どうも、引きこもりコラムニストの最内翔です。
こちらでは朝のHRでの話題について、引きこもり視点で語っていくコラムです。
今日の話題は
・歴史上の暴君から学ぶ
・囲い込みの恐ろしさ。兼聴の大切さ。
・YouTube大学のメンバーシップ
~特別講師を招いての対談収録~
ざっくりとこんな感じでした。
ここからはHRを聞いた上での著者の感想になります。
今日いつものようにHRに参加し終えてランニングに行きつつ、コラムに書く内容を考えるため振り返っていました。
一番書きたいと思ったのは兼聴についてだったのですが、具体的に何を書くか思いつかなかったんですよね。
ここ最近の中田さんの思考は完全に次のステージに行っていて、私のまだ踏み込んでいない、知らない世界に行ってしまっています。
それは別に悪いことじゃないんです。それもまた中田さん自身の進化でしょうから。
でも兼聴についての話はなんか引っかかった、正確に言えば一度これに近いことを自分自身でも考えた事があった気がする。
そうやって思い返していると、思い出しました。
今日は「ひきこもりに必要なのは”偏聴”力」という内容について語っていきます。
「引きこもり」のイメージ
まず最初に、皆さんは「ひきこもり」というとどういった人物像を思い描き、どういう人だと定義しますか?
是非一度読むのを止めて、考えてみてください。
厚生労働省の定義ではざっくりいうと、ひきこもりとは「3ヵ月以上家の外に出られていない人」って感じに定義されています。
まぁ納得した人も多いのではないでしょうか。
そしてイメージされたのは
「灰色のスウェットを着て、カーテンがかかりモニターの光だけがある暗い部屋にこもり、
部屋の前に『ご飯できたよ』と母親が持って来れば『うるせぇババァ!』と怒鳴る男性」
そんな人物像では無いでしょうか?
まぁ、それも間違ってはいないです。
ですがこの定義は間違っていると思いますし、このイメージというのは一例でしかないと断言します。
引きこもりの実態
「引きこもり」に分類される当事者の定義、それは
「能動的に行動することが出来なくなった人」
だと私は考えています。
外に出れなくなったのは結果でしかありません。
こんなクズな自分が外に出たら、「世間様」になんて言われるか、思われるか。
そう思うと怖い。あと単純に外に出ても使うお金が無い。
だから外に出れなくなるのです。
実際抱えている問題は同じですが、「外こもり」と呼ばれるタイプの人達も居ます。
主に東京などの都会に見られるタイプで、部屋の中に引きこもるのではなく必要最低限以外はなるべく外に居たいという人達です。
都会であれば基本的に他人に対する興味が薄く、外に出ても無視してくれるという安心感があるからですね。家は逆に家族がいるから居づらい。
引きこもってる間何を考えているかと言うと(こんなに明確に言葉になてはないですが)、
「何かやろうとして責められるのが怖い。なるべく迷惑をかけたくない、というか居ない物になりたい。消えたい。でも死ぬのは怖い。だから部屋の中に籠って、誰からも気付かれないよう息をひそめていよう」
こんな感じのことです。
そしてこんな風に自分を責め続けることでエネルギーの殆どを使い果たし、何も行動できない。
勿論全員がそうだと一括りに出来るものでは断じてないのですが、そういうタイプは多いと思います。
じゃあなんでこんなに、全てに対して怯えているのか。
ここからが本題となります。
1/1は100%
引きこもりになる切っ掛けは様々ですが、分かり易いのは以下の原因でしょうか。
・親の虐待(或いはそれに準じる過度な厳しさ)
・同級生などからの虐め
・上司からのパワハラめいた叱責
そして大抵の場合、それらの他者からの言葉の中に強烈な人格否定が含まれます。
こういった人格否定の言葉を投げかけてくる人って、クラスぐるみの虐めとかで無ければ実は言ってるのは両手の数で足りるはずです。一人二人の場合も往々にしてある。
でもこれは誰もが経験したことがあると思うので今更説明するまでもないと思いますが、精神的に追い詰められている時は非常に視野が狭まります。
そんな精神状態の時、もし逆に慰めて肯定してくれる人が居なかったとしたら、それは1分の1。つまり100%の人の言葉だという風に認識してしまうことがあります。
例えその人に同情していたとしても、声をかけないと無いもののまま。
あなたを含む全員が自分を責めているのだと思い込んでしまう。
そしてその状態が続き、当事者の中でこの思い込みが熟成されていくと1分の1は1億分の1億へと、「世間様」皆が自分を責めているという認識に変わって行く。
しかも恐ろしいことに、その自分を責めている人々の中に、紛れもなく自分自身さえも含まれている。
そうなるともう、動けなくなるのです。
低いレベルでも偏聴は問題
ピンときましたか?
そう、ある意味今日の「偏聴」と流れが似ているのです。
暴君は傾城の美姫によって、新興宗教にハマった人が教団によって、それが引きこもりは自分自身の視野狭窄によってですが、同じように今の自分の考えが世の中の全てで真実だと思い込んでしまう。
そうなると自分自身で他の見方の意見を探そうともしなくなり、信じられなくなり、場合によっては強烈な反発を発現させる。
親への癇癪とかはこの段階ですね。
ある意味引きこもりは「自分の人格否定をした強い言葉に偏聴している」とも言えるわけです。
勿論全員がそうだとまでは言いませんし、当たり前ですが強い人格否定をされたからってそれを偏聴してしまう理由にはまだ色んな要素があるのですが。
×「引きこもりに必要なのは兼聴力」
それなら必要なのは兼聴力なんじゃないの? そう思われた方もいるかもしれないですが、私は今の所、むしろ偏聴力だと思っています。
兼聴するというのであれば、それはつまり選り好みせず色んな人の意見を聞く、という意味ですよね?
一番初め、皆さんは引きこもりをどういう存在として想像していましたか?
その上で当事者に、なんて声をかけたと思いましたか?
「皆頑張ってるのに根性が足りない」
「分かるよー。辛いよねー」
「あー、そうなんですね……。頑張ってください……?」
こんな言葉だったりしなかったでしょうか?
これらの言葉をかけられたとしたら。
責められたり、自分の苦しみを一言で片づけられたり、気を遣わせてしまったら。
余計に1億分の1億であることが補強されていってしまいます。
「同じでは無いけど似たような経験したことあるし、分かる気がする」
「そんなに自分を責めなくていいよ。ここにいるだけでいいんだよ」
もしそういう言葉を貰えたとしても、1億分の1とか2でしかないと信じ切れないのです。
だからあんまり、事態は改善しない。少なくとも私はしてこなかった。
〇「引きこもりに必要なのは偏聴力」
だから今私は、必要なのは偏聴力だと思って生活しています。
自分の認識が相当に不信に寄っていることを自覚し、
そしてそのカウンターウェイトを取るように、敢えて自分を肯定する言葉だけをして聞ける環境を作る。
勿論、ともすれば危うい行動ではありますが、それに気づいて一年程経った今でも自己肯定感は低いままですから、まぁそう簡単に逆に振れる事はないんじゃないでしょうか。
今回の話はガッツリ引きこもりの話題で、おそらく殆どの人にとって想像もしない世界の話だったのではないでしょうか。
でも意外と冷静に説明されると理解も出来る、大事な所で足を踏み外していたなら自分にも在り得る話としても認識していただけたのではないでしょうか?
一応私がやりたいと思っている事の一つに「ひきこもりのイメージの更新」と「なりかけた時に何からやったらいいかの取っ掛かりの情報拡散」というのもあるので、今日はこんな記事を書いてみました。
今後も、そして以前の幾つかの記事も似たような趣旨で書いておりますので、宜しかったら是非ご一読ください。
TRPG同好会 説明会!
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いつか、「生きてて楽しい!」と笑顔で言えるように。
明日もまた、投稿したいと思いますので良かったら是非またお越しください!