このコラムは日本の、歴史小説の総てを語り尽くすことを目的として、不定期に連載されます。
常用漢字の「全て」ではなく「総て」としているのは、字面がカッコイイからです。
さて、総てというからには、網羅的に語ります。この「網羅的」という所が、一番味のする部分になります。それには、「司馬遼太郎だけが歴史小説じゃないよ」的な意味合いも含まれます。もちろん、歴史そのものへの言及もあります。日本の、と書きましたが、これは「日本の歴史」ではなく、「日本の歴史小説」なので、中国史を題材にした作品も、西洋史を題材にした作品も、含まれることになるでしょう。その場合には、もしかしたら比較対象として他国の小説家も登場するかもしれません。その辺りは成り行き小雪。
ところで、
そもそも「歴史小説」とは何でしょうか?
「小説」の誕生は近代です。従って、『平家物語』にも歴史は書かれていますが、「歴史小説」ではなさそうです。同じように『太平記』とかもそうでしょう。
なので、日本近代小説成立以後のことだろう、とは思えます。
しかし、『平家物語』は形式としては「小説」ではないのかもしれませんが、内容的には平家の栄枯衰退が描かれ、源氏による武家の台頭が描かれ、所謂「軍記物語」に分類されるのですから、形式が小説ならば、歴史小説といって差し支えないと思うし、現代では『平家物語』を琵琶法師に語ってもらうわけではなく、文字に書き起こした「書籍」として「読書」するのだから、もうほとんど『歴史小説』ではないのか? とすら思えるのです。実際に、戦後の小説家である吉村昭の『吉村昭の平家物語』は、内容的には原典と大筋ではそれほどの変化はないじゃないですか。
というわけで、「近代小説」以前の形式で書かれた「歴史チョメチョメ」もこの連載に含まれます。
さて、そもそも「歴史小説」とはなにか? という問いかけのうち、「小説」の部分はこのような感じで良しとして、では「歴史」とはなんでしょうか?
一般的に「歴史小説」と「時代小説」は違うジャンルだと言われます。
「え、そうなの?」と思う方も多いでしょうが、例えば、テレビドラマをちょっと連想してみましょう。マツケンサンバでお馴染みの松平健といえば、『暴れん坊将軍』じゃないですか。つまり、徳川時代の八代将軍である徳川吉宗が主人公ですが、さて、これは「歴史」か「時代」かどっちですか? となれば、何となく「時代」の方かな? とは思えるのではないでしょうか? では、徳川吉宗を西田敏行が演じた大河ドラマ『八代将軍吉宗』は、「時代」か「歴史」か? どうも「歴史」っぽい、気がするのではないでしょうか?
まあ、一般的に言われている「歴史小説」と「時代小説」との違いは、この感じで間違いないです。これがマニアックな議論になるともっとややこしいんですが、その辺りの「ややこしい話」は連載の中で語ります。いずれにしても、メインになるのは「歴史小説」であって「時代小説」ではない、ということであり、『八代将軍吉宗』であって『暴れん坊将軍』ではない、ということになります。
ところで、大河ドラマ『八代将軍吉宗』はジェームズ三のオリジナル脚本なのですが、尾張藩主・徳川宗春との関りも描かれるため、海音寺潮五郎の歴史小説『吉宗と宗春』がドラマに便乗するかたちで文庫化されたりしたのですが、初出は1939年6月から「現代」で連載が開始された古い作品です。もしかしたら、ジェームズ三木も影響を受けていたかもしれません。
この辺りの、歴史小説家と大河ドラマ、歴史ドラマ、歴史映画等との関わりについても、おそらく言及していくことだと思います。
さて、前口上はこんな感じです。
この連載は長期連載になります。10年、20年のスパンです。つまりはライフワークです。日本中探してもこのコラム以上のものはない、という地平を目指して書く予定です。
次回からは実際の作品を取り上げて紹介します。
最初の1冊目は城山三郎『冬の派閥』です。
そして、しばらくは「幕末期周辺を描いた歴史小説編」がつづきます。おそらく100冊前後登場します。つまりは、ヘタすると「幕末期だけで年単位」になる可能性もあります。
あははははははは、だってライフワークだもん。
では乞うご期待!!!
おしまい。
あ、ですます調は前口上でおしまい。次回以降は「~である」文体に戻ります。イエイ。