【移住について・その現実】

執筆者 | 21/12/18 (土) | コラム

こんにちは、progressに入会して、ちょうど1年目のKyoko Hernandezことキョーキータです。

アーカイブでHRを聞き、もしかしたら、自分の体験が皆さまの参考になるかも、と思い書きました。お役に立てれば幸いです。

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  1. 移住に至った経緯
  2. 実際に移住して
  3. 査証(ビザ)について
  4. 英語プラス手にスキル
  5. 他の移住候補国との比較
  6. 後進国vs先進国
  7. 海外での日本人コミュニティ
  8. 今の心境

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1.移住に至った経緯

移住をしようと決めたのは、2000年です。

それまで会社員をしていましたが、当時まだ日本に色濃く残っていた、家父長制(男性優位社会)に対する疑問や、税金の高さとか、海外に住みたい、と長く思っていたことがきっかけです。

欧米系の人と仕事をすることの多い環境にいた中で、彼らが、人生を謳歌している傍で、同じ先進国と呼ばれながらも、いくら働いても、長期休暇が貰えるわけでもなく、駐在員として、どこかに派遣してもらえるチャンスがあるのでなければ、自分でやるしかないと考えました。

当時、働いていた企業には、帰国子女と呼ばれる女性がかなりいたので、片っ端からお昼に誘って、ヒアリングをして、情報をもらいました。以前カナダに1年いて、当時の仲間の殆どが、アメリカに移住していたので、そこに加われれば最高でしたが、大学や大学院に行ける財力のない自分に残された選択は、どこかで働くことでした。そして、そこで上がった候補が、当時の台湾、香港、シンガポールでした。

労働ビザも出してくれて、女性でも仕事を見つけて、働きやすい国。

中でもシンガポールが、私には魅力的でした。なぜなら香港は、その1世代前に、脚光を浴びてはいたものの、2000年には下火になっていて、台湾は、日本に近すぎて、ピンとくるものがなかったので。

ちょうどタイミングよく、シンガポールの人材派遣会社の説明会が、日本で行われたので、参加して話しを聞き、「何しろ行ってみること」を心に決めました。なぜなら、一度も行ったことがない国だったからですが、それじゃ、お話になりませんよね?

いささか突拍子もないプランでしたが、「本当にこれでいいのだろうか?」と言う、自分の中の不安や恐怖を振り切って、空で十字を切って、年度末で仕事を辞め、“2週間だけ”、と自分と約束をして、飛行機に乗り込みました。

「もし行ってみて、ダメだったら、戻ってきて、また就職活動をしよう」と自分に言い聞かせて。

さて、そうやって降り立ったシンガポールの第一印象がどうだったか。

それは、街が明るく、人が親切だと言うもの。好印象でした。

シングリッシュ と呼ばれる英語のアクセントには、正直ドン引きでしたが、わからなくもなかったので、まぁ、大丈夫かなと。

到着後は、現地に住む日本人女性の家に、短期貸しでお邪魔しました。実際に住む人に、実際の話を聞く方が早いと思ったからです。

渡星前に、現地のオンライン情報誌で、ステイ先を決め、日々、面接をこなしながら、彼女に現地の話を聞き、また色々なところに連れて行ってもらって、本当に助けられました。日本人女性が海外で働く、と言うことに関しても、たくさん論議を交わし、それまで、恵まれた環境でフワフワ生きていた私は、頭を殴られたような思いもしました。

また、「もし仕事が見つかった場合」のアパートを、先回って見てまわり、そこでも色々な話が聞けたので、2週間で、大まかな土地勘がついたり、国の概要を掴んで、なんとかいけそうだと、自信がつきました。

その後、人材会社のセッティングしてくれた面談のおかげで、無事、いい会社も見つかり、あれよあれよと言う間に、移住する運びとなりました。

2.実際に移住して

最初は全てが新しく、輝いて見えました。

皆さんもご存知のとおり、シンガポールは美しく整備された国で、程よい都会の中に、南国らしい、椰子の木などが植っており、オフィスの入ったウェスタンサイズの建物の、高層階からみる景色の美しさには、思わず感嘆の声が出ました。

“来て良かったな。”と思ったし、お昼休みに、ホーカーと言われる、世界中の食べ物が集まる屋台を巡るのも楽しみでした。

ちなみに当時私が住んでいたシェアアパートは、375ドル(当時の値段で2万2000円くらい)で、自分専用のトイレやシャワーがあり、建物内のプールで泳ぐ人はほとんど居なかったため(中華系の人は日焼けを嫌うので)快適な生活でした。(今はこんな物件はありませんので念のため)

アパートは中華系マレーシア人と、日本人女性とのシェアで、相性も良かったので、仲良く暮らしてました・・とここまで聞けば、良さげに思われそうですが、もちろんいいことばかりではありません。 

まず職場で、新卒のシンガポール人に、しょっぱなに言われた一言。

それは、「日本人は、そんなことも知らないんですか?」でした。

現地でNo.1の大学の新卒で、流暢な日本語を話す彼女は、呆れたように、そう言い放ちました。

現地の銀行のシステムについて、質問した時でした。

勝手に日本はアジアでNo.1だと思ってたのは単なる幻想で、色んなことが、当時の日本より、ずっと進化していることに気が付くまでに、さほど時間は要しませんでした。

内心ギョッとして、東南アジア諸国は、日本の跡を追う国、と思っていたその考えが、どこから来ていたものかを改めて考え、こう実感しました。

「メディアと教育だな」と。

ちなみに当時働いていた企業の、セクションマネージャーは、やはり、日本語が流暢な新卒シンガポール人でした。

社会経験もない彼らが自分達の上に立っていることに、一抹の居心地の悪さを感じつつ、日本より断然ランクの高い大学を卒業し、中国語、英語、日本語を、流暢に話す彼ら方が優秀であることは間違いなく、後付けで英語を勉強して、どう足掻いてもネイティブにはなれない悔しさ、頭の回転の早い中華系に英語で捲し立てられ、泣き寝入りをしたり、悔しい思いをしたこともあれば、「日本人って、本当にナイーブ(生存競争力が弱い)ね」と馬鹿にされ、悔しいけど、でも本当にその通りだな、と思ったこともあります。(その反面、日本人には、どの民族にも負けない、崇高な精神性があると思っていますが、それはまた別の機会に)

話がそれましたが、シンガポールの主要民族の一つであるマレー系はおっとりした人が多く、インド系は中華系同様、お喋りで頭が良く、私は、どの民族の人とも親しく付き合う機会がありましたが、違いが歴然で、それぞれが面白く、色々と勉強になりました。それぞれの宗教観について学んだのもこの時期です。

3.査証(ビザ)について

比較的大きな会社に入れたので、当然、労働ビザは取れるものだと思っていました。

と言うか、ビザの持つ重要性さえ、当時は深く考えていませんでした。

会社の言われるままに働き始めたものの、待てど暮らせど、人事から、ビザが取れた、と言う話を聞けず、不安が膨らんでいきました。

そのうち、「もう一度書類を出して」と言われる同僚が出てきて、蓋を開ければ、申請中に「書類を紛失した」のだと。

日本の企業ではありえない事実ですが、でも、海外に一歩出れば、こんなことは日常茶飯です。

いい加減だったり、出鱈目なことはたくさんあり、だから現在、移民申請している人で、何の音沙汰もなくてお困りの方がいたら、メールや電話だけではなく、zoomミーティングを申請して、サシで話したり、クリスマスにちょっとしたギフトを送るのでもよし、何しろ、担当者との密接な関係、そして“飴と鞭”をうまく使い分けて、確実な情報を掴む努力をされることをお勧めします。

ちなみに当時、4大卒は、しばらくして無事ビザがおりましたが、それ以外の学歴はかなりの時間がかかり、特に専卒の同僚は、結局最後までビザが降りず、しばらくして辞めました。(ご家族の関係で在住していたので、引き続き住んでいましたが)

移民局には、日本の大学の偏差値表があるとさえ、まことしやかに語られていましたが、今はどうなのか、わかりません。中田さんもH Rでお話されていた通り、国に取って、得になる、何を提供できるかが、基準だと思います。中華系の多くは、大きな資産を、移民希望国に預けることにより、80年代に、カナダやオーストラリアに移住して、爆発的にその数を増やしたし、お医者さんや技能職など、手にスキルのある人は、それだけで優遇されるケースも多いようです。その国が何を必要としているかを調査した上で、可能性があるかどうかを見極めることも大切だと感じます。

あるいは私のように現採(=現地採用)として働く方法もありですが、その場合、駐在員の方とは天と地ほどの給与格差があるので、あらかじめ納得されることを、お勧めします。

4.英語プラス手にスキル

現地で、観光客として、お金を支払う側である場合と、現地で、お金を徴収する立場である場合で、

語学力の必要性は多いに異なってくるように思います。

今やオンラインでお金を稼げる時代なので、そこに住む人からお金を徴収せず、母国でお金を調達できる場合は、現地の言葉を話さなくても暮らせるでしょうし(その代わり、ローカルとの交流の中に入っていけず、海外に住んでいる楽しさも制限されますが)その国の人が家族にいる場合は、家族に頼って、あれこれやってもらうことも可能でしょう。

華僑は世界中にあり、全く現地の言葉を介さずに、現地で食べて言っている人をたまに見かけます。けれど、そうできるのは、横同士の結束が固く、守り合っているからで、日本のコミュニティも、早くそうなれば良いなと願いつつ、現実的には、様々な事情が絡み、今まではなかなか、そうなり難かった背景があります。

観光客でさえ、道端であっても、お互いにそしらぬふりをし合うケースがあるのは、面白い事実だと思います。

ただ、それは過去の出来事であり、今や、中国、韓国に続いて、日本でも、ちらほら海外移住する人が増えており、また、現在progressと言う素晴らしいコミュニティにいる中で、国内外を問わず、質の良い横の繋がりを作っていくことは、これから私達が実現していけることではないかと期待しています。

正直なところ、個人的にはどこに住もうと50歩100歩で、それよりも、誰とどう繋がり、どう賢く生きるかが、今後の私達の生き方を大きく変える要因になるのではないかと思ってます。

海外生活は楽しいこともあり、同様に、日本ではありえないマイナス要素に出くわすこともあり、当然その両面を体験することになりますが、その体験が人を成長させ、たくましくもさせます。

また、それぞれの条件により、移住先の友人を尋ねるのも良いし、年のうち数ヶ月だけ長期滞在するのも大有りです。私の住むメキシコには、避寒の為、年のうち半分を過ごす北米組・ヨーロッパ組がたくさんいます。時代は今や、移住、デュアルライフ、ノマドライフ、メディカルステイと、多岐に渡っています。

ちなみに私は現在、メキシコで日本語を現地の子供達に教えていますが、生徒は、スペイン語・英語が堪能で、音感が似ている為、日本語の習得能力も高く、また同じラテン圏の言葉として、フランス語を話す子も多いです。

彼らには、語学のみならず、何でも良いので手にスキルを付けること、そして大前提に来るのは、後にも先にも人間力であることを、伝えています。

今日はこの辺で。また時間が空いた時に、後編を書きたいと思います。

読んで頂きありがとうございました。

※大急ぎで書いたので、誤字脱字、情報が間違っているところがありましたら、先にお詫び申し上げます。尚、恐縮ながら、転写・模写はお控え頂きますようお願いします。(将来的に1冊にまとめたいと言う夢を持っています!)

執筆者 | 21/12/18 (土) | コラム


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