こんにちは。2020年12月入会、メキシコ在住のキョーキータです。
後進国での暮らしぶりについて書きました。もしよければ、ご一読下さい。
*****
怒涛の2日間だった。
夜中のシャンプー中に、急にお湯が出なくなった。
最近、すぐ水がなくなる。
それは、タンクに水がないからだと思ってた。
メキシコでは、生活用水は、ポンプを作動させて、タンクに貯めたものを使う。
去年の暮れ、アパートに新しい住人が入って、順番でポンプのスイッチを入れるけど、すぐになくなるのは、彼女がサボっているからだと思ってた。
が、やり取りするうちに、遂に、お湯もお水も出なくなった。
ポンプをいくら付けても、一滴も出やしない。
あー、やられた〜・・・
この水問題、このボロアパートに住んで、何度となく起きた。
人間の生活に必要な3大資源のうち、一番ないと困る水がなくなり、途方に暮れる。
アパートの管理人は、どこ吹く風。緊急連絡用の携帯を持ってないと言い、用がある時は、固定電話に連絡しろという。
もちろん、それが繋がるはずもなく、その度に、大家に電話する羽目になるのだが、実はこの大家こそが、頭痛の種。
老齢で、人の話は聞かないし、すぐ怒り出し、直接管理人と話せと言って、管理人も逃げ回るので、結局、自費で修理することになる。
契約書に則れば、それは彼らの仕事。
でも、”嫌なら出ていけ”と言う彼らに、正論など通じる訳もなく、
別の場所に引っ越したところで、結局同じことが起きるのは、目に見えている。
正論がまかり通るのは、恵まれた国だけなのだ。
仕方なく、修理工を手配する。
水道や電気関係の修理工(スペイン語ではプロメロ・plomeroと呼ばれる)は、ガス屋と同様、”今から行く”と言いながら、寝ても覚めても来ないのが日常だ。
それを見越した上、複数の知人に頼む。
ラテン式に訴えれば、それなりのリスポンスは来るから、集まった複数の連絡先に、”大至急お願い!”と連絡した上、祈るような気持ちで返事を待つ。
欠陥工事の多いこの国では、修理工は、常に引っ張りだこ。
今回は、午前中に連絡して、ラッキーにも、午後過ぎにやってきた二人組を、笑顔で迎え入れる。
来てくれてありがとう、と伝えた後、いよいよ問題を見て貰う。が、ここでも気が抜けないのは、彼らの見積もりだ。
当たり前だが、修理工は、工事でお金を儲けている。
ポンプがどう作動して、どのパーツに障害があるのかなんて、分かるはずもない私に、彼らは容赦無く、吹っかけてくる。
それもこちらが、外国人の顔をしていれば尚更だ。
”あー、このパイプは交換だな。あ、それとこのパーツも。俺が直接買えば、250ペソで、修理代を入れれば600ペソ。”
600ペソ!それって、私の日給より高いじゃないの。
仕方なく、再び、大家に電話する。
”すみません 、セニョーラ。管理人が来ないから、今、工事の人に来て貰ってるんですけど・・”
”誰が工事を呼べって言ったのよ!管理人が行くって言ったでしょ?待ってなさい!”
”待ってって、もう2日も水が出なくて、困ってるんです。いつ来るんですか?”
”待てと言ったら待て!!!”
一方的に怒鳴られ、電話を切られ、その様子をひとしきり、修理工にも見せた上で、こう詰め寄る。
”私、外国人でよくわからないから、教えて欲しいのだけど、この国では、住人が、自腹で払うのがしきたりなの?私、安月給で、それでも、あなたの子供達の教育が少しでも良くなればと思って、日々働いているのだけど、それでも、私が600ペソ、全部払わないといけないのかしら?”
心のある人ならば、ぼったくるのは諦めて、応急処理してくれるし(もちろんチップは払うが)、それでも1ペソでも多く儲けたい人とは、交渉して、払える額で工事して貰う。
正直、水がなくては生活が成り立たない。だから、理不尽でも、さっさと手を打って、心の平安を保った方が得策なのだ。
******
さて、やっとひと段落つき、日が傾いて来たので、いつも通り、野良猫に餌をやる為、通りに出る。
と、空き家の植え込みに、人が横たわっているのを見て、ギョッとなる。
まさか、死んでる??
少し離れたところで様子を伺っていると、どうやら、そうではいない模様。
ホームレス、それも女性だった。
ここ一週間、寒波で家の中でも、ジャケットを着ているような状態なのに、こんなところに、寝れるのだろうか?
なんだか、見てはいけなかったものを見てしまったようで、その後、散歩していても気が気でない。
思い立って、同じ通りの住人用グループチャットで尋ねてみると、ここ最近、空き家前に、陣を張ってるらしい。
今夜もかなり冷え込みそうだ。家に戻って、冬服の箱を探ると、使ってないジャケットが出てきたので、再び出向くと、彼女の姿は消えていた。
どうか、少しでも暖かいところで、過ごせていますように・・
その翌日、外出帰りに思い立って、テイクアウトを頼んだ。パンデミックになって以来、滅多にしない外食だけど、ビタミンも不足しているし、たまにはいいか!と、お気に入りのフレッシュジュースに、トルタと呼ばれる、中にビーンズやチーズの入ったメキシコ式ホットサンドイッチを頼む。これがなかなかどうして美味なのだ。
よし、今日はこれで、豪華にランチと行こう!
と、通りに差し掛かったところで、硬直した。
なんと彼女が、再び茂みで、寝ているではないか。
よかった・・どこかで一晩越せたんだ・・
トルタ・・食べたかったけどなぁ・・
でも、勇気を出して近寄り、袋を差し出した。
”グラシャス” 彼女は、小さな声で、礼儀正しくそう言った。
トルタはまた買えばいい。喜んで貰えて、良かった。
******
もしも、私が日本にいたら、こんなこと、絶対しないだろう。
存在しない人、見なかった人として、関わることなどなかったに違いない。
でも、メキシコで、私は自分の価値観を覆すようなことに、たくさん出会ったのだ。
例えば、仕事先でたまたま出会った、ストリートチルドレン。
流れで、コミュニティの皆さんに助けて頂きながら、一時的にではあったけど、ホームを見つけて、学校にも通わせてあげることができたことは、決して忘れることのない思い出だ。
それから、野良猫や野良犬の数々。
後進国には、おびただしい数の野良動物が存在する。
殺傷処分など、ないからだ。
見なければ、手を差し伸べることもないけど、次から次へと現れる彼らに、私は餌をあげ続けている。
そして今では、野生動物のいる空間が自然であり、人間と、人間以外の生き物が共存していることが、当たり前になった。
それは海の中でも同じで、海に潜れば、たくさんの魚や亀などが、いつも私を出迎えてくれる。
授業料が払えない親に片目をつぶって日本語を教え、働きたいと願う生徒に日本語を使える仕事先を探したこともある。まぁ、失望することも多いけど、関わらずに立ち去るより、やってみて、後悔する方が、よっぽど良い。だから、できることは、なるべくやっている。
同じく、まさか異国の地で、赤の他人(友人がそう言ったので、敢えて使ってみる)の、ホームレスの受け入れ先を探すことになろうとは、思いもしなかったけれど、老人が多く、自分の資産を守ることに忙しい住人達に代わり、親が政府の要人をしている、元生徒に連絡をする。
「これこれこう言う人が困ってるから、お母さんに、どこに連絡をしたらいいか、聞いてくれない?」
ラテンの良いところは、慈悲深いところ。
しばらくすると、受け入れ施設はあるけれど、空きがあるか分からないから、少し待って、と連絡が入る。
他にも、声を掛けた元生徒達(今は皆もう成人)は、皆快く話を聞き、探してみる、と尽力してくれた。
その晩も、ぐんと冷え込んだ。
それで、前日に渡せなかったジャケットを持って、再び彼女に近づいた時、私は思わず声を上げそうになった。
そこには、綺麗なパッケージに入った食べ物や、保存が効くように、ジップロックに入ったスナックやフルーツが、置かれてあったから。
通りに住む誰かが、持ってきてくれたんだ・・・
暖かな気持ちに胸が熱くなり、ジャケットを差し出しながら、”あなた、おうちは?”と聞くと、案の定、”いいえ”と、か細い声で言う。
”今、探してるから、もう少しだけ我慢してね。”と言うと、痩せた体に大きな瞳で、うつむきながら、小さく頷いたように見えた。
*****
豊かさって何だろう。
お金やものをたくさん持ってること?
余裕があるってこと?
昔の自分に比べて、経済的には随分貧しくなったけれど、今の私には、少しだけ、時間と心の余裕がある。
その昔、シンガポールで働いていた時、エアコンの効きすぎた極寒のオフィスで、時間刻みで働いて、くたくたになって帰宅すると、住んでいるコンドミニアムの、お掃除の人たちが、地べたに座って、楽しそうに雑談するのを見て、”あれ?幸せって何だったっけ?”って思ったことを、ふと思い出す。
彼女が無事に保護されて、新しい環境で、やり直すことができますように。
人は誰しも、幸せになる為に、生まれてきたのだから。
優しさの種は、誰の心の中にもある。
多くを持った人と、そうでない人と、うまく助け合えるシステムができたら
いいなと願っている。