しゅやこなりに応援の在り方を考えてみた

執筆者 | 21/03/30 (火) | コラム

PROGRESSの中で活動するにあたり

より身近になったな…と感じるのが

人を応援すると言う行為です。

そんなこともあって自分なりに

人を応援するということは

どういうことなんだろうと、ふと考えてみました。

 

性格も違えば考え方も違う人々に対し

応援をすることってどういうことなのかな…と。

親が子供の未来を応援するときには

子供達の気持ちがどうであれ

優しいだけでは無く厳しく指導するときもあります。

これは応援という大枠の中の一つに

教育・育成という役割を担っているから。では無いかと。

教師であってもそうでしょう。

子供達の未来を応援する上で教育を委任されている。

友達の応援をするときに

教育って任されていないんですよね一般的には。

何か教えを乞いたいと願われたならば話は別ですが。

この友達ってのが一つ厄介で

かなりその関係性の距離感ってバラバラだと思います。

友達と一括りに言っても関係性は

めちゃめちゃ多様であります。

何なら、どこからが友達なの?と言う概念すら多様。

 

つまり何が言いたいかと言うと

一言に「応援」と言っても

立場や応援される側との関係性のによって

しても良い応援のスタイルが

限られていると言うことでは無いかと。

その方法の領域を超えたり方法を間違えれば

応援している側が応援していると信じてやまないことでも

応援されている側になれば、そうは思わない。

もっと言えば応援になり得ていない。と言うことかなと。

そんなように思いました。

 

応援される側と応援する側の自分の間柄と距離感を

正しく理解した上で応援をする。

更に言うならば

「応援と称し自己満足な行動をすること」

「応援」は全く違う。

全く違うスタートを切ったとしても

相手が求めることと自分が与えるものが合致すれば良いが

食い違えば応援どころか

当事者をただただ苦しめることに繋がる。

そこは理解しておかないといけないことだと思いました。

 

ここまで散々思うことを書いてきて最後に

改めて応援の意味を辞書で調べてみました。

(最初に見ろよというツッコミは甘んじてお受けしますww)

1、力を貸して助けること。また、その助け。

2、競技・試合などで、声援や拍手を送って選手やチームを励ますこと。

と言うことのようです。

つまり…

相手が助けになっているのか、相手が励まされているのか…

(その判断は相手にとってということ)

これが出来ていて初めて

その行為は「応援」と言うことになる。

 

ワタシの応援したい人は自分とどんな距離感に居るのかな?

そしてその中で、

相手にとって助けや励みになる行動は何ができるのかな?

 

それをまず、しっかりと知ることが大事かなと思いました。

結構そのことを勘違いしてしまうことも

ワタシ自身今まであったようにも思い

反省と学びという意味合いで記してみました。

 

以上、応援の在り方について考えてみた。のコラムでした。

 

最後まで見てくださりありがとうございました。

執筆者 | 21/03/30 (火) | コラム


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