こんにちは、キャシーです。
最近、progress内で茶道が盛り上がりを見せていて、とても嬉しいです。この流れを受けて、「お茶をはじめてみたい」、「あっちゃんと同じように、お茶碗を買ってみよう!」と思った方も多いのではないでしょうか?
そこで、今回は初めてお茶碗を手に取る方へ、お茶碗を選ぶポイントをお話ししようかと思います。
ただし、筆者個人の見解ですので、そんなこと言ってる人もいるんだなぁ、ぐらいに思っていてくださいね。
(ちなみに、筆者は母が表千家の盆点(一般の人がいただけるお許し(お免状)の中で女性がもらえる最後のもの)であり、筆者自身も母に幼い頃より稽古をつけてもらいました。
茶道は、着物の着こなしや前衛茶道のあれこれよりも、もっぱら伝統的美術品・芸術品鑑賞と歴史・哲学的観点の掘り起こしに興味があります。)
たったひとつのお茶碗選びのポイント
結論から申し上げますと、お茶碗選びのポイントは、気に入ったものを買う、それだけです。
当たり前だろ、と思われるかもしれませんが、これが意外と難しいのです。
茶器を扱っているお店に行くと、楽、萩、志野、織部、伊万里、など聞いたことはあるけれどなんのことだかよくわからない名前が並んでいます。その時点ですでにやる気がなくなりますよね。お金に余裕があればそういったものをお求めになるのも良いと思いますが、なかなかそうはいきません。
さらに、お金を出す以上「良いもの」を買おうとしてしまうのが人間です。そのため、ネットなどで下調べをすると、「素人と玄人では選ぶ茶器が異なる」、「茶筅摺りの広いものを選ぶべき」、「濃茶と薄茶ではつかう茶碗が異なる」、「高台が安定し正面がわかりやすいものを選ぶべき」、「釉薬のないものは使わない」などと、今日お茶をはじめたい初心者にとても不親切な文言が並んでしまいます。
もちろん、これらの言葉にはきちんと意味があり、おもてなしの心として大事なことと思います。ただ、門戸を狭くしている感が否めませんよね。
カジュアルダウンは優しさの現れ
そこで、お勧めしたいのが、バッキバキの専門店ではなくて、”日用雑器とともに茶器も少し置いている”ぐらいのカジュアルなお店で買い求めることです。もちろん、こういったお店でも志野や萩、波佐見や小鹿田ぐらいの名前はついていますが、お値段は1000円ぐらいからありますので怯えずにすみます。堅苦しくなくとっつきやすいのが良いですね!
そして、カジュアルなお店では店員さんにお願いしなくてもお茶碗を手にとることができます。この”手にとる”というひと作業で、お茶碗が愛おしくなることもあります。なんと言うか、手にしっくりくる感じがすることがあるのです。私はこの手にとることがとても好きです。
もちろん、気にいるものがなければ無理に買うことはありません。
”気に入る”からわかり始めるお茶の楽しみ
さて、「気に入った茶碗」と書いていますが、気に入るの基準はひとそれぞれです。色や柄、形はもちろん、お値段なども重要な要素です。高いものはもちろん値段相応の価値がある場合は多いですが、正直、気に入れば楽茶碗でも○ティちゃんでも何でもいいと思います。
ひとりでお稽古用に使うのであれば、格式ばった高価なものを使わなくてもいいのではないでしょうか。
気に入ったお道具というのは、丁寧に大切に扱いたくなるものです。すると、その気に入った茶碗に合わせて他のお道具も気に入ったものを使いたくなるのです。
例えば、お茶を点てるとき、最初は泡立て器やミルクフォーマーを使っても構いませんが、ステンレスと陶器はあまり相性が良くありませんから、大切なお茶碗を傷つけてしまわないように茶筅(ちゃせん:お抹茶をかき混ぜる道具)を使いたくなるはずです。茶筅は竹を細く細く割いて作られているもので、とても繊細ですから茶碗を傷つけることがないのです。
そして、自分で点てたお茶を美味しいと思った時、家族や友人に振る舞い一緒に「おいしいね」と言いたくなります。あらゆる茶道具やお作法に傾倒するのは、そのような心持ちになってからでも遅くはないでしょうね。
余談:茶道はおもてなしだと云うけれど
茶道は、おもてなしの極みだとよく言われます。その通りだと思います。
ただ、気心の知れた家族や友人ならいざ知らず、人様をもてなそうとするのはたいへんなことです。そこで、先人によりもてなしが哲学的に高められ、ある種のカタをもっておちついたものがお点前であると考えています。突然「お茶を点ててください」、と言われても、「失礼にならないか」、「味や温度はこれで良いのか」などと困ってしまいますが、お点前というかたちがあることで迷わずに済むのです。動きが決まっているというのはとてもとてもありがたいことなのですね。
また、茶道ではじめに所作を学ぶのは、最終的には人様をもてなすためでもありながら、亭主(茶会をひらき客をもてなす人)がいかに気配りをしているかを知るためでもあると思います。例えば、袱紗捌き(ふくささばき)という所作の中に”ちりうち”というものがありますが、この動作は何も知らない人が見ると、布で音を立てているようにしか見えません。もちろん、目に見えて袱紗(茶道具のひとつである布)の塵(ちり)を落としているのでもありません。清潔なお道具であることは分かりきっています。では何をしているのかと問われれば、我々の心の塵・世俗の穢れを落としているのではないか、禅に通づる心でのもてなしなのではないか、と見えてくるのです。
そうなると、お点前をする側になったときに、私はお点前を知っていますよと言わんばかりに、これ見よがしに音を立てて仰々しくちりうちをすることがいかに愚かしいかが分かります。まずは亭主のお点前からこういったことを感じとることが大事ではないかと思っています。お点前という動作自体を覚えることはもちろん大事ですが、それが到達点ではないことを常に心に留めておきたいです。
なんか最後らへん小難しくなりましたが、PG茶道部はあなたを待っています・:*+.(( °ω° ))/.:+いえーい