中田敦彦を文藝界のドンにする為のロードマップが生まれる連載その①

執筆者 | 22/06/09 (木) | コラム

一般的に文藝の歴史はどう語られるのか?

 

例えば、14世紀頃からはじまる古代ギリシアの文化、文明を再評価=ルネッサンスを経て、16世紀のシェイクスピア演劇の誕生、スペインを中心にしたピカレスクロマンの隆盛、そのピカレスクロマンのメタ的(批評的)パロディであるセルバンテス『ドン・キホーテ』を濫觴として「近代小説」の概念が生まれ、18世紀イギリスの産業革命によって小説の流通が飛躍的に広がり、18世紀末のフランス大革命から19世紀初頭のナポレオン時代を通過し、スタンダール、バルザック、ユゴー、フローベールといったフランス近代文学が生まれる。

 

みたいな感じになるのだが、一方では、こうした「ありがちな文藝の歴史」に名前を残せなかった文学作品をあえて並べることを目的にした歴史も一応、書かれている。

つまり、「忘れられたベストセラー小説」みたいな内容の歴史もある。

 

しかし、この連載でちゃかしが主題にする文藝の歴史は、また違った側面から考えられる。

すなわち、「ぶっちゃけ、その時代の文藝界を牛耳っていた首領は誰なの?」の歴史、なのである。

 

例えば、アレクサンドル・デュマ(父)はある時期、文藝界のドンだった。それは、『三銃士』とか『モンテクリスト伯』がめちゃくちゃ面白いとか、めちゃくちゃ売れたとか、めちゃくちゃ名作だとかの理由以上に、小説の制作方法を集団作業化した事にある。つまり、デュマは小説を作り出す組織を作り出したことに意味があるのだ。バルザックは文藝史上最高の小説家だが、一人で書いた。あの膨大な量の作品を一人で書き続け早死にした。批評家にも同時代ではあまり認められず、とても文藝界のドンではなかった。

 

デュマは組織で小説を書いたのだ。

その上で、デュマはフランス王ルイ=フィリップ1世と近しい関係にあり、1848年の2月革命でルイ=フィリップが退位するまで、その隆盛はつづいた。

 

例えば、ある時期の菊池寛は文藝界のドンだった。

友人の芥川龍之介や、後輩の直木三十五の為に新人賞を作り出し、それが一定の権威を持ち得たことも大きかったが、やはりそもそも文藝春秋を作ったことが大きかった。

菊池寛は日本文藝家協会会長であったり、映画会社の大映の社長であったり、まさに権力者だった。

戦後、日本政府に協力していた菊池寛はGHQによって公職追放されやがて急死する。

 

デュマと菊池寛の共通点は以下である。

 

1、小説を一人で書くのではなく協力者を持ち、集団作業的にした。

 

2、政権的な権力者に協力した。

 

なるほど!!

ではないか!!

 

つまり、この連載は、その時々の文藝を牛耳るドンの状況を調べて参考にし、

現代において文藝界のドンになるにはどうしたら良いのか? 

そのロードマップを作り出し、

中田敦彦=あっちゃん向かって

「あっちゃん、このロードマップ通りにやれば、貴方も文藝界のドンになれますよ」

に、至る事を目標にしている!!

 

乞うご期待!!

執筆者 | 22/06/09 (木) | コラム


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