HRを聞けなくなった私が、それでもPGに居続ける2つの理由

執筆者 | 21/11/12 (金) | コラム

皆さんこんにちは。1月入会の鈴木リカです。

これまで、お酒の技術コラムを書かせていただいてきましたが、

ちょっと気分転換も兼ねて、よりフランクな新シリーズ?を書いてみましたので、よければご覧ください。

 

■1つめの理由

Twitterで落ち込んでいるメンバーさんに声をかけたら、想像以上に喜んでもらえる。

自分がしくじった、と思う時は甘えの気持ちでツイートしてみるが、

重かったか?かまってちゃんだったか?と気にする間もなく、軽快で心地よいコメントが返ってくる。

 

そして当たり前のことだけど「これがつながりってやつだよな」と思う。

 

わたしには特定の恋人はいないし、友達も近くにはいない。

家族とは仲が良いと思うけど、そのくらい。

(職場の人間関係においては、あやうく言及し忘れるレベルだ)

 

でも、いわゆる「家族、友達、恋人、職場」とかいう「人間関係の形態」は本質ではないんだよな、と改めて思う。

 

「恋人だから家族だから言わなくちゃ、しなくちゃ」「してもらわなくちゃ」とか考え始めてこんがらがっちゃうことってあると思うけれど、mustとかshouldのニュアンスが入ってきている時点で、シンプルで軽快に「ほいっ」と差し伸べられる手にはかなわない気がするのだ(家族とか恋人だとかいう「形態」の利があったとしても)。

 

ただ余力のある人が、すこしヘコんでいる誰かに、忖度も利害関係もなしに言葉をかける。

そしてwinwinになる。(それが狙いでなくても、結果的に)

 

そういうことこそ本質なんじゃないかなぁ、と思うのである。

私にとってPPROGRESSはそれを実感できる場所だ。

 

■2つ目の理由

そしてもう一つ、私には「だから私はPGに居続けてるんだな」と思う瞬間がある。

 

それは

そうだ私はこういうことが好きなんだ

こういうことがしたいんだぁ・・・!!!

と湧き上がるように思う瞬間である。

 

ちょっとガンバって自分の意見を表明してみた時、あるいはちょっと背中を押してほしい時。

 

良く見たら同じように過渡期にいる人っているものだし

あるいは過去にそこを通過した人のストーリーが共有されていたりもする。

 

そんな「自分に似た誰か」に自然と惹きつけられている下地があるから

少し踏み出してみた時に得られる応援や、踏み出してみたからこそ自分で気づけた納得感・手ごたえみたいなものが心地よい自分がいる

そんな自分に気づくことが、さらに次の段階へとつながる

 

そういった気づきのループが、がぁーっと、一気に、染み渡ってくる瞬間があって

そうだ私はコレがしたいんだ、まだもっとできるんだ、やりたいんだ

という勇気みたいなものが湧き上がってくる感覚を得られる時がある。

 

これは私にとって貴重なことだ。

そしてそんなとき、シンプルにふっと「あ、PGありがたいな」と思うのである。

 

■さいごに

最後に、タイトル回収を兼ねたネタばらしをしておきます。

 

私は2021年の1月に入会し、HRは欠かさず聞いていました。ところが途中で仕事において畑違いの部署へ異動になったことをきっかけに、HRが聞けなくなってしまいました。

気持ちが乗らない自分との乖離に、ついていけなくなってしまったのだと思います。

でもこれは、いわゆる「マッチョ観」に苦言を呈するものではありません

 

HRはPROGRESSの醍醐味の一つだと思います、しかしそれにアクセスする気力がなくなった時でもPROGRESSに居続けたのは、PROGRESSで展開される「コミュニティ」が同じくらいの価値あるものだったから、と思うのです。

そしてこの記事は、それってすごいよね!?ということを表現したくて、書いたものです。

 

HRを聞くのがいいとか悪いとかそういうことではなく
シンプルにPGで展開されるコミュニティってすごいよな、というのを
人生の半分以上理系である文才の無い人間が書いたらこうなるよ、というコラムでした。(*ノωノ)

 

文のリズムというかセンスというか、そういうものがなさ過ぎてすみません!

ここまでご覧いただきありがとうございました!

 

執筆者 | 21/11/12 (金) | コラム


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