何者かになる、とはなんなのか

執筆者 | 21/03/13 (土) | コラム

執筆:ササタニヤスヒコ

ということで今回はPUBLIC会員向けのコラムを書いていきたいと思います。これに関してはマジで方波見さんに知らされてなかったんで本当に配信が終わった後にすぐ書いてます。

私自身は去年の5月2日にプログレスに入って様々な活動をさせていただきました。

その中で非常に多くの楽しいことであったり、自分自身の失敗であったり、学びっていうのがたくさんありました。

当然、自分自身が何かチャレンジをすることで入れられる学びも多かったです。

ですが、それ以上にプログレスメンバーの方がチャレンジしていったり、こういってはなんですが失敗していったりっていうのを見させて頂いたことで、気づけたこと、学んだ事の方が圧倒的に多かったですね。

今回はそういったメンバーの方を、言っちゃなんですけど【観察する】ことによって自分自身が得た学びについてお話ししたいと思います。

今回、お話するのが【何者かになるとは何なのか】という話ですね。

当然あっちゃんの活動を見守りたいっていうモチベーションの人もいるとは思うんですけど

やっぱり YouTube 大学の最後の CM で流れてる「人は何者にでもなれるいつからでも」 ていう強烈なキャッチコピーに惹かれて入ってきてる人っていうのが多いと思うので、プログレスに入ってくる方っていうのは多くの方が何者かになりたくて入ってるっていう方が多いと思うんですよね。 

でも、この【何者かになる】っていうことをきちんと認識してる人ってのがいないんですね。

なんとなく有名になりたい、であったり。なんとなく収入を増やしてたくさんのお金を得たい、であったり。そういったゴールっていうのは何者かになるって言う観点で言うと全くゴール設定として成り立ってないんですね。

仮に実際そうなっても満足感を得られないし、まだそのレベルで正しいゴール設定ができてない人というのは当然そうはならない。

これ結論先にいっちゃうとプログレスっていう場所は自分にとって、何者かになるとはいったい何なのかというのを見つけられる場所なんですね。

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まあ僕は最近ですねシンエヴァンゲリオンっていう映画を見てきたんですけどもこの映画のテーマっていうのは庵野秀明監督が人生のゴールとは一体何なのか、自分は何者になるべきなのだろうかっていうのを追求した映画なんですね。

映画のネタバレなしで解説していきます。

庵野監督自身の結論としては三つの人生のベクトルというのがありました、と。

まず一つ目が「非常に平穏な世界で家族を作って子供を産んで幸せに生きていく」という生き方。これは作中の穏やかな村に主人公たちが入って、日常のなんでもない幸せを噛み締めるっていう描写で描かれてるんですけども、主人公の碇シンジ(庵野秀明)はこのルートを選ばなかったんですね。 

でこの平穏な世界で家族を作って子供を産んで幸せに生きていくっていう生き方ってまぁ昭和の生き方と言うかこれまでの価値観で言うと非常に正しいと言われていた生き方だと思ってまして。人間本来のあり方、生き方っていう点では非常に自然な結論だと思うんですね。

この家族を作るっていう結論は正解なんですね。

ここに関して異論を唱える人っていうのはいない。

明らかに何者かになってると言えるわけですね、少なくともパパであったりママという存在にはなれていると。

問題はこの日常に満足できない場合ですね。 

シン・エヴァの中ではキャラクターを使って、庵野秀明という人間はこういった平穏な日常というゴールで満足することはできないということが明示されます。 

二つ目が「永遠にクリエイターとして観客の奴隷であり続ける」という生き方ですね。

まあこれは言ってしまえば、永久にエヴァンゲリオンという作品。人気のある作品を作り続ける監督としての生き方ですね。

マーケットを最重要視し、 とにかく売れていくこと収益を上げること仲間を守り続けることこれをテーマにして生きると。

ルートで言えばお金持ちになって資産を得ていくいくみたいな生き方とも言えますね。

これまでのエヴァンゲリオンっていう虚像の象徴と、新しい庵野秀明との戦いっていうのがシン・エヴァのテーマです。

これも結論言っちゃうと、こういった生き方も作中のキャラクターを使って否定していくんですね。

最後の三つ目の生き方っていうのが、「虚像を捨てて生涯のパートナーとともに未知のチャレンジに挑み続ける」っていう生き方ですね。

それが、世界的にも評価されて圧倒的に有名なクリエイターとしての地位を得た庵野秀明監督の結論なんですね。

日常の平凡で綺麗な幸せに満足するわけでもなく、クリエイターとしての頂点を目指すためにひたすらユーザーの求めるものを作り続けるっていう生き方をするわけでもなく、ただ明日を生きていくと。

明らかに何者かになっていると他の人が見れば思う庵野秀明監督の結論っていうのが、 そんな結論なんですね。

これは中田さん自身もそういった生き方を選択し始めてるっていう話で。

本当に YouTube 大学をやり続けてお金をひたすら稼ぐっていう結論でもなく、ただ家族を幸せにしてそこに満足していくっていう結論ではなく、常に新しいゲームを見つけ続けて仲間たちとそこに向けて進んでいくっていう。

そういった方向に進んでいってると。

つまるところ、人間にとって最も不幸な事っていうのは「自分の能力を余らせてしまうこと」だとまぁ僕は個人的に思ってますと。

現状に満足してしまうっていうのもダメ。

やりたいことをやりすぎるのもだめ。売れることばかりやっていってもダメ。

ただ【前に進み続ける】っていうことが、何者かになるって言う事なんですよ。

つまり、何者にでもなれるがゆえに、自分を何者かであると結論づけてしまった時点で、何者かではなくなってしまう、という。

 哲学っぽい結論になってしまいましたけど。

自分はただ応援さえできれば満足だとか、 自分は今やってるチャレンジ、今やってる活動で満足してると。

そうなってしまった時点で何者かではなくなってしまっていうことなんですね。

今、自分にできる最大限のアウトプット。これを追求し続ける、 手を動かし続ける。これをやり続けてる人だけが自分にとって何者かになるとはなんなのかを追求できて人々を引き付けることができる。

そういった今の現状に対するあがきであったり、何とかしようとする動きっていうのが、 人間の魅力になり、何者かになるということなのではないかなと。

PROGRESSっていう場所は、自分にとっての「次のゲーム」は何なのかを探し続けられる、そういう場所だなと。

そんなこと思った今日でした。

以上です。

執筆者 | 21/03/13 (土) | コラム


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