執筆:ササタニヤスヒコ
ということで今回は鬱は人間の生存戦略だったっていう話をして行こうと思います。
まあ正直、僕自身は鬱とはあんまり接点のない人生送ってまして、なんかめんどくせえなあとか、ストレスフルやわって状況になったら基本逃げてきたんですけど。
ストレスってなんなのかっていうのは結構難しい問題なんですけど 、今回の話で言うところのストレスは【人が闘争か逃亡に備えてる状態】をストレス状態という風に定義します。
ストレスってひとくちに言っても環境の温度変化とかによるストレスもあったり、起きてるだけでストレスってかかるのですが、そういったストレスに関しては今回は考えないよってことですね。
人間以外の動物もストレス機能を持っているんですけど、基本的に「逃げるのか」それとも「戦うのか」っていう選択肢が出てる瞬間がどの動物も最もストレスが高くなるんですね。
【闘争か、逃走か】
弱肉強食の世界だと基本的にこの二つのコマンドのどちらを選ぶのか?ということが最も重要で、これを選ぶときが最も精神的な負荷がかかる、と。
進化生物学っていう考え方があって、これは僕がこれまで学んだ学問の中で最も信奉してる学問っていうか本当にあらゆる問題を解決できる。万能な考え方やなって思ってるんですけど。
進化生物学でよく使われる考え方が、進化という観点で見た時に、社会の進化の速度に人類のハードウェアは全く追いつけてないっていう考えかたがあります。
現代のトラブルっていうのは、そのほとんどが人類が新しい環境に進化レベルでおいつけてないから発生しているっていう考えかたですね。
例を出すと、【肥満】っていう現象は原始の世界ではありえないトラブルなわけですよ。
基本的に人間の敵は飢餓であって、カロリーが過多になるなんて贅沢な人間はまったくいなかったわけですね。
なので、人間の行動原理はカロリーに対してポジティブなものになっているわけですよ。
カロリーが多い「油と糖」をほとんどの人間は「おいしい」と感じるようにハードウェアがデザインされている。
原始の世界では「やさいうめぇ!!俺は肉食わねぇ!!動物かわいそう!!」って言ってたやつは普通にエネルギー不足で滅んだわけです。なので、油と糖嫌い味覚族の人類種はとっくに滅んでるわけです。
現代のヴィーガン思想、ベジタリアン思想を否定するつもりはありません。
ただ、人間のハードウェアは基本的に「肉うめぇ」ってなるように設計されてるってことです。要は後天的に味覚の趣向が変わることはありますが、ハンバーグが嫌いな3歳児はいないってことですね。
少子高齢化であったり、うつ病の多発であったり、自殺率の増加であったりおよそ人類が直面してる問題ってのはほぼハード面での設計ミスなんですね。(人間をハッキングする人間の影響のような気もしますが)
とはいえ、なんか社会ってそれっぽく回ってる気がしますよね?
これは、前頭葉っていう非常に柔軟に変化できる部位があるんでなんとなく対応できているんですね。こういった前頭葉を使ってなんとなく柔軟に対応するみたいなのを日本語では【理性】って言ったりしますね。
で、今日はめちゃくちゃ学びがあって深い話を書くつもりなんでいよいよパブリック会員じゃなくて、応援会員限定のコラムにして行こうかなって思ってます。結構尖った話もする予定なんで。
なのでこっから先は220円のパブリック会員になったけど、500円の応援会員じゃないよっていう人は見れません。前の記事見れたけども!!!!って人はもっと課金してください。
https://pgpub.space/give-the-janitor-a-cup-of-coffee/
パブリックから1円も貰ってないのに、かいがいしく応援会員向けのコラムを書いてる僕はめっちゃ偉いと思いますね。(熱い自画自賛でモチベーションを維持)
はい、というわけでここまでのおさらいをすると。
人間は原始の時代から続く、ホモサピエンスっていう身体と動物的反応を背負っています。脳で言うところの扁桃体が原始の脳とも言えるんですけど。
便宜上、これ以降はこれを【本能】って言いますね。
で、本能を操作するための機能として、前頭葉ってのがありますと。
これは社会構造に応じて反応を組み替える事が出来るっていう非常に可塑性の高い部位になってまして。人間の脳の部位の中でも一番ファンタスティックな部位なんですけど。
この前頭葉にインストールされた後天的なプログラムを「理性」と呼びましょう。
本能がボディで、理性がコクピットに乗ってる。そんな感じのガンダムだと思うとイメージしやすいかもしれないですね。
で、人間の活動って割と理性が優先的に動けてるんですね。
めちゃくちゃトイレ行きたくなってもその場で用を足す人っていないでしょ?
仮にいたとしても、まだコクピットに理性が乗っていない、バブバブしてる時期の人ぐらいじゃないですか。
当然、人間も動物ですから、ハイパーセクシーな異性が現れたらカラダがつい反応するとか、ある程度本能的な反応は止められない部分はあるんですけど。
とはいえ、全人類が痴漢で捕まるってことも無いじゃないですか。
反応は止められないけど、判断によって行動は変えられるってことですね。
ところがですね、この理性の判断を完全に無視して、身体的な行動を起こしてしまうものがあるんですよ。
それが、【逃走か、闘争か】っていう判断をするときですね。
この、生死を左右する判断に関しては、理性よりも本能が圧倒的に優先的に反応するんですよ。
進化生物学的に言えば、「生死を左右する判断の際は高いストレスを身体に課して、一刻も早く闘争か逃走かを選ばせる特性持っている族」が、現代まで生き残っている。ってことです。
原始の世界で、「民族の掟に従って、目の前にライオンが居ても戦いも逃げもしない!!」とか言ってるやつはとっくに地球の元素の円環に加わってるって話ですね。
で、ここまでが進化生物学的考え方の基本なんですけど。
今回の本題「鬱は人間の生存本能である」って話についてこっから書いていきます。
うつ病の発生条件っていうのは、「高いストレスが継続的にかかっている時間が長い」っていうのが絶対条件です。
何の不安も無く、ストレスもなく、毎日ゲートボールに精を出してるなら別にうつ病にはなりません。
で、長い間進化生物学的にも「うつ病という機能がなぜ人間に組み込まれているのか??」っていうのは謎だったわけです。
食欲や性欲が減退し、何も行動する意欲がなくなる。ってのは全く生存に有利に働くように見えないからですね。
前記した、人間が高カロリーのモノをおいしいと感じるほうが生存に有利だったってのは納得感ありますけど、人間はうつ病になったほうが生存に有利に働くってのはちょっと理屈がわからないですよね??
ということで、この進化生物学的にうつ病を考えた際の最近の結論ってのは何かっていうと。「感染症という驚異から生存するための戦略」だったのではないか、っていう説が有力になってきてるんですね。
どういうことかと言うと、凶暴な肉食動物という脅威であれば、逃げるか戦うかすれば問題は解決するわけですね。(時には死という結果になることもありますが)
ところがですね、感染症っていうものは逃げることもできないし、戦うこともできない。科学的な知識が無い原始の世界においては、防疫という概念すらない。
なんだかよくわからないけど、周りで仲間が死んでいく。
こういった【逃走か、闘争か】で選べない、継続的な高ストレス状態において、人類が獲得した解決策が。
「なにもしない」
という生存戦略だった、ということですね。
この結論を裏付けるように、うつ病の原因となる遺伝子のファクターは免疫力を司る遺伝子であることが最近わかってるんですね。
よって、「鬱とは人間の生存戦略」という結論が出てきている。
とまぁ、そんな感じの話でした。
なんか鬱になっちゃっても、全然本能的な反応なので。
ああ、私生きようとしてるんだと思えばいいんじゃないかと。そう思いますね。
自殺遺伝子みたいなもっといかつい話もあるんですけど、まぁその話はやるとしても今度にしましょう。
以上です。