シュミトクとは何だったのか

執筆者 | 22/02/01 (火) | コラム

世の中には二種類の人間がいる。趣味・特技がある人と、趣味・特技がない人だ。そして、後者にスポットライトが当たる場所として、僕はPG趣味・特技見つけたい部(シュミトク)を作り、運営し、昨年12月に解散した。今日は、備忘録的にシュミトクとは何だったのかを書き連ねる。

【きっかけ】コラムと焦燥感

ーーー入会してから3ヶ月が経った5月、僕は大きな転換点を迎えていた。勇気を奮って初投稿したコラムが奇跡的に中田さんの目に留まり、TwitterとHRで紹介してもらえたのだ。それまで無名で、目立った活動がなかった自分が、一瞬にして認知にさらされた。ずっと外から眺めていた摩天楼の中に急に引き込まれたような高揚感があって、その日はTwitterとFacebookを交互に見るだけの、絵に描いたような廃人生活を送った。自分は間違っても宝くじには当たらない方がいい性分だということだけがハッキリした。

ところが高揚感は思っていたより長く続かず、1週間後には焦燥感に変容していた。認知されたのはコラムであって、谷口清太そのものの人柄は、全くといっていいほど認知されていないことを痛感したのだった。コラムを投稿しようにも、1作目のハードルが悪魔のように高くそびえ立っていて、超えられる気が微塵も起こらなかった。一発屋というのは、そもそも一発をあげられる機会がない僕には縁のない言葉だと思っていたが、まさに今、そのコースを歩もうとしている。悩みあぐねた結果、「友達が欲しい」という無難なところに落ち着き、そのために「部活を作りたい」という突飛な手段に出ることにした。

 

【結成】ちょっとやってみたいを応援しあえる場所

一から部活をつくるなんて、学生時代には考えたこともなかった。何しろ僕には趣味も特技もない。現代アートに詳しい人が現代アート部をつくって、蕎麦打ちが得意な人が蕎麦打ち部をつくる。部活とは元来そういうものだ。だが諦めの悪い僕は、「趣味も特技もない人が集まれる部活をつくろう!」という突拍子のないことを思いついた。よく分からない人のよく分からない提案ほど怖いものはない。しかし、Twitterで呼びかけてみると、幸運にも3人の賛同者を得た。中田さんがPROGRESSの前身にあたるNKTオンラインサロンを結成したときに「30人しか集まらなかった!3年B組じゃねえか!」と嘆いていたが、こちらは3人だ。嬉しかった。

さっそく、創立メンバー4人で交流会をすることになった。最初に議題に上がったのは名称についてだ。「趣味・特技見つけたい部」というのは直接的な分、どこか今風なテイストがある。しかし、あまりにも長すぎるのだ。僕は滑舌に自信がある方ではないので、今後なんらかの機会で紹介することがあったときに噛まないようにしておきたい。何より、色んな人に覚えてもらえて親しんでもらえるキャッチーな略称を考えたい。そこで縮めて「シュミトク」と呼ぶことにした。

今だから言えることだが、ひととおり話を聞いてみて、3人とも趣味も特技もあるように思えた。そして、自分もそう映っているのかもしれないとも感じた。要するに、趣味や特技が見つからないというのは、個々人が自らハードルを上げすぎていることに起因している。だとしたら、必要なのは他者からの承認や肯定なのかもしれない。あえて自由投稿制にして、ちょっとした日記や作品をシェアできるようにして、メンバー同士で応援コメントを送り合えるような文化をつくろう。「ちょっとやってみたいを応援しあえる場所」にしよう。こうして大枠が決まった。

 

【発展】広報と部活紹介動画

部活の広報力というのは、リーダーの信用力に大きく依存する。投稿やコメントで溢れるコミュニティにしたいが、当時のメンバーは10名未満であり、とはいえ「全員毎日投稿しよう!」なんてブラック部活に追い込んでは誰も得をしないので、シンプルに言えばメンバーを増やす必要があった。「広報は僕に任せてください!」と言って、張り切ってツイートをし、紹介コラムを書いたが、なかなか伸び悩む。前述の通り、よく分からない人のよく分からない提案ほど怖いものはないのだ。僕は、無名を恥じた。リーダーとして足を引っ張っている自覚を持たざるを得なかった。ところが、心優しいメンバーの協力もあって、徐々に口コミが広がっていった。ワンピースで心躍る瞬間といえば、なんと言っても新しい仲間ができる場面だが、部活運営でも完全に同じことが言える。僕はメンバーが一人増えるたびに、ルフィさながらに両手をあげて無邪気に喜んだ。

8月に入って、PROGRESS本体が学園祭の準備で盛り上がっていた頃、シュミトクでは「配信練習」が盛んに行われていた。TV配信のクオリティは日進月歩で上がっていて、ちょっとした雑談や練習をするにはメンタルが試されすぎるという側面がある。一方でシュミトクは、人数規模が小さく、「ちょっとやってみたいを応援しあう」というコンセプト的にも、練習場所としてジャストフィットしていた。

そんな折に、転機が訪れる。「学園祭前夜に、部活の紹介動画を一斉投稿しよう!」という嘘のようなビッグウェーブが押し寄せたのだった。スタートの瞬間から”投稿まであと10日”というタイトなスケジュール感だったので、「クオリティは二の次に、とにかく完成させること」を目標に置いたが、分担して作業を進める中で、メンバーの隠れた個性が発揮されていく。「デザインの仕事してるんですね!」「実は動画編集できます!」「球場アナウンスやってました!」多様なジャンルの才能が、パズルのピースのように上手く組み合わさっていった。投稿した紹介動画は、リアクション数100件、コメント数40件を超えて、大団円で終わった。

 

【改革】自由の限界とシュミトクの日

紹介動画の反響は大きく、9月にはメンバー数が50名に迫ろうとしていた。Facebookグループの人数表示を見るたびに背筋が伸びるようになっていた僕は、改革の必要性を感じていた。知らない同士のメンバーが増えていて、反比例するように投稿や配信の数が目減りしていたのだ。先進国として名高い「TEAM JAN」の運営にも感化されて、ガイドラインも策定し、ガイダンス配信も実施したが、根本的に何か問題がある気がした。「自由な雰囲気」というのは強みだが、弱みにもなり得る。規模が小さいうちは文脈を共有しやすいので発信が活発になるが、大きくなると「何をしたらいいか分からない」という事態を招くのだ。試しにアンケートをとると、予想通り、いや予想を超えて「何をしたらいいか分からない」というメッセージが届いた。

10月、PROGRESSではタイムラインを華やかなあんこ画像が席巻する、空前のあんこブームが爆発していた。僕たちはあんこからヒントを得て、あんこを、いや企画を練っていた。企画名は「シュミトクの日」だ。10月24日をシュミトクの日に設定して、「頑張ったこと」「挑戦したいこと」「好きなもの」などを載せて、「#シュミトクの日」とタグ付けして、一斉にツイートする。これは「何をしたらいいか分からない」という疑問への回答であり、極限まで参加のハードルを低くして、かつ「タイムラインをシュミトクで埋め尽くす」という目標と、「メンバー間の仲を深める」という目的を掲げたものだった。当日は「少しやりすぎちゃったかもしれない」という感想が出てくるほど盛り上がって、ツイートを通してメンバー同士の人柄を共有することもできた。僕はというと「毎月24日をシュミトクの日にします!」と訳のわからないことを言い出すほどには仕上がっていた。

「リーダーはあくまで一役職にすぎないから、苦手分野は大いにメンバーの手を借りなさい」というのはよく言われるが、僕に関しては致命的で、なんと人前で話すことが苦手だ。そして、ずっとやりたかったけど実現していなかったことが「TV配信」と「部内勉強会」だった。

配信に関しては、以前からやりたいと言ってくれていたメンバーに出演をお願いして、僕はサムネ制作や広報など裏方に回ることにした。「気軽に出演できて、みんなで応援できる」を目指した配信「シュミトクの部室」は、出演メンバーの個性とOBSのクリエイティブが炸裂して、大成功に終わった。「配信トークとコメント欄の時差が10分あります!」という珍妙なコメントが、盛況な様子を象徴している。

勉強会のテーマ探しは難航したが、シュミトクの目的に立ち返り、Youtube大学でも紹介された書籍「やりたいことの見つけ方」を題材にすることにした。人事をしているメンバーにプレゼンターをお願いして、出演者とのやりとりの中で実際にやりたいことを見つけていく、という構成になっている。珍しく出演した僕は、自分が作った部活だということも忘れてガチガチに緊張していたが、ここでも他のメンバーの才能と尽力に助けられて、満足度の高い企画として終えることができた。

 

【解散】趣味や特技よりも大切なもの

「形のあるものはいつか壊れるし、形のないものは忘れられる」という言葉が妙に響いたのは、気のせいではなかったと思う。12月、シュミトクの設立から半年が経っていた。この半年間で、PROGRESSは大きく前進して、そして優しくなった。ラウンジの導入やオフ会の活発化によって「交流」の手段が増え、部活の盛り上がりによって「ノウハウの享受や練習の機会」が担保され、同期会文化の定着によって「居場所」が確保された。これらはシュミトクがバリューとして提供してきたことそのものだった。もしかしたら、”シュミトクだからこそできること”というのはもう存在しないのかもしれない。勉強会や配信のテーマを”シュミトクっぽく”寄せることは可能だが、それは本質的じゃない。存在意義は確実に薄くなっている。そう悟った瞬間に、僕の中で何かが枯れていくのを感じた。このまま無理に続けて、気を遣わせるのは違う。運営を止めて、衰退していくのを見守るのはやり切れない。もし仮にリーダーを引き継いでくれる人がいたとしても、その人が新しく作り直すほうがいい。きっと、リーダーの中で”やりたいこと”が消えてしまった時点で、終わらせるべきなんだ。

「部活なんていうのは外側の箱でしかないから、内側で生まれた繋がりはこれからも続く」なんて綺麗事を妙に強調していた自分に気づいたのは、解散してからずいぶん時間が経ってからだった。結局、趣味も特技も見つからなかった。他のメンバーもそうだったのかもしれない。これがもし有料のサブスクリプションだったら返金沙汰になりそうだが、部活なのでギリギリセーフだ。でも、もっと大切なものが、ずっとはじめから求めていたものが、見つかった。他のメンバーもそうであって欲しい。

執筆者 | 22/02/01 (火) | コラム


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