「学び」は太らない魔性のグルメ

執筆者 | 21/03/22 (月) | コラム

エモいコラムが多く投下される中

毒にも薬にもならないコラムを投下します!

こんにちは、ウォルクス所属のやすだゆうきです。

「学び」は太らない魔性のグルメです。

美味しく、食べやすく噛み砕かれたビジネス本や自己啓発本

面白く、エンタメにまで昇華された学びのYoutube大学

馴染みのメンバーから発信されるそれぞれの経験からの情報

どれも「極上のインプット」です。

あーやすだはあれだな

アウトプットもせずに知識ばかり吸収してるやつを「意識高い系」と揶揄したいんだな

と思った方がいるかもしれません。

確かにそれっぽいことを言う時もあるんですが

あれはポジショントークです(自ら首を締めていくスタイル)

何を隠そうやすだは

「意識高い系ナルシスト」という変異種であります。

スタバでmacドヤァ

という「意識高い系のイメージ」があると思うですが

スタバでmac開いてるだけでドヤ顔して

俺かっこいいって浸れるって最強じゃないの?って話なんです。

なぜならここには

「きゃーあの人カフェでMacでお仕事なんて素敵!!!かっこいい!!抱いて!」

という他人からの評価が一切必要ないんです。

そして結果仕事も進むんならWin-Winな訳です。

Win(俺)-Win(俺)ですからこれがいかに最強かわかると思います。

ボクは今自宅のリビングで最新のMacBookAirでこの記事を書いているんですが

正直、かっこいいと思ってます。

さてここからちょっと真面目な話に入ります(いやここまでも真面目なんですが)

現代のリベラルアーツとして「STEAM教育」というものがあります。

サイエンス

テクノロジー

エンジニアリング

アート

マスマティクス(数学)

の頭文字をとったものですが

「アート」の項目だけ毛並みが違います。

元々は「STEM教育」と言われていたのに「アート」が足されたのです。

「なぜアートを学ぶ必要があるのか」

ということを最近考える機会がありました。

そこで出たボクの暫定的な答えは

「アートを通し自己対話し正解のないものに自分なりの答えを見つけられる

人間は幸福度が高い」のではないかということです。

ここの部分をもっと掘り下げた記事もいづれ書こうと思うんですが

要するに

「ほほう、この絵は誰々がいつ書いて、テーマはこれで、こういう意図があったんだなあ」

と音声ガイドを聴きながら美術館を回るのはただの「観光」ですが(もちろんこれも大事なインプット)

絵というアートだけを見たときに

「この絵はきっと心の深淵を描いているんだ、作者はこの頃人生に絶望していたに違いない」

などと抱いた感想は

アートを通じた「自己対話」な訳です。そしてそれは正解なんです。

そしてここで

「アートと対話している俺かっこいいな…..」と思えたら最強です。幸福です。

ただそのあとスタバで感想の記事を書いてアップしてはいけません。

そこの世界に他人の評価軸である「いいね」や「PV」を持ち込んじゃダメなんです。

ナルシストは現実を見てはいけないんです!(不幸しか生まれません)

STEMの世界には余白がありません。

AIやロボティクスで効率化した先には良くも悪くも世界に余白が生まれるでしょう。

そのとき余白を埋めてくれるのが「お金」や「物質」ではあまりに寂しい。

だけど「アート」なら鑑賞も創作も無限に余白を自分の色に染めていくことができるんです。

学びというものはアウトプットしてなんぼではないです。

「学び」が目的であり、「学んでる自分が好き」でいい。

今日なにもしなかったな、、、と虚しくなる前に

タメになる配信を見たりして

「今日も一つ学びになったな」と思いながら眠るのはきっと幸せなんだと思います。

執筆者 | 21/03/22 (月) | コラム


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