カレーと最後の一口

執筆者 | 22/02/13 (日) | コラム

カレーってのは、「なぜ未だにノーベル賞取らないのか!」って問いたくなるくらいに偉大な食べ物だ。家で作れば主婦憧れのディスポーザーなんて目じゃないくらいに、冷蔵庫の腐りかけ野菜群をぶち込もうが、なに入れようがたちまち美味しくて大人から子供まで喉から手が出る、食べれる生ごみ箱に変えちまうし、店に行けばなマフィアも「なぜインドカレー屋に未だにガサ入れが来てないのか。」なんて知能と文化の破壊エンジンGoogle様に問いたくなるような、上者が出てくる。

そんな物を求めて、私は今日もインドカレー屋に入り、ラムバターカレー、チーズナン、そして黒ビールを頼み、朝ごはんを抜いた私は、野生下で空腹の猿でもそんながっつき方はしないとばかりに、それをひたすら貪り食べる。

正直、味に関しては「どのスパイスの香りが、こんな風味がして。」なんて食レポを私がしても、中より下くらいの味覚しかない私には馬の耳に念仏どころか、陳腐な虫ケラが吐いた血反吐くらいにしかならない。しかし、そんな私でも最後の一口だけは極端に気にする、むしろこれのために食事をしていると言っても過言では無いくらいだ。そう、バランスよく食べ進め、ナン、ライス、カレー、そしてビールがあと一口で終わるという時、どれを最後に選んでその後味と共に家に帰るか、それを考える時が至福のひと時なのだ。

さあ、だんだんと空腹も満たされ、アルコールも少し回り、最後の半分になったところで私は一度、サウナで言うところの外気浴に入る。するとどうか、最初は男塾名物、油風呂の逆バージョンのように熱々で、インドカレーとしか認識できなかったそれが少し良いくらいに冷め、一度整ってゾーンに入った私は、だんだんと味がわかるようになってくるのだ。

苦いレモンよりも頭にこびりついて離さない大量のバター、元祖コカコーラでも飲んじまったのかってなくらいにティンカーベルもおったまげな合法スパイス軍たち、ココナッツミルクはココナッツミルク、そして、カメムシも興醒めのコリアンダー。その全てをまとめ上げ、たまにお口直しをしてくれるライス。その全てを味わい、あと一口で腹がはち切れるってところまで持っていく。

私は「終わりよければ全てよし」という言葉が嫌いだ。「じゃあ中身どうでも良いのかよ。」と思ってしまう。

それでも最後に一口は大事だ。やはりインドカレー屋を後にするのだから、オートファジーをプラマイプラスにしてしまうほどのカレーを舌にこびりつかせて帰るのか、はたまた最後に、少しだけカレーがついた、親の形見にも変え難い、ライスを食べるのか。しかし、ナンで最後に皿を拭き取って帰るのは、カレーの神様に対する最上級の礼儀なのか、やはり、口いっぱいに広がりすぎくどくなりかけているカレーのあと「ビールは水である」という言葉はこのために出来たのではないかと思わざるを得ない水分補給をして帰るか。

悩んだ挙句、私は水分補給をした後、マスクをして店を後にする。

帰り道、酔いもほどほどに、ひんやりと冷たいけど寒くもない風に当たりながらのらりくらい帰っていると、マスクの中からやんわりと、カレーの匂いがしてくる。それは、「私は整っている!」と叫びたくなるような、合法的なトビカタを覚えたような、棺桶のなかで見る走馬燈のような、そんな気分。

あー終わりよければ全てよし。

執筆者 | 22/02/13 (日) | コラム


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