黒澤明と山本周五郎

執筆者 | 22/06/05 (日) | コラム

黒澤明は所謂、文藝映画、すなわち、小説や戯曲などを原作とした、あるいは下敷きにした、あるいはヒントにした、ものが多々ある。
以下、特に目立つカテゴリーを作ってみた。

シェイクスピアからの翻訳
黒澤明作品名               シェイクスピア作品名
      『蜘蛛巣城』               『マクベス』
      『悪い奴ほどよく眠る』          『ハムレット』
      『乱』                  『リア王』

ロシヤ文学からの翻訳
黒澤明作品名               ロシヤ文学作作品名
      『どん底』           ゴーリキー『どん底』
      『白痴』         ドストエフスキー『白痴』
      『生きる』           トルストイ『イワン・イリイチの死』

山本周五郎からの翻訳
黒澤明作品名               山本周五郎作品名
      『椿三十郎』               『日日平安』
      『赤ひげ』                『赤ひげ診療譚』
      『どですかでん』             『季節のない街』

ミステリ小説からの翻訳
黒澤明作品名               ミステリ山本周五郎作品名
      『用心棒』            ハメット『血の収穫』
      『天国と地獄』         マクベイン『キングの身代金』

黒澤明と文藝ならば、芥川龍之介の『羅生門』は重要ではないのか? となるかもしれないが、あれは「羅生門」ではなく「藪の中」を原作としていて、どちらかというと黒澤明のミステリ趣味の範疇のような気もする。つまり、先ず謎があって考察が始まるという体裁がミステリ趣味的なのである。これは、『生きる』も導入部と構成がそうだし、『悪い奴ほどよく眠る』も、『影武者』も、謎と考察がある。

黒澤明と文藝の親和性を考えると、古典的な構成力を持ったシェイクスピアがやはり合っていると思える。ダイナミックな黒澤演出ならではの効果がある。それに比べてロシヤ文学とはそれほどの相性の良さを感じない。黒澤にはミステリ趣味があると書いたが、その路線で『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』を料理するパターンが仮にあったとしても、それでもなお、相性は悪かったのではあるまいか? と想像している。ただし、文藝映画ではないロシヤを舞台にした映画『デルス・スザーラ』は名作である。

しかし、黒澤明と文藝というテーマで最も重要な作品は『どですかでん』である。一般に山本周五郎は大衆文藝と思われている。だから、新潮社が文春の「純文学=芥川龍之介賞、大衆文学=直木三十五賞」に対抗して賞を設立した時に、「純文学=三島由紀夫賞、大衆文学=山本周五郎賞」としたのである。

だが、山本周五郎の『季節のない街』は純文学である。『青べか物語』と共に、例外的に山本周五郎の純文学であり、代表作である。
黒澤明は『まあだだよ』で、内田百閒を題材にしたが、どうせなら『青べか物語』をやって欲しかった。
私が日本映画学校の学生だった頃、黒澤明はまだ現役だった。結局、一度も会えなかった。会えてたら本人に言ったのになあ

ところで、『椿三十郎』の原作クレジットに山本周五郎「日日平安」が入っているのは、そもそもはこれを原作に映画化する予定だったのが諸事情でNGになり、『用心棒』の続編のようなコンセプトに「日日平安」のシナリオ的枠組み、諸々の要素をトレースしたのであるが、ちょっと色々と連想をつなげると面白いのだ。

『用心棒』の骨組みは上のカテゴリー表にあるようにダシール・ハメット『血の収穫』を下敷きにしている。しかし、無断で、である。もちろん、極東のローカル映画なんて米国に分かるわけはないのだが、これがイタリア人の目に留まり、やはり無断でクリントイーストウッド主演の『荒野の用心棒』となってしまった。パクりのパクりとも言えるが、まあ、『血の収穫』から『用心棒』はかなり翻訳されているが、『用心棒』から『荒野の用心棒』はまったく同じ展開なので、ちょっと次元が違うかもしれない。でも、それでも結果的には『荒野の用心棒』も面白いのだから不思議なことだ。

あるいは、『用心棒』には伊丹万作へのオマージュがある。伊丹万作は『マルサの女』で有名な伊丹十三の父親で、黒澤明よりも先輩の映画監督である。
伊丹万作の『赤西蠣太』にあったシチュエーションを真似てオマージュしているのだが、『赤西蠣太』の原作は志賀直哉で、題材は「伊達騒動」である。

で、「伊達騒動」といえば、山本周五郎の名作『樅ノ木は残った』である。山本周五郎の特徴に、一般的に悪とされている者を別の角度から見直す、という傾向と言おうか、テクニックと言おうかがあり、「伊達騒動」の悪役でお馴染みの原田甲斐を、そうではない視点で描いている(ただし、山本周五郎以前に村上浪六も原田甲斐を善玉にしている)。他にも由井正雪を題材にした『正雪記』とか、田沼意次を題材にした『栄花物語』もそう言えるかもしれない。

あれ? なんの話をしておるのだ?

そうそう、つまり、黒澤明には山本周五郎の『青べか物語』や『正雪記』や『栄花物語』とかも映画化してもらいたかった。
山本周五郎は沢山映画化されているけれども、やはり黒澤明が良いと思うのだ。

 

おしまい。

執筆者 | 22/06/05 (日) | コラム


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