我家に猫がきた、名前はアメである。
アメという名前を聞いて、雨のしっとりした感じや、柔らかい飴色を想像して艶やかなイメージされたのであれば、残念ながら雄である。
このアメという名前は、猫を選びに妻と娘が5店舗のペットショップを巡回したのだが、3店舗目で一度アメを見た後、他の店舗に行き、やはりアメにしようとそのお店に戻ると、接客して頂いた店員の佐藤さんが、猫の種類アメリカンショートヘアを略し「アメくん良かったね」、「アメくんうれしいね」、「アメくん戻ってきてくれたね」と連呼したのだが、それが二人の耳に残りそのままアメとなった。ちなみに本当に嬉しかったのは、アメより店員の佐藤さんではないかと妻と娘はその時、思ったそうだが。なので佐藤さんが名付け親となる。
自分は今までに、ほとんどペットを飼った事がなかった。ほとんどというのは、正確にいうと一度は短期間、もう一度は預けていただけはあるが、飼ったことがある。その経験が今までペットを飼わない理由となっていた。
一度目は、小学校二年生の時である。その頃は、今より野良犬がよく歩いていて中には子犬もいて、学校の帰り道に何度も連れて帰り、その度親に飼ってとお願いしたが断り続けられた。周りの友達は割と犬を飼っているのに、なぜウチはダメなのかと聞いたところ「死んだらかわいそうだろ」の一言だった。その時は親のいう意味が自分はわからなかった。ある日、いつもの学校帰り、親友のアベちゃんと歩いていると茶色の子犬がいた。その子犬は非常に人懐っこくついて来るので、懲りずに家に連れて帰ると、いつもは断る母親が抱き上げ可愛かったのか、散歩を条件に飼うことを許してくれた。自分と弟は大喜びで、子犬にコロと名前をつけて、毎日二人で散歩に連れていった。一週間くらいたった位だろうか、親友のアベちゃんがアベちゃんの母親と一緒にウチに来て、一緒に拾ったコロを譲ってほしいと頼まれた。やっと飼ってもらった犬を譲るのは嫌だったけど、そもそもウチの両親が犬を飼うことに乗り気でないのと、親友のアベちゃんのお願いなので家族会議の結果、アベちゃんに譲ることにした。アベちゃんの家は近所なので直ぐに会えると自分を納得させた。翌日、コロに会いにいくと、名前が変わっていて酷くショックだった。それから数日が経ち、アベちゃんの家に名前の変わったコロに会いにいくとコロがいないので、アベちゃんに聞くと、アベちゃんの住まいが集合住宅なので町内会長から犬を飼うのは禁止といわれて、遠くの河原に親と捨てに行った事を聞かされた。続けてなぜ自分に話してくれなかったかと聞いたところ、一度もらった犬だから、アベちゃんの家族で決めたと話された。その時からアベちゃんは親友で無くなった。一緒に学校に行く時も、遊んでいる時も、コロを捨てたアベちゃんが幼心に許せなかった。しばらくして、痩せこけたコロが歩いているのを車から見たという噂を違う友達から聞いた。今思えば本当か嘘か分からない話しなのだが、小さな自分はもしかしてコロが帰ってくるのではないかと期待した。もちろんコロは帰ってこなかった。もうコロは死んだかもと思った時に、親の「死んだらかわいそうだろ」の意味がようやく分かった。それ以後、自分は犬を飼ってと頼むことは無くなった。
二度目は、結婚してから数年が経って、仕事で地方に車で出張に行った時、車通りの多い片側3車線の国道を一匹の犬が横断していた。このまま放っておいては車にひかれそうなので、車を止めて中央分離帯にいる犬を保護した。犬はパグで首輪もしており飼い主からはぐれたのだろうと思い、そのまま最寄りの警察に連れて行った。警察に行くと落とし物係りを案内され、親切そうな婦警さんが対応してくれた。状況を説明して受付が終了一安心して、帰り際にもし飼い主さんが現れなっかたらどうなりますか?と聞くと、その優しそうな婦警さんは少し寂しそうに、保健所に渡しますと答えた。ほんの少し前まで良いことをしたなと思っていた自分の行為が、場合によってはこの犬を屠殺に追い込んだことに青ざめた。とはいっても首輪も付けているし直ぐに心配している飼い主さんが現れるだろうと思っていた。預かり期間が2週間位だったろうか、とりあえず警察に毎日電話した。自分的には次の日、遅くとも2~3日中に飼い主さんが現れる予定だったが、いっこうに現れない。五日も過ぎた頃だろうか、このままでは自分が原因で一つの命が失われると焦り出した。まずは妻に相談したが、当時住んでいた家が賃貸で犬は飼えないから諦めなさいと断られた。あーそうですね、と納得出来るわけもなく、次にインターネットネットの保護犬里親募集の掲示板に載せてみた。現在と違い、20年以上前の話し、スマホも無く、PCもwindows95の時代、絶対的に情報量も少なく、短期間で近隣では里親見つからず、それでも遠方の方から空港で渡せないかと問合せはあったものの、現実的ではなく時間ばかりが過ぎていった。ある日、仕事の得意先で犬を拾った話しを雑談でしていたところから、既にパグを飼っていて犬の友達を探しているという方が見つかり、幸いにも残り二日で新しい飼い主さんが見つかった。警察から引取る際に、その婦警さんは「もし飼い主さんが現れない場合でも、署内に飼いたいと希望してる者もいましたよ」と優しい言葉をかけけていただいた。きっと、この犬は皆に愛されて幸福になる運命だろうと思った。
この二つの出来事は、人のエゴや、犬といえど命の重さを考えさせられ、その後気軽にペットを飼うという気持ちにはならずにいた。
思えばいつ頃から猫が好きになったのか、それは自分が高校生時代に夏休みや大学受験の為、東京のいとこ宅に一週間程滞在することが何回かあったのがきっかけとなった。いとこ宅には3匹の保護猫達がいて、その自由気ままに暮らす様子を見てから、気づけば猫派になっていた。好きな時に寄ってきて、こちらが近寄ると逃げていく猫の勝手さが、ある意味心地良かったからだ。かといって自分で猫を飼うなんて思いもしなかった。最近、猫を飼った話しを今は離れて住む弟にしたところ「猫って、あのウチの塀を勝手に歩いていた猫⁉︎」と猫を飼った兄の変貌ぶりに少々驚かれるくらいだった。
当然、今回猫を飼うという話しになったのは自分からではなく、子供達であり、娘が短大と息子が公立高校に受かったらという約束からである。ペットショップから妻のラインで「今日からうちの子です」と娘がアメを抱いた画像を見た瞬間、可愛さの反面、失う悲しみを想像した。猫が人に懐かないというのは大きな誤算でアメは日をごとに家族に打ちとけ、まるで子供が一人増えたようだった。最初の三ヶ月は日々の心配と居なくなる日のことばかり考えていた。これではダメだなと思い始めたある日、妻から「アメが死んだら廃人になるくらい悲しもう、そして自分達が死を迎える時に先にアメの待ってるところにいこうと思えるくらい大切に育てよう」と話された。やはり妻も同じ思い出あった。その言葉で覚悟を持とうと決めた、もちろんそう簡単なことではないが、毎日出来る限り世話をするのを心がけことから始めた。家族からは”猫おじさん”とからかわれたが、それで良かった。
「一緒に過ごす時間が長くなるほど、もっと可愛くなりますよ。子供のようなのに、先に歳をとる不思議な存在ですよね。」犬を飼っていらっしゃるPROGRESSの先輩から教えていただいた言葉である。正にその通りである。
人より寿命の短い生き物を家族として暮らす以上、ともに暮らす幸せと失う悲しみが存在する。だからこそ、この限りある小さな命を最後まで大切にしていこう。
アメこれからも宜しく、君は我が家の家族だ。