体の「話し方」、つまりデザインにも配慮をすべきと考えます。
前置きが長くなりましたが、、本題に移りたいと思います。
※ここから本題※最初にコンセプトを考える
前述の通りデザインには必ず目的があります。デザインを行うには、必ず最初にこの部分の整理を行います。
今回の場合は「アリスカーナスタジオという新クラス特番を多くの人に告知したい」というものです。
ただそれだとあまりに漠然としているため、より解像度を上げる必要があります。
「誰に告知したいのか」「どのような気持ちを鼓舞したいのか」「どのように届けるのか」
こう言ったことを一つ一つ掘り下げていき、目的よりも解像度の高いコンセプトを考え出します。
コンセプトの達成こそが、あらゆるデザインの最終目的地になります。
本来はこういった議論をクライアントなどと話し合いながら1から作り出していくものですが、今回は便宜上グラフィク作成への4つのコンセプトを予め指定しました。
コンセプトを表現する方法を考える
ここからがようやくデザインです。簡単ですが、それぞれのコンセプトに対して、「こんな感じの施策があるかもよ」という内容を説明しながらデザインの意図や見方のようなものを共有できたらと思います。
文字の配置のしかたや画像の選び方で受けてのイメージをコントロールできることを理解いただけたらと思います。
●Concept1:強く主張する
伝えたいメッセージを見る人に強く伝えたい場合、どのようなデザインが考えられるかを考えてみたいと思います。
このビジュアルからコンセプトを体現するため、どのような部分にデザインの工夫があるでしょうか。
※もしよければ少し考えてみてください
ここではまず大きな文字と赤や黄色と言った目立つ色を用いることでひと目を引くデザインを作成しています。
また、斜めの線を意識したビジュアルは動きや強さを連想させるため、積極的に取り入れています。
文字を斜めに配置し、さらに後ろに三角形のオブジェクトを配置させることでビジュアル全体が斜め右上に伸びているようなデザインを行っています。
それに応じで、背景のビジュアルの選択も動きのある写真や画像を選択すると良いと思います。
Concept2:クールに発信したい
次に伝えたいメッセージを見る人にクールに伝えたい場合、どのようなデザインが考えられるかを考えてみたいと思います。
このビジュアルからコンセプトを体現するため、どのようなデザインを意図しているでしょうか。
※またよければ少し考えてみてください
この場合は前の案とは対象的に、文字をきちんと配列させて整然とした印象をもたせています。
上の図の赤枠のように、画面の要素を一つの箱の中にまとめる意識を持つと画面全体が整い、落ち着いた印象になります。
なんとなく入れている左の縦のラインもこの整列感を強調させるために入れてみました。
人は絵を認識するときに無意識的に上の赤枠のような「見えない枠」を意識していて、デザインをする側もその見えない枠を念頭に置きながらその枠に要素を収めたり、逆に枠からはみ出したり列を乱してみたりすることでデザインの印象をコントロールすることができます。
書体もそれに合わせて、細身で装飾の少ないものを選んでいます。
Concept3:耽美に魅せたい
この場合どのようなデザインが考えられるかを考えてみたいと思います。
このビジュアルからコンセプトを体現するため、どのようなデザインを意図しているでしょうか。
※またよければ少し考えてみてください
このビジュアルの最も大きな特徴は「余白」です。
文字やロゴをを小さく配置し、余白を大きく取ることで静かでリッチなイメージを作っています。
余白を大きく取るために、画面に必要な要素を1部のブロックにまとめることもしています。(右下の赤枠)
今回は中心となる人物を起点に、必要な情報を右下のエリアにまとめつつ、ビジュアルのメッセージは上の大きな余白の中に配置させました。
Concept4:親しみをこめて伝えたい
続いて、この場合もどのようなデザインが考えられるかを考えてみたいと思います。
このビジュアルからコンセプトを体現するため、どのようなデザインを意図しているでしょうか。
※またよければ少し考えてみてください
こちらはConcept2とは対象的に、文字やオブジェクトの配置の仕方をあえてバラバラにすることで動きやポップさを訴求しています。
また、Concept1の場合は文字を大きくすることで、主張を全面に押し出すような力強さを出しましたが、今回の場合は文字の大きさや色味などを抑えめにすることで画面全体の圧力を下げました。
「どんな話し方なのか」で考えてみると方針が見えてくる
以上のサンプルはあくまで一例ですが、自分が作りたいビジュアルのコンセプトが固まったら、そのビジュアルを人に例えて「どんな話し方なのか」を考えながらデザインを行うと良いと思います。
声を荒げて発声しているのか、落ち着いて静かに語りかけているのか、、このようなことを念頭に置きながらフォントを選んだり配置を考えたりするとデザインへの具体的施策が浮かびやすくなる気がします。
デザインが「問題解決」であってたまるか!
最後に、このコラムで最初に述べたことを自分で否定して終わりたいと思います。
昨今デザイン思考などでデザインの「問題解決」の側面ばかりが持ち上げられています。
デザインこそが問題解決の最高の方法論だ、という主張です。
そして、このコラムの前半もその論調に則って書いていました。デザインにはセンスも難しい知識も必要ないものです、とかきました。
しかし齋藤の本心は「問題解決だけがデザインじゃないし、センスも難しい知識も必要」です。
デザインの問題解決の側面だけを取り上げれば、このコラムのようにデザインのほとんどを言語化、ノウハウ化できてしまうような錯覚に陥ります。
しかし、このような言語化可能な問題解決が使命であるとすると、デザインとは誰もがコピー可能なものとなり、世界中が「正解のデザイン」であふれかえり、「真理のデザイン」へ収束していくことになります。#真理というとちょっと宗教感ありますが、
果たしてそのようなデザインなんて存在するのでしょうか。
先人の知識を身につければ、誰でも先人を超える「正しい」デザインが生み出せるのでしょうか。
この世に残っている伝説的なデザインの数々は、ロゴマークなどを筆頭にシンプルで洗練されているがゆえに誰でも思いつけば作れてしまうもののように感じられます。
しかしデザイナーとして仕事をするとそのデザインに内在する思想、深く広大な思考、線の一本一本へ注ぎ込まれた魂に圧倒され、自分の知識世界との次元の違いを感じさせられるものばかりです。
語弊を恐れずに表現するのであれば伝説的なデザイナーは往々にしてそのデザインの中に、「個人のエゴ」や「極端な価値観、思想、偏愛」を織り込んでいるように感じます。それは「問題解決こそが至高」とするデザイン思考的な考えとは逆行するものです。
そしてその思考の偏りにデザイナーとしての作家性のようなものが反映され、それが人々の心を深く揺さぶるものになるのだと考えます。
デザインとは「世の中の課題を構造的に解析した上での問題解決に最適化されたものであるべき」という主張と「デザイナーの高度な感性に則った美的なものであるべき」という主張がしばしば衝突します。
前者が昨今のデザイン思考的デザインな主張であり、その反論としてはここまで私が述べてきたような主張があります。
しかし一方で後者に対しては「デザイナーの感性などといった抽象的なものに事業は委ねられない。デザイナーの感性と言っても結局は作り手と決裁者の好みの問題になるではないか」という反論が上がります。
この論争は非常に示唆に富んだものでありデザイナーの中でも意見が分かれるものなのですが、私個人の意見としてはこの2つの主張のどちらも正しく、そのなかでこれらを「ゼロ・ヒャク」で考えるのではなくどちらの主張も認めた上でデザイナー個人の中でゆっくりと消化しながらデザイン行為を行うべきと考えます。
で、結局こいつ(私)はなにが言いたいんだよ、、ということなのですが
このトピックで少し鼻息荒く主張強めなことを書いたのは、個人的に昨今の「デザイン=問題解決」の図式ばかりが強調されている風潮に問題意識があり、もう少しデザインという概念を広く捉えてもらい、デザイナーも非デザイナーも関係なくみんなでデザインを議論できるような社会なればいいなぁと考えているからです。
そんなことを考えさせられる素晴らしい1冊を紹介してこの長い長いコラムを終わろうと思います。
MAZDAをデザインの力で再生させた前田育男さんの著書で、このデザインとは「問題解決」なのか「美しさを追い求めるもの」なのかの葛藤を大企業の中に存在する大きな障壁と戦いながら大きな成果を上げる姿に感動するとともに「デザインとは何なのか」という本質について非常に考えさせられる本です。
https://amzn.to/3FwiukE
軽い気持ちでかき始めたのに毎回ダラダラと長くなってしまい途中で自分で心が折れそうになりながらなんとか今回も書ききりました。、
今後ともよろしくお願いいたします。
齋藤智成(とも)
https://twitter.com/PROGRESSsaito