アリスカーナ所蔵。グラフィックデザイナーを生業としている米倉八潮と申します。
今日はまだ僕が若き頃の話を書いてみようかと思います。
デザインの専門学校を卒業したものの就職もできずフラフラしていた24歳の僕は、もうなんでもいいやと焼肉屋のバイトの面接に行くもそれすら落ちるという中々にアレな暮らしをしておりました。
そんな折、専門学校で非常勤講師をしていた鬼のようにクソ厳しい先生がいまして、僕の同期の優秀な学生を採用していたんですね。
ところが4ヶ月経った頃あまりのキツさにその子が辞めたという話を聞きまして、速攻その先生に電話したわけですよ「俺に働かせてくれと」。
まあまあ僕は当時アートとかデザインとかまだよくわかっていなくてひたすらに作りたいものを好き勝手に作っていたわけですよ。
そんなわけで先生は「八潮か〜。行けんの?まあ、バイト扱いで2年ならいいよ」としょうがねえから使ってやるか的な感じで受け容れていただき、なんとかデザイン業界に潜り込むことに成功したのでした。
しかし、それは地獄の扉でした。当然即戦力になれるスキルも無く、毎日毎日怒られ続ける毎日。僕の天狗の鼻はポッキリへし折られ、くる日もくる日も先生とのタイマン勝負に挑んではヘコまされるという毎日を送っていました。デザイン案を持っていけばくだらねえと破り捨てられゴミ箱にダンクをかまされ、ゴール下で戦力になれない時の桜木花道状態の日々。参宮橋の駅に降りると「あれ?俺お腹痛いかも」と思うようになり、実際に胃に穴が開いていたこともありました。
しかし、デザインの現場は楽しかったのです。全てが新鮮でこれがグラフィックデザイナーという仕事かと、僕は燃えていたのです。
そんなある日とあるお店のロゴを作る仕事が入ってきまして、僕もそのプロジェクトに参加させていただくことになったのですが、とりあえず3日やるから200案作れとおっしゃるのですよ。にひゃく〜? はぁ?何言っちゃってんのこの人、ついに頭バグったか?と正直思いましたが、彼はガチガチのマジマジだったのです。
それから僕は必死にロゴを作り続けました。10個作った時点でアイデアは枯渇。手の動いてない僕を見て先生はお前みたいなもんがうんうん唸ってたってなんも出てこねえんだから本棚の本見まくれ。何もインプットのねえやつから出てくるわけねえだろという教えを授けてくれました。
そうかそうかとひたすら先人達の優秀な仕事を見てはアイデアや造形を盗み、少しオリジナルを加え、なんとか200を達成。
この地獄のロードを抜けた時僕の力は格段に上がっていたのです。まあそんな地獄的な修行を何本もやらされました。
今に思えばボクサーで言うところのパンチとかシャドーとかいいからひたすら走っとけボケ!ってアレだったんですよね。
散々走り続け、僕の基礎デザイン力は2年で爆上がりしていたのです。
当時はマジでいつかこいつコ○ス!ぜってーコ○ス!と正直思っておりましたが、先生の元を離れ、デザイン会社に就職し、独立、会社設立とここまで戦ってこれたのは、あの走り続けた地獄の毎日のおかげだったと思うのです。
と言うわけで今では僕は先生の一番弟子を名乗り、大師匠と奉り、年に一回は美味しいお店でご馳走させていただいております。
基礎体力はやっぱり大事と言うお話でした。ではまた。