PGから、あのころへ

執筆者 | 21/10/28 (木) | コラム

 

入会一年を迎えて

 

プログレスに入会して一年が過ぎた 

 

自分で自分が積極的なのか消極的なのか 

八方美人なのか人見知りなのか 

どうにもわからない 

 

分かっているのは間違いなくリーダータイプではなく 

みんなと楽しくほのぼのが好きで 刺激を求めるタイプではないということ 

 

プログレスは どんな参加の仕方でも楽しめるので 

私は私の身の丈で楽しもう 

忙しいときは ホームルームも概要を読むにとどまる日もあるし 

Zoomもなかなか入れないけれど 

運よく 時間がとれたときには 

いつでも暖かく迎えてくれる場所と人があり

あっちゃんもZoomでお見送りしてくれる 

 

生きてて幸せと思う瞬間が いつもプログレスにある 

 

 

そういえば 

 

朝も夕もなく髪の毛も振り乱して 

必死で育児をしていたころから どうやら 

過去をみなくなった 

 

「今」に必死で乳幼児といたころは 

その場その場が必死すぎて 

今しか目に入らなかった 

 

そして今は プログレスで「今」この時が楽しい 

今を生きることが楽しい 

 

 

ありがたいことだなと思う 

 

 

ラウンジへ

 

そして先日 遅ればせながら ラウンジを利用してみた 

デジタル原始人の私には 最初の一歩の踏み出しが 

すごく勇気がいった 

 

 

もう そのころには 初心者に優しいラウンジ設計を 

有志の方々がされていた 

こうしたらいいよのガイドYouTubeもあった 

これもまた 開拓者の方々の恩恵だ 

ありがたい。私もなんとかできるかもしれない 

 

 

 あのころの私へ帰る

 

 

その日の朝のHRは 仕事から帰宅して 

アーカイブで見ていた 

 

あっちゃんが言っていた 

「矢野さんという方が ラウンジで矢野地蔵としているんです。 

矢野さんは もとシアターDという劇場で・・・」 

 

手が止まった  

 

シアターD 

 

 

「今」に100%支配されていた私の脳内が 

一気に20年以上前の あのころに帰った 

 

 

 

シアターDはそのころ 渋谷のセンター街にあった 

 

私の通学定期の範囲内だった 

卒業しても 通勤定期の範囲内にあった 

 

渋谷は経由地なのに  

バイトのない日は かならず寄り道をした 

センター街の あの雑多な雰囲気の中で 

雑音の中でも本は読めたし 

なんなら卒論の原稿も書いた 

 

 

ご縁があって あるとき 

シアターDのあるライブのチケットをいただいた 

センター街のあの大きなビルの近くだな 

その日なら 帰り道に寄れる 

 

 

なんだかすごく疲れた日だった 

一緒にいくはずの友人が 

やっぱりバイトにいくという 

 

一人になってしまったけど まあ いいか 

初めて踏み入れたその劇場で 

私は はじっこに座った 

 

たくさんの芸人さんが 次から次へと出てきた 

見たことのある芸人さんもいた 

チケットをくれた芸人さんもいた 

 

なんだか 私はそのときすごく 

一生懸命笑わせてくれようとしているステージの人たちに 

笑いながらもじんとした 

多分 大多数が同世代だ 

 

それから わたしは 

ことあるごとに シアターDへ行った 

一人でも平気で行った 

疲れた顔で劇場に入っても 

出てくるときは 元気になっていた 

笑いつかれてお腹が痛いこともあったけれど 

 

ラーメンズの第一回単独公演もそこで見た 

「日本語学校」というネタの 

8センチCDをご本人たちが劇場で売っていて 

並んで買ったな 

多分まだ実家にあるだろう 

第二回の公演は 人気過ぎてチケットが取れなかった 

 

 

ステージがすごく近くて 

手をのばせばとどきそうな 

ステージの中央上部のDの赤ランプ 

細い暗めの階段 

ひとつひとつ覚えていて 

 

 

2021年の私は 今まで振り返ることがなかった 

そのころの記憶が  瞬時によみがえった

シアターDという単語で タイムリープしたようだった 

 

「今」しか考えなくなって久しかった私は

押し寄せたあのころの感情と共に 言葉がでなくなった

 

 

 

 矢野地蔵さん

 

 

ラウンジで話しかけるというのは 

とても勇気がいった 

でも このためにラウンジに入ろうと思ったから 

勇気をだして 

黄色く かわいいバックのお地蔵さんになっている 

矢野さんのアイコンに近づいた 

 

 

「はいはーい やのでーす はじめまして」 

 

明るい声 難病を患いながらも 優しい声で 

矢野さんが 答えてくれた 

 

 

いえ、はじめましてじゃないんです 

あのころ、二十年前のわたし 

矢野さんのそばにいたことが絶対ある 

 

矢野さんが え?あのときいた?このときは?なんて 

いろいろ引き出してくれるので 甘えて 

もう止まらなかった 

 

話していて多分 

時系列もぐちゃぐちゃだけれど 

あのころの自分の貴重な居場所だった こと

あの場所がなかったら 

きっと乗り越えられなかったこともたくさんあった こと

そんなことをとにかく話した

 

20年以上前のお礼をしたくて話した 

 

矢野さんは喜んでくれて 

やった甲斐がありました、なんて言ってくださって 

 

 

さらにはそのあと あっちゃんがラウンジにいらして 

矢野さんとお話しされた 

 

「あっちゃんにお礼を言いたい 

シアターDのお客さんがいました こんな出会いのある 

プログレスを作ってくれてありがとう」 

 

 

矢野さんがそう言ってくださったとき 

 

もうわたしの涙腺が限界で 

崩壊したのでミュートのままにした 

返事もできずごめんなさい 

 

 

 

プログレスでこんなことがあるとは思わなかったので 

偶然に見えて必然だったかもしれない過去の自分との出会いに 

なんだか鼻の奥がツンとしたまま 

 

 

あっちゃんが  

ちょっと辛い思い出とかも 

年月がたつと ちょうどよく発酵されて 

いい感じにとらえることができることもあるよねと 

HRで言っていたことを 

自分も体感できた感じがした 

 

 

あのころの自分は 

今の自分のことだけ考えていたら 

発酵したことに気づかず 

なんとなく怖くて 

ただ封印していたかもしれない 

 

 

こんな出会いもありがとう  

 

 

プログレスにいたからこその こんな一コマ 

コラムに残していいですか と矢野さんにいうと 

「どうぞどうぞ 楽しみにしてますね」 

 

 

黄色いバックのお地蔵さんアイコンに 

見えないはずなのに ありがとう と手を合わせた 

 

執筆者 | 21/10/28 (木) | コラム


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