「夢物語」からの自己開示

執筆者 | 22/11/03 (木) | コラム

 

2020年10月入学、アイキーことマンゼラ愛香です。

 

「夢物語」のMV、エモくてたまりませんね🥺

 

あっちゃん、北住さん、遠藤ジュンさんに心からの感謝を。感動をありがとうございますという気持ちでいっぱいです。

 

あっちゃんはじめ宮迫さん、けいちょん、御三方それぞれの挫折や紆余曲折を知っている分だけ涙が出ました。

 

謝罪を重ねれば重ねるほど世間の認識が捻れていった宮迫さん、長い空白の時間を経てやっと活動が許された中もがいているけいちょん、そして長いものに巻かれるまいといつも必死に戦っている我らがあっちゃん

 

Win Win Wiiinの立ち上げの時やYoutube大学裏の葛藤など、こんな事やあんなことがあったよね😭と、涙腺が卒業式状態になりました。

 

HRを通してあっちゃんの数々の葛藤を知っているpg勢には本当に特別な一曲になりましたよね

 

同時に、あっちゃんたちの葛藤に比べたら大したことないかもしれませんが、これまでの自分自身の人生にも重ねてしまい余計に刺さって刺さって今まであまり振り返らないようにしてきた自分の傷をも癒してもらうような、そんな感覚がありました。

 

 

いつもならこのくらいのコメントで、残りは胸の内に秘めておくのが私の通常運転ですが

 

エモさが尋常じゃないので、そして歌詞に勇気づけられたのもあってこれを機に今回、自分の人生の一部を振り返ってコラムに書いてみる、という挑戦をしてみようという気になりました。(先日のpgNightじゃすみんこと矢野茉莉子さんの自己開示にも勇気づけられたのもあるというのも言っておきますね😌)

 

夢物語MVのエモさに便乗するような形に見えてしまうかもしれず不快に思われる方がいたら申し訳ないですが、ヨシヨシ、もがきを晒しているなぁと生温かい目で見ていただけると幸いです🙏🏻

 

長文が苦手、そのうえ錆びついた私の日本語レベル、お見苦しい(お読み苦しい?)ところも多いと思います。でも良ければちょっとだけお付き合いください。

引越しミルフィーユと背中合わせの体験談なので、移住に関してなにか参考になるかも…(未知数w)

 

 


 

 

札幌生まれ、横浜育ちおっと、私ごときがしくじり先生並みの長尺になってしまったら読むに耐えないと思うので、サクッとワープしますw

 

日本の高校卒業後、ニューヨークに留学したのちそのままファッション業界で日米合わせてトータル10年ちょっと働きました。自分の夢や得意なことに向き合っていた時代。そこでどうにかひと花咲かせたい、そのために英語も頑張ったし人見知りも克服し、体力もつけました。

 

ハードな業界だと知ったうえで入ったので覚悟はしていたのですが、途中、仕事の関係で日本に完全帰国し、そこからはファッション業界x日本のハードモードな働き方で、結果、心身共に完全に搾り取られてしまいました

 

30歳になるかならないかぐらいでついに身体を壊し、パニック症候群を発症。

今思い返せばここからが本当のハードモードの始まりでした。

 

マーチャンダイザー時代は日本国内はじめ、パリやニューヨークへの出張に飛び回っていたというのに、急に電車にすら乗れなくなってしまっていました。

 

パニック症候群というものをあまりよく知らない方に向けて説明すると、頭では「これはパニック症の症状だから大丈夫、落ち着いて」と理論的に自らに言い聞かせる自分と、それと並行して死の恐怖 まるで殺人鬼に囚われの身となってしまったかのような恐怖を感じている自分が同時に存在する、そんな発作が起こる症状です。

 

なんの前触れもなくランダムにやってくる、とてつもない恐怖の感覚に怯え、自分の人生の舵を奪われたような敗北感と共に毎日を過ごしていました。

 

その後、その辛い時期にそばにいてくれた同僚だった今の夫と結婚し、薬の力を借りながらではあるものの、体調も徐々に安定してきました。自分のペースで細々と仕事をしていけるように、長年の夢だったアパレルの事業の立ち上げを東京で着手し始めます。

 

サンプルを作ったり商標登録をしたり、コツコツ準備の日々。少しメドが立ってきた頃に妊娠をし、このまま周りの手を借りて育児をしつつ、マイペースに自分のブランドも頑張っていこうと思っていました。

 

そんななか夫の転職が香港で決まります。

長男が生まれるほんの数日前のことです。

 

 

香港へ

3ヶ月後には東京の家を引き払って香港へ引っ越すことに。夫のキャリアアップや充実感が得られるなら良かったと思ったし、私自身も新しい国での新生活をワクワクしながらスタートさせました。

 

ただ、長男は性格の激しいベビーで、寝かしつけに12時間かかることはざら、やっと寝たと思ったら10分後には激しく泣いてまた振り出しに戻る、そんなことが多い育児が数年続きました。

 

疲労が溜まるとパニック症がぶり返すこともまだ時々ありましたが、幸いなことに香港にはお手伝いさんの文化があり、日中は彼女に手伝ってもらいながらの育児だったので「香港はなんてママに優しい文化なんだ!!」と感激の日々でした。

 

その後生活にも慣れて、「香港でだったら二人目も産めるかも!」と、長男と2歳差で次男を妊娠します。

 

気性の激しい長男も年齢が上がれば落ち着くだろうし、なんてったってヘルプがある!きっと大丈夫!

 

そうポジティブに考えたうえでの二人目の妊娠でした。

ところが。

次男の出産の数週間まえ(ちょうどその日私自身の36歳の誕生日だったのですが)夫がリストラにあいます。なんというバースデープレゼントw

 

急に無職になってしまった夫。これが噂に聞いていた外資系企業のコワイ部分かぁ、という感じでした。

 

その後すぐビザは切れてしまい、狭い香港で次の仕事が見つからなかった我が家は、ひとまず家財一式を倉庫に入れて夫の実家の米国テキサスに飛ぶことに。

 

 

テキサス州(オースティン)

2歳の長男と生後数ヶ月の次男を文字通り両手に抱えて、アメリカでの生活が始まりました。

私の夫は、何も挑戦していない状態というのを一番苦痛に感じるタイプで、テキサスでの無職生活は、それはそれは彼にとってしんどい時間だったようです。

もがいた末にやっと見つかった次の転職先はワシントン州シアトルでした。これで夫のしんどい時期にもピリオドがとホッと一安心。

 

1年弱のテキサス生活を終えてシアトルへお引越し。家探し、学校探し、グリーンカード取得、荷解き、とにかくゼロからのスタート

 

 

ワシントン州(シアトル)

そこで立ちはだかったのは、アメリカのほとんどの街は基本的に車での生活、という壁でした。

 

一番近いスーパーまで歩いて30。初めのうちはベビーカーを押しながら買い出しをする日々でしたが、一度に買える量も限られているうえ、雨の時期に入ってしまうと労力が倍必要に(この頃はUberもまだあまりなかったんです)

そのうえまた往復1時間以上歩いての長男の保育園お迎え。どんだけ歩かにゃならんのだ!しかもいつも二人乗りベビーカー付き!この時期はだいぶと足腰が鍛えられましたw

 

3歳児と乳幼児を抱えての車なし生活はほぼ無理に等しいことがわかったので、人生初👀車の免許を震え上がりながらも取得することに。

 

家族や知り合いもいないのでまずはベビーシッターを探し、教習所通いをスタート。シッターの面接、教習所での運転練習、保育園とのやりとり今までも多少は英語を使って来た生活をしていたはずなのに、意外なことにその全てが今まで以上難しく感じました。

 

おそらくそれは、英語ネイティブな相手とやりとりをするということへのハードルだったんじゃないかと今となっては思います。

 

夫は早朝から夜遅くまで仕事、友達はいない、理屈の通じない乳幼児2名と常に格闘し、何をするにもバカでかいダブルストローラーを押してひたすら歩かねばならず、肌はボロボロ、ストレスで髪は抜け、一時期は生え際がニコラスケイジになりました(ニコラスケイジのファンの方ごめんなさい🙏🏻)

 

度重なる環境の変化のせいか、長男は夜驚症(夜中に30分ほど泣き叫ぶ)を発症、朝の登園はこれまた泣き叫ぶ彼を次男の抱っこの上に抱えて入り口まで強制連行

それは私が思い描いていた子育てとは全く違う、戦場のような毎日でした。

 

「プラダを着た悪魔」の実写版みたいなハードなファッション業界を経験していたにもかかわらず、それとはまた違った種類の大変さを子育てに感じました。

子育てで一番つらいのは、理屈では何一つ進まないもどかしさ、そしてそれに耐える自分を誰も評価してくれないという孤独でした。

育児の大変さは、キャリアにつながる仕事とはまた別のしんどさがあります。

子供の話はあまり聞きたくないというひとも一定数いるかもしれませんが、それでも困難な育児を経験した私としては、世の中の似たような経験をされた方を抱きしめてあげたい気持ちでいっぱいです。そして「忍耐強くよくやってるね、ひとりじゃないよ」と言ってあげたい。

夫が仕事から帰ってきてHow was your day? と聞かれるやいなや滝のように泣き崩れる日も少なくなく

 

 

とここまで書いて、ちょっと待って!

 

走馬灯のようにハードだった日々が思い出されて書き連ねてしまいましたが、「夢物語」について話したかったんだったw

 

『遠くどこかへ置き忘れてしまったみたい あの日の景色と少し違う人生』

 

(置き忘れたのは本題コホン)

 

冗談はさておき、そう、まさにこんな気持ち。

何はなくとも子供に全力を注ぐ毎日。

自分の夢なんて持つのがおこがましいくらい必死の育児生活

 

『戦わず 受け入れる この痛みも時が経てば 慣れてくるって知ってる』

 

この時の私の心情は、まさにこれそのもの。

自分を抑圧して子供に尽くすことに、慣れていく怖さがいつもありました。

 

シアトルで免許も取って友達も作って、生活もやっと落ち着いてきて3年が過ぎた頃、今度は夫が仕事の忙しさとストレスで鬱っぽくなりました。

 

あまりに辛そうだったので「次の仕事のことは心配しないで辞めたら良いんじゃないか」という話し合いをし、実際に退職をして本調子になるまでゆっくり転職活動をする方向で決まりました。

 

あぁそれなのにw

 

思いがけずお声がかかり(大変ありがたいことですけれど)、ゆっくりする暇もなく今度はお隣の州オレゴン州ポートランドに引っ越すことに!

 

また引越し!

 

また振り出し

 

 

オレゴン州(ポートランド)

3年と少し住んだシアトルの家を売り、ポートランドでの家探しをし、学校探しをし、またも怒涛の引越しモードを経て、いま現在住むこの土地にやってまいりました。

 

学校探し、友達作り、ローカル情報収集またゼロから仕切り直して、ありがたいことに今ではポートランド生活は無事三年半が経ちます。

 

 

ただしかーーーし!途中パンデミックで、一年半という、果てしなく長い、ナガイ、ながぁぁぁい、学校閉鎖がありました。

 

「やっとやっとこの6年で四回の引越しを終え、少し子供も大きくなって二人一緒に学校に通えるようになったというのに

おぉ神よなぜあなたはこのような試練を私に与えたまわるのですか😭

 

そんな感じでベルばらの主人公よろしく咽びないていた時に差し込んだ光が、実は、PROGRESSでした。

 

 

最初はROM専で発信を受け取るだけのつもりで入ったpg。ですが、あっちゃんの熱いHRや授業にほだされて、気づけば顔出しをし、コメントを打ち、発信をするようになっていました。

 

それまでずっと自分のやりたいことなんて言っている余裕もなく母親業に徹していた自分が、発言をし、発信をし、それどころか趣味の英訳の歌までも投稿するまでになるなんて思ってもみませんでした。(いつもコソコソ歌っているので、未だに家族にはまともに聴かせたことがありません。それをpg内とはいえ発信することがどれほど私自身にとって大ごとだったか、どーか伝われw)

 

いつも全力で自分の中の何かを叩きつけるエネルギッシュなあっちゃんは私とは違う種類の人だけれど、逆に自分にない部分を見せつけてくれて、知らず知らずのうちにその熱にいつも背中を押されています

 

そしてそんなあっちゃんに感化されて、自分のやりたかったこと、やりたいこと、それにすこしずつ向き合い始められていることに喜びを感じています。

 

自分に何ができるか?

自分の強みはなんだ??

 

問い続けながら、私の夢物語は時を経て、ファッションから形をかえつつあります。

やりたいことはいくつかある中で、何から始めてどう進めていくか、最近は不安のなか自問自答の日々です。

 

でも「何か成し遂げたい!」「自分に何が出来るか見てみたい!」いう想いだけは強くある。

 

『気づけばまた考えてるんだね


諦めきれない夢物語


不安は何しても隣り合わせ


やるべき事が分からなくたって


動いてみたら何か見えるって


泣いたら負け いやそんな事ねえ


泣いた分だけ強くなるんだぜ』

 

泣いた分だけ強くなる。

だから泣いた話、つらかった話もする意味があるのかもしれない。

 

「私なんかよりもっとずっとしんどい思いをしている人も絶対いるんだから、自分の苦労話なんか言わない方がいい」いつもならそう自分に言うところ。

 

だけど今回は感動した気持ちの高ぶりのまま、自分のストーリーをコラムにして自己開示してみるのも悪くないかも!と思った次第です。

 

『晒してみろ 探してみろ 自分だけのドラマ


笑っていいよ 愛していいんだ 下手くそな姿


無我夢中に 自分らしく やればいいんだ』

 

「夢物語」を聴いて走馬灯のように湧いて出てきた私自身のストーリー。

思い出したうえで『無我夢中に自分らしくやればいいんだ』というメッセージを受け取って、またもあっちゃんに背中を押された気持ちです。

 

『みんなが主役それぞれ輝ける場所で


浴びてやろうぜ 割れんばかりの拍手喝采


信じてみたら動き出した人生


浴びてやろうぜ 割れんばかりの拍手喝采』

 

自分が輝ける場所を探していきたい。

 

そしてそれを模索する葛藤さえもpgの仲間と共有していきたいと思い始めています。

 

自己開示ってこわい

でも「夢物語」を聴いて、そして自己開示をして軽やかに前進していくメンバーを見て自分の泥くさい過去を晒してみようと思えたことにが個人的には進歩だなぁと感じています。

 

pgと家族のように付き合っていきたい、と言ってくれるあっちゃん。

 

自分の中に渦巻く何かをこんな風にシェアできると思えた私自身もまた少し、pgが家族のように思えてきているのかもしれません。

 

『晒してみろ 探してみろ 自分だけのドラマ


笑っていいよ 愛していいんだ 下手くそな姿


無我夢中に 自分らしく やればいいんだ』

 

 

 

あなたのドラマは

 

 

どんなですか?😊


1,402 ビュー
15いいね!
読み込み中...