葉の枯れ落ちた庭木が、寂しそうに佇んでいる。
昼寝から起きた私は、着古したパジャマにダウンを羽織り、スニーカーのかかとを踏んだまま外に出る。つかまり立ちができるようになったばかりの幼い娘をベビーカーに乗せ、いつもの散歩コースを歩く。
「…ふぅ」白いため息が灰色の空に消えていく。今日もぼんやりとしたまま1日が終わってしまいそうだ。
丸まった背中でアスファルトを眺めていると、…キラッ。足元で何かが光った。
…鏡だ。
帰宅後、拾った鏡を覗いてみる。突然、鏡の中で煙の渦が巻き起こり、もやが明けると、そこには見たこともない世界が映し出されていた。
不思議な光景だった。昔テレビで見た芸能人が、一生懸命に話している。彼は目標に向かっていつも必死だった。彼を応援する人や、背中を追っている人もいた。違うフィールドで楽しく談笑している人たちもいた。
エネルギーに満ちたその場所では、誰もかれもが、輝いて見えた。こんな世界があるのか。驚きと共に、悔しさと羨ましさが込み上げてきた。
「仲間に入れて」恐る恐る私は鏡に向かって話しかけてみた。
どれほどの時間が過ぎただろう。いつしか私は、鏡の国から出られなくなるほど、その世界に没頭した。
自分の感情から、濁りはもう見えない。パンパンに詰まっていた心には、少しだけスペースができた。
太陽が昇る前に目が覚める。コーヒー豆を挽いて、お気に入りのマグカップにゆっくり注ぎ入れる。家族が起きる前にひと仕事を終わらせるのが、最近の日課だ。
お気に入りのシャツに腕を通すと、背筋が伸びる。今日も良い1日になりそうだ。
庭の梅の木は、可愛い蕾をつけ始めている。
私は、元気に走れるようになった娘と手を繋ぎ、いつもの散歩コースを歩く。
青い空の下、娘が言った。「ねえねえ、まま、だいすきだよ」。
あのとき突然現れた魔法の鏡は、今もポケットの中で光っている。