クラファンと返金を考察する

執筆者 | 21/03/19 (金) | コラム

返金しなくていいよを考察する

こんにちは。PUBLIC管理人の方波見です。いつも温かくご支援いただきありがとうございます。

皆様の中に、方波見もそろそろコラム書けというお気持ちがあることは重々承知しておりますが、「あの更新が終わったら……」という気持ちを言い訳に、なかなか腰が上がらず申し訳なく思っています。

そんな私ですが、今回のコラムは「返金しなくていいよ」に関してです。

ちなみに最後まで読んでも(多分)誰も傷つかない内容なのでご安心ください。
あとめっちゃ長くなるので、上の目次から読みたいところだけ読んでください。

 

さて、今回、ざわちん兵長こと米澤研二さんがラーメン屋を起業する「ざわちん兵長起業への道https://pgpub.space/tag/the-road-to-entrepreneurship-in-zawachin/にて、クラウドファンディングを行うことを表明しました。内容を練り直し、100人を目標に少額の支援だけを募ることにしたそうです。

始めに言っておきますが、私は起業やクラファンの内容の是非を問うつもりはありません。

クラファンについて詳しく知りたい方は、上のリンクか、トップページにある「部活動」タブを切り替える(スマホの人は右上の「<>」ボタンを押す)とクラファン記事ページが出てきますので、そちらをご覧ください(もしくはPCなら右,スマホは下にあるカテゴリー一覧からどうぞ)。

 

クラファンって難しい

さて、今回のコラムの本題に移りますが、今回は「返金しなくていいよ」をテーマにした、クラウドファンディングって難しいよねというお話しです。

件の兵長の告知配信では、多くの方からの「応援したいので返金しなくて良い」というコメントをお見かけしました。

兵長の人柄あってのことなので、素晴らしいことだと思う一方で、これはクラファンの難しいポイントだなと感じました。

 

何が難しいかと言うと、企画側と支援側の目的の差です。

 

これを見誤ると、クラファンは上手く行かなそうだなと感じるわけです。

 

クラファンを支援する目的

そもそもクラファンって、群衆(crowd)と資金調達(funding)の造語なんですよね。なので、企画側は資金を集めるのが目的であるとするのが一般的な考え方です。

では、支援する側の目的って何なんでしょう?人は何故クラファンを支援するのか?

ざっくりと、クラファンを支援する理由は2つに分かれると思います。

 

1つ目は「活動を応援したいから」あの人の活動が成功してほしい!という応援。

2つ目は「リターンが欲しいから」最近流行のクラファンはほとんどこっちかなと思います。

 

2つ目のリターンは実質が物販で、純粋な支援ではなく損得勘定がかかわるんですよね。ある意味では投資の意味合いがあるのだと思います。

損得勘定!投資!と言うと少し強い言葉ですが、普段の買い物であっても、知り合いから買ったり、地元のメーカーの商品を率先して買ったりしますよね?

なので、ほぼ同じ費用で同じ利益が出るのであれば、クラファンを行っているコロナで大変な会社を応援したり、頑張っている人から買って支援しようかなと思ったりすることは自然で素晴らしいことです。

 

で、元の話の「企画者と支援者の目的の差」に戻りますが、2つ目の「リターン目的」の支援と言うのは、支援者と企画者の目的が一致しているんですよね。

支援者は「商品が欲しい」、企画者は「商品を販売したい」。

(ここで言う商品とは、手元に来る機械や食べ物だけでなく、イベント参加チケットなど形に残らないものも含めます)

 

その上で支援者にとっては、クラファン支援ならその商品の価値に加えて「応援できる」「感謝される」という付加価値がプラスされるわけです。

応援や感謝は普通はお金で買えるものではないので、損得勘定で言っても投資で言っても、こんなにお得な商品は普通に生きていたら見つけられません。1000円払って1000円以上の価値があるものを見つけるのって、めちゃくちゃ難しいですから。

 

無償の支援はwin-winを買っている

そして、実はこの「応援・感謝の価値」理論はリターンがなくても成立します。

 

1つ目の支援の目的となる「応援したいから」に応える内容でもありますね。

これは実際のクラファンでも「純粋な支援!」のような、リターンのないコースが多く存在することからも分かります。

 

これって、支援する側は何を得ているかと言うと、「応援した」という事実を得ているんですよね。

中には「恩を買っている」とか「人付き合いで」とか、「みんな応援してるし、しておかなければ」みたいな若干ネガティブな要素がある場合もあると思いますが、今回の焦点はそこにないのでスルーします。

 

実は「応援した」という事実は「募金した」という事実と似ています。

 

募金したからと言って、「私は募金したんだぞ!もっと私への待遇を良くしろ!」という人はいません。

ただ単純に、募金しないよりは募金した方が自分が嬉しいし、相手も嬉しい。

だから募金=支援は、支援側も企画側にとっても、まさにwin-win。

 

つまり、支援者はリターンなしの支援では、「応援した事実」、延いては「win-winを買っている」わけです。

win-winを実現する満足度が、500円なり1000円なりの支払いというマイナスと比較して、満足度を超えると予測しているわけですね。小難しく言えば期待値ってやつです。

もちろん、知らない人に500円募金した時に得られる満足感と、知っている人に500円支援した時にもらえる満足感には、当然ながら差がありますから、支援金以下の満足度しか得られないと判断したら、人は支援しないわけです。

それは成功しそうなプロジェクトに関わった時と、失敗しそうなプロジェクトに関わったときにも同じような計算がされます。失敗しそうなプロジェクトには関わったら損する気持ちになりますから、支援されづらい。(もちろん失敗プロジェクトでも応援することそのものに意味を見出せれば支援の価値を感じられますが)

 

無償の支援の企画者側の目的

では、このリターンなしの支援を「企画者の目的」に焦点を移してみましょう。

 

企画者の立場に立つと、リターンなしのプランというのは、一部のイレギュラーを除けば最も低額のプランになりますから、お金が一番の目的ではないでしょう。

 

では、企画者にとって無償の支援を開設する目的は?

 

もうお分かりと思いますが、企画者が求めているのは、お金ではなく「支援者数」です。

 

「支援者がたくさんいること」は、そのまま「盛り上がっている、期待されている」証となり、その期待感が高まれば、初見さんや検討中の方から見たら「成功しそうなプロジェクト」として期待値が高まり、新たな支援につながります。

つまり、支援者数を欲する理由は、「さらなる支援者を増やすため」。

人数で期待値を明確化することが出来るので、リターンなしの支援というのは、企画者にとっても重要な要素なのです。

 

まとめ(忙しい人はここだけ)

まとめると、

クラファンは支援者の目的と企画者の目的に差が出る場合がある

リターンのある支援は「商品が欲しい」に「商品を売る」ので利害が一致する

リターンのない支援は、支援者は「win-win(応援して相手が喜ぶ)が欲しい」

リターンのない支援は、企画者は「新たな支援者につなげたい」

 

つまり、ことリターンのない低額支援に関して言えば、支援者側が欲しい「win-win=寄付して相手を喜ばせたい」という成果に対し、企画者側は「新たな支援者のために支援者数を増やしたい」状況となり、わずかなミスマッチが生じてしまうというわけです。

 

なので、確かに企画者が「返金します」と宣言することは、「覚悟がある!」とか「安心して支援出来る!」と伝わるメリットがあります。

一方で、支援者側からすると、支援しても確実に相手が喜ぶと確定されず「応援しても無駄なのでは?」という不安を抱く可能性が生まれます。

また、「失敗する可能性があるプロジェクト」という状況を見てしまうことで、投資的に満足度が得られない可能性を感じ、期待値が下がってしまい支援をためらう人もいるでしょう。

もっと踏み込めば、返金時の手間や手数料を兵長が負担するということは、自分は応援の気持ちを表明したけど、相手には負担だけが残ってしまう「win-lose」の状況を生む可能性がある。そう感じてしまう優しい方もいるかも知れません。

一見良いことづくめの宣言も、深く考えると、様々なデメリットと表裏一体なのです。

 

返金=相手が喜べなかった ではない

ただ、ここで私たちが誤解してはいけないことがあります。

 

それは、「返金される」ことと「相手が喜ばない」ことはイコールではないということです。

 

どんな少額であっても、支援してくれることが嬉しくないわけがありません。

返金したらその応援がゼロになるということもありません。人には記憶があり、感情があり、感謝の思いがあるからです。

 

今回の兵長のクラファンは、支援者が100人に届かなければ挑戦を取りやめて返金を行うとのことです。

ですが、それがどっちに転ぼうとも、兵長は支援すると表明してくれた人たちのことをたくさん考えて、感謝して、これからのラーメン屋人生の大きな支えとすることでしょう。

 

事業的な批判はさておき、クラファンってどうなん?と疑問を感じていた方の言語化の参考になればと思いますし、これからクラファンを行う方は、この支援者と企画者の目的の差異を知ることで、より適切なリターンだったり、プレゼンの方法が見つかるのではないかと思い、この記事を書かせていただきました。

 

でも実は、今回の兵長のクラファン、現時点では一つ大きなことが欠けています

 

それが何か?については、会員限定でお話しさせていただこうかと思います。

4000文字近く書いてまだ書くのかと思うかもしれませんが、コーヒーでも飲みながら読んでみてください。

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ここから先は方波見の本音のコラムになります。今回は応援会員以外の方も、PUBLIC会員であれば誰でも読めます。

続きを読みたいと思った方は管理人にコーヒーをプレゼントする(https://pgpub.space/give-the-janitor-a-cup-of-coffee/)から、会員登録をしてお読みください。

 

今回のクラファンに欠けている部分

さて、今回のクラファンに欠けている部分についてです。

一部の方は「説明不足」とか「熱意に欠ける」とか「成功するのか?」とか、いろいろ言いたいことがあると思いますが、私個人はそれらには言及しません

一点だけお伝えするとすれば、今回は「勝ち馬に乗りましょう」というクラファンではなく、「無謀な挑戦でも応援してくれ」というモチベーションだと受け取っているので、そもそも支援者の「応援して良かった」という投資を担保しているとも感じていません。(その構造が問題だというのは一理ありますが)

 

私が言いたいことは、計画がどうとか実現可能性がどうとかではなく、もう少し単純な構造的な部分です。

 

それは今回のクラファンが「意図せず支援者と企画者の目的がズレている」こと。

 

支援者と企画者の目的の差異

繰り返しになりますが、リターンのない支援に関しては、支援者は「win-winを買う」。企画者は「支援者を集める」目的があり、そこには若干の差異があると伝えました。

 

ですが、実は今回のクラファンは意図せずその差異が大きくなっています。

 

改めてクラファンを振り返ると、企画者は「外でのクラファンに挑戦するため、まずは100人の支援者を集めたい」とし、「支援者が集まらなかったら返金してクラファンを諦める」と宣言しています。

 

そう、今回企画者が重視しているのは、お金ではなく支援者の人数なのです。

そこに500円というハードルを課しているだけなので、お金を集めたいと言っているわけではない。

 

一方で、支援者は「お金を出して応援したい」と思っている人が少なからずいて、「返金される」ということは「お金は支援にならない」「応援の気持ちを受け取らない」と言われているようで、悲しい思いを抱く。

その叫びが「返金しなくていいよ」に表れているのだと私は感じています。

 

絶妙なすれ違いですよね。

 

なぜこんなことが起きてしまうのでしょうか?

 

クラファンは資金集めのプラットフォーム

クラファンは、本来であれば資金を集めるプラットフォームです。

一方で、キングコングの西野さんが行ったように、クラファンを「自分の支援者を集めるプラットフォーム」として使うことも出来ます。(今回の兵長のクラファンも「支援者集め」のクラファンです)

 

ですが、その使い方には2つの落とし穴があります。

 

1つ目は、新たに自分の支援者を集める時には、否応なしに「期待値」が求められるということ。

まだ自分の支援者でない人に、お、これは良い勝ち馬だと思わせて参加させ、その支援を通じてファンになってもらい、本当の支援者になってもらう。

この流れは新規参入には必須で、西野さんはその期待値がめちゃくちゃ高いから成功していますが、多くのチャレンジャーはそのブランド形成に苦労をするはずです。

 

そして、2つ目の落とし穴こそ、私が今回のコラムで最も訴えたい大きな構造上の問題です。

 

実はクラファンは「支援者集め」と「支援」がイコールにならないプラットフォームなのです。

 

分かりづらいので言葉を変えると、「支援者人数」は「支援者の寄付」では増えないということであり、さらにかみ砕くと「支援者のゴール」が「企画者のゴール」と一致しないということです。

 

支援者のゴール(目標の完遂)というのは、「支援に応募すること」です。

一方で、今回の企画者のゴールは、「100人を集めること」です。

 

もしも通常のクラファンのように、企画者のゴールが「100万円集めること」であれば、支援者が「支援に応募する」ことで、企画者もゴールに確実に近づきます。

さらに、支援側は「1万円、10万円の支援」という別のゴールも選べます。

つまり、支援者は「支援に応募する」ゴールを複数から選べて、ゴールの全てが「目標金額を集める」こととイコールの関係で結ばれているのです。

 

一方で、人数にフォーカスを当てると、どんなに大金を支援しても、1人は1人です。

 

仮に「支援に応募」しても、それによって「支援人数を集められる」という方程式は成り立たちません

むしろ、支援者側は「支援する」と「支援出来ることが減る」という矛盾に直面します。

あれ?お金を払っても目標は達成できない?」と混乱します。

そのうえで「私はお金は要りません」と言われると、もう支援者としては何をしていいのか分からなくなってしまいます。確かにこれは悲しい。

 

ここがクラファンで「支援者」を集めようとすることの2つ目の落とし穴です。実は、お金にフォーカスを当てないがゆえに、お金を払う選択肢しかない支援者側に圧倒的な無力感を感じさせてしまう構造になっているのです。

 

もちろん、通常は支援者が増えることで期待値が上がり、支援の波も加速しやすくなりますが、今回のクラファンは達成の「先」にある外部クラファンの詳細がまだ未発表なので、支援者は達成に向けてのレースに参加しながらも、レースの先に何があるかは分からないという状態になり、期待値が高まる要素は少ないのです。

 

500円支援以外の支援方法

では、支援者側は悲しい無力感を抱えながら500円を支援するしかないのでしょうか?

 

いいえ、もちろんそんなことはありません。

 

というのも、そもそもこの悲しみは、「企画者の目的がお金を集めることである」と誤解しているときに発生します。

「失敗したらお金は返します」

「えっ!?お金を集めたいんじゃなかったの!?」「脅さないで!」ということです。

(誤解と言ってもクラファンの本来の目的なので誤解でもないのですが)

 

ですが、何度も書くように、今回はお金ではなく人数が目的

なので、支援側も改めて企画者側の目的=人を集めたい!を理解して、それに即した行動をとればいいのです。

 

では、その方法とは?

 

答えは簡単で、「支援を表明してシェアする」ことです。

兵長は支援者を増やしたいという希望を持っているのですから、支援者を増やす協力を直接的に行うことが、一番の支援になるわけです。

 

シェアは500円より重い

でも、これって実はとっても難しいことだったりします。

と言うのも、お金で支援することは自分一人で解決するのに対して、支援を表明してシェアするのは誰かを巻き込むからです。

不特定多数の人に「自分もこの計画に賛同してます」「応援してます」「見込みがあると思います」という意思表示をすることになるわけですね。

 

皆さんは、自分の活動や友達の活動をシェアするときって、どういうときでしょう?

 

それこそ実は「期待値」が高いときだったりしませんか?

 

そして、その期待値の判定は、自分一人で行うよりもシビアになっていませんか?

 

他人に向かって意思を表明するということは、それだけ難しいことで、個人的には500円を支払う以上の勇気がいるとさえ考えています。

 

一見単純そうなクラファンに思えて、実はこうした難しい挑戦に、兵長は挑んでいるのですね。

(そのことに本人が気が付いているかは未知数です)

 

以上、今回のクラファンで学んだ違和感の言語化をしてみました。

 

結論

まとめると、クラファンで人を集めるのが目的であれば、支援のゴール設定を「500円の支払い」ではなく、「シェア」に持っていくことが重要です。

 

そして、実際にシェアされるかどうかや、シェアされた後に支援されるかどうかは、「期待値」によって判断されます。

 

その期待値に叶うプロジェクトや人であるかどうかは、皆様が自由に判断して良いと思っています。

 

長っいコラムをお読みいただきありがとうございました。次は短くします。

 

兵長のコラムはこちら

https://pgpub.space/tag/the-road-to-entrepreneurship-in-zawachin/

執筆者 | 21/03/19 (金) | コラム


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