竹林の奥深くに一軒の庵が立っておりました。
長い間、住む人は無く、京の人たちからも忘れられておりました。
ただ、今朝は何だか様子が違っているようでございます。庵の中に人の気配があるような…
「あれ…?」
目を覚ました青年がまるで猫のように伸びをしたあと、不安げに辺りを見回しております。小さな庵には彼一人きり。他には誰もおりません。
今度は自分の手を見つめているようでございます。しばらく、顔や腕などに触れておりましたが、立ち上がり、鏡に自分の姿を写している様子。
「何で…?これ、ぼく…?ていうか、ぼくは誰?」
年の頃は15、6でしょうか。透き通るような白い肌をした大きな目の美しい青年が鏡の中で驚いたような顔で立ち尽くしておりました。
『…り…りん…』
(だれかの声が聴こえたような気がする)
『りん!りーん!』
懐かしい男の子の声に青年の目から涙がこぼれました。
(だれ?)
青年の頭の中で霧に包まれたようにぼんやりと男の子の姿が浮かんだのでございます。
(夢…?)
青年は自分が誰なのか、なぜ頭の中に男の子が現れるのか、なぜその子の声を聴くと懐かしくて切なくて涙が出るのかわからなかったのございます。
そのようなことが幾日か続いていくうちに青年の記憶が少しずつはっきりしてきたようでございます。その反面、青年は自分の姿に戸惑っているようでございました。
『りん!りーん!おいで〜』
「詠人…詠人の声だ…詠人はどこ?ぼくを呼んでる」
そう。彼の名前は『りん』と申します。頭に浮かぶ詠人という少年の飼い猫。それがりんの元の姿なのでございます。
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りんは詠人と過ごした日々を思い出しておりました。
捨て猫だったりんを拾って連れて帰った詠人は父を説得し、飼い始めたのでございます。
鈴を転がすと無心でじゃれる姿を見て、『りん』という名前を付けたのでございます。
「りんはかわいいね」
「りん、おいで」
「りん!」
詠人はりんをとてもかわいがっておりました。いつも一緒。寝る時も自分の布団にりんを入れてやり、りんも詠人の横に丸まって眠るのが好きだったのでございます。
ある日のこと。
「りん、見て!かわいいだろ?」
詠人の手には小さな鈴のついた赤い首輪が乗っておりました。
「りんに似合うよ、きっと」
赤い首輪をつけたりんは心なしか少し誇らしげに詠人を見つめておりました。
詠人の愛情を一身に受けたりんは幸せな日々を過ごしておりましたが、詠人には少し気がかりなことがございました。生まれつきなのか、捨て猫であったことが災いしたのか、りんはあまり丈夫ではなかったのでございます。しばしば、食欲を失くしたり、横になっていたり。その度に詠人は懸命に、りんの面倒を見ておりました。
そのような詠人の姿を黙って見ていた父が詠人を部屋に呼んだのでございます。
「詠人、私の部屋に来なさい」
「父さま、何ですか?」
「詠人はりんがかわいいか?」
「はい!」
「そうか…しかしそろそろ、りんとはお別れしなくてはいけないかもしれないな」
「えっ?なんで?りんはどこかに行っちゃうのですか?」
「そうだな…りんは遠くに行ってしまうかもしれないな…」
「なんで?いやです!」
「詠人、りんのそばにいてやりなさい」
「…はい」
その日から詠人はりんのそばを片時も離れず過ごしておりました。
京の町に初雪が降った夜、詠人はいつものようにりんと一緒に床に就きましたが、朝、目覚めるとりんの姿はそこにはありませんでした。
「父さま!りんがいない!」
「詠人…猫というのはね。自分が死ぬとわかるとどこかへ消えてしまうものなのだよ。りんはもう帰ってこないのだろうね…」
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「そっか…ぼく、死んじゃったんだ。あの夜、詠人にさよならしたんだった…それで人に生まれ変わったんだ…詠人を探さないと…詠人が寂しがってるかも…」
庵を飛び出したものの、竹林まで来たところでりんの足が止まったのでございます。
「どこに行けばいいの?詠人はどこ?」
りんは詠人を探す術を持たず、しかも自分が一度この世を去ってから幾歳月経ったのかもわからなかったのでございます。
竹林を見上げては途方に暮れる…そんなりんの姿を見つめている一人の男がおりました。
ほら、また今日もりんを見つめております。
ふと振り返ったりんとその男の目が合ったような…一瞬の出来事でございました。
「詠人…見つけた…」
りんの口が音もなく、そう動いたように見えたのか、その男は目を伏せてしまったのでございます。
りんはそっと立ち去りました。
りんの心は期待と不安で千々に乱れ、しばらくの間、庵から出ることが出来なくなっていたのでございます。
ようやく外に出たりんはまた竹林に向かったのでございます
この日もあの男は竹林に立っておりました
「あの…」
(話しかけてくれた。でもぼくのこと、わからないんだな…)
嬉しさと寂しさでりんは笑みを浮かべるのが精一杯でございました。
「詠人だよね?あの目は絶対そう…。でもぼくのこと覚えてないんだ…」
あくる日も。
「君、名前は?」
「…」(りんだよ、詠人、ぼくのことわかんないの?)
「僕は詠人。君の名前は?」
「…り…」
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『ねえ、お前の名前なんだけどね。お前が鈴が好きだって父さまに言ったらね。鈴は「りん」とか「れい」って読めるって教えてくれたんだよ。うーん…決めた!今日からお前はりんだよ!』
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「れい…」
「れいか。いい名前だね」
それから度々、竹林で会うようになった二人は色々な話をいたしました。りんの話も…
「れい。僕、小さい頃、猫を飼ってたんだ。名前はね、りんって言うんだよ」
「そうなんだ…かわいかった?」
「うん、とってもかわいかったよ」
「詠人はりんが好きだった?」
「うん。好きだったよ、とても…でも身体が弱くてね…」
「こほっ」
「れい、大丈夫?また咳が出るの?」
「…大丈夫。りんはどうしたの?」
「りんはね…いなくなっちゃったんだ…」
悲しそうに話す詠人を見ていたれいの目から涙が溢れたのでございます。
「れい?何でれいが泣くの?」
「…」(詠人ごめんね…あの時、もう生きられないってわかったから…)
「れい?どこか苦しいの?」
「ううん…」(あの時、もう二度と詠人には逢えないと思ってた。でもこうやってまた逢えた。だからこれからは『れい』として詠人のそばにいるよ)
「れいは優しいね。おいで」
詠人はれいに膝枕をしてやり、昔、りんにしていたようにれいの髪を優しく撫でたのでございます。
「れいは猫みたいだね。なんだかりんに似てるよ」
二人だけの静かで穏やかな時間は季節を越え、鎮守様のお祭りが近づいてまいりました。
「れい、一緒にお祭りに行くかい?」
「ぼく、お祭り行ったことない…」
「じゃあ、僕と行こう」
「詠人みたいなお着物着る?」
「それいいね。僕がれいに似合う浴衣を選んであげようね。れいには何色が似合うかなぁ?」
楽しげに思案する詠人をしばらく見つめていたれいにふと辛そうな影が差したのでございます。
「詠人…今日はもう帰る。ぼく、少し疲れた…」
「れい…送ってく?」
「大丈夫。帰れる」
庵に戻ったれいは激しく咳き込んだのでございます。詠人に心配をかけたくない一心で胸の苦しさを隠していたのでございましょう。
(詠人…ぼく、今度はずっと一緒にいられるかな…)
半月ほどが経ち、体調が落ち着いたれいが竹林に行くと待ち侘びた様子の詠人が佇んでおりました。
「れい、元気だった?」
「う、うん」
「そっか。あのね、れいの浴衣が出来たんだよ。明日はちょうどお祭りだから着せてあげようね。お店においでね。妹の綾にも会わせたいし。綾はびっくりすると思うな。僕にこんなにかわいい友だちが出来たって知ったらさ。」
「お店…お店は嫌…」(ぼくが猫だって気づかれるかも…特に綾ちゃんは小さい頃から勘が良かったしな…)
「れいは恥ずかしがり屋だね。わかった。裏においで。僕の部屋ならいいだろ?」
「うん…」
明くる日の午後、れいの姿は桔梗屋の裏手にございました。ここ桔梗屋は詠人の家で、京の町でも指折りの呉服屋なのでございます。
「れい、いらっしゃい。さあ入って」
懐かしい詠人の部屋でございました。りんの姿を思わせるものは残ってはおりませんでしたが、柱やそこかしこに小さな傷がついております。あれらはりんがつけたものなのでございましょう。りんが日がな一日ひなたぼっこをしてた縁側もあの頃のまま柔らかな日差しが降り注いでおります。
この部屋での詠人との暮らしが懐かしくて愛おしくて、しばし想い出の中を漂っておりました。
「ごめんよ、浴衣に合わせる帯とか草履とかいろいろ選んでたから、散らかってるんだけどさ」
新しい浴衣に袖を通したれいは鏡に向かって、袷に指を滑らせてみたり、帯の結び目を見ようと振り返ってみたりと、少しばかり恥ずかしそうに自分の姿を映しておりました。
その様子はとても愛らしく、幸せに満ちておりました。
「れい、よく似合うよ。迷ったけどやっぱり白にして良かったな。れいは色が白いからね」
れいの細くしなやかで白い肌に本当によく似合っておりますこと。
「そう?似合う?詠人、ぼくかわいい?」
「かわいいって、あはは。れいは子どもみたいだな。さっお祭り行こ」
(りんのことはかわいいって言ってたのに…)
あらあら、れいはりんにやきもちを妬いているようでございますねぇ。詠人は先ほどからずっとれいのことをかわいいと思っておりますのに。
境内の手前まで来ると、れいの足が止まってしまったのでございます。無理もありません。生まれ変わってからというもの、詠人の他に関わった人はおりません。それなのに目の前にはこんなに多くの人がいるのです。
(怖い…)
「れい?どうしたの?」
「…」(怖い…)
「人が多いからね。僕のここに掴まっておいで。そしたら大丈夫だろう?」
詠人の袂を握り、始めはおずおずと歩を進めていたれいでしたが、お囃子の音や色とりどりの夜店の賑やかさに次第に目を輝かせていったのでございます。
「れい、欲しいものがあったら言うんだよ」
「詠人、あれなに?」
「ん?あれはあめ細工だよ。見ておいで」
「かわいい…」
真っ黒に日焼けした若いあめ屋の男は時に客とおしゃべりをしながら、時に鼻歌など歌いながら次から次へと客の注文を聞いては器用にさばいていくのでございます。目を丸くしてその様子を見ていたれいにも、ほら。
「おっと!そこのおにいさんはなんにします?」
「ぼく?言っていいの?なんでもいいの?」
詠人を見るとうなづいております
「いいよ。れいが好きなもの言ってごらん」
「じゃあ、ねこは?」
「できますよ〜」
熱くて柔らかい飴を練ったり、切ったり。瞬く間にかわいらしい猫の出来上がり。
「はい、どうぞ!」
「すごい!ありがとう」
れいには見るもの全てが珍しくて、楽しくて、まるで子どものようにはしゃいでおりました。
「詠人、あれ欲しい」
「かざぐるま?れいは本当に子どもみたいだね」
「だめ?」
「いいよ。れいが欲しいなら」
赤いかざぐるまに息を吹きかけ、くるくると回るのを見ては笑うれいを詠人は幼子を見守るように眺めておりました
やがて日も暮れ、祭り提灯に火が灯ってまいりました。境内は昼間とは違う幻想的な雰囲気に包まれております。
しかし、ほのかな灯りに照らされたりんの様子が先ほどまでと少し違うような…
時折そっと胸の辺りを押さえておりますし、息が乱れているようでございます。
「れい?大丈夫?」
「…大丈夫」
「大丈夫じゃないよね。そろそろ帰ろうか。人も多かったし、疲れたよね」
「…」
れいは何かを見つめて立ち止っておりました。詠人がその視線の先に目をやると小間物の屋台が出ております。
「れい?」
れいが見つめていたもの、それは小さな鈴のついた赤い根付でございました。かつて、りんであった自分に詠人が付けてくれた赤い首輪と重ね合わせていたのでございましょうか。
「詠人、あれ…」
「ん?あれが欲しいのかい?これ、ひとつおくれ」
れいが詠人の袖を引き
「ふたつ…」
「えっふたつ?」
「詠人の分も…お揃いがいい…」
「そうか。そうだね。ふたつにしておくれ」
「毎度あり」
「はい。これはれいの。こっちは僕のね」
「ありがと…」
「さ、帰ろ」
境内を出て、少し歩いたところで竹林に向かう道とは違うことに気が付いたれいが詠人に尋ねますと
「そうだよ。れいの新しいおうちに帰るんだよ」
と、さも当然のように詠人は答えたのでございます。
「新しいおうち?」
「あのね。竹林はちょっと遠いだろ?れいに会いに行くのが大変なんだよ。れいがお店を抜け出したらだめだって言うし。だから、ね」
町から遠いと言うのは方便。詠人は庵の場所を告げられていなかったのでございます。れいの身体を心配している詠人にとってはこれほど由々しきことはございません。このままではもし、れいに何かあっても詠人が駆けつけることも出来ないのでございます。そこで桔梗屋の近くに小さな家を用意していたのでございます。
「れいが気に入ってくれるといいけど」
れいを想い、れいのためだけにしつらえたお部屋には縁側もございました。
「あそこ、お日さまあたる?」
「もちろん。れいはひなたぼっこ好き?」
「好き…」
「そっか。やっぱりれいはりんとよく似てる」
「えっ…?」
「ううん。なんでもない。疲れただろ?」
詠人はれいの着替えを手伝ってやり、布団に横にさせると、そのかたわらで浴衣を畳んでおりました。
「れい、この根付、ここに置いておくよ」
「あっだめ。ちょうだい」
手渡された根付を手の中で転がしたり、鈴を鳴らしたりしているれいを詠人はしばらく眺めておりました。
「れい、そろそろ帰るよ。ゆっくりお休み」
「うん…あっあかりはそのまま…」
「子どもみたいだね。わかった。また明日来るよ。おやすみ」
詠人はれいの柔らかな髪を撫でると帰っていったのでございます。
「おやすみ…詠人」(あかりが消えると怖いんだ…詠人に会えなくなる気がして…)
あくる日から、れいは詠人のいない昼間、身体の具合が良い日は縁側に座り、温かな日差しを浴びながら小さな空を見上げて過ごしておりました。
れいに病の影は確かに迫っていたのでございます。その身はやつれ、白い肌はさらに透き通るほど白く、乾いた咳は回数を増し、痰に血が混じることも。それでもれいの顔にはいつも笑みが浮かんでいたのでございます。詠人に心配をかけたくなかったのでしょうが、それ以上に詠人と一緒にいられる幸せを感じていたのでございましょう。
(今日は来ないのかな…)
「れい!ごめんよ。遅くなってしまったね」
「ううん。大丈夫」
「綾がやかましくて」
詠人はもとより色男。お着物を粋に着こなし、物憂げな表情で町を歩けば、旦那衆を見慣れている置き屋のお姉さま方でも振り返るほどでございます。父の商いを嫌々手伝っているのが玉にきずではございましたが。それがある時を境に商いに精を出すようになったのでございます。やっと跡継ぎとしての自覚が出てきたと旦那様も綾も奉公人たちもほっとしておりました。それはれいとの約束だったのでございますが、それは二人だけの秘め事。
綾は兄が夕刻が近づくとなぜかそわそわしだし、「あとは頼んだよ」と出て行かれるのだけが不思議でございました。ほら、またこの日も。
「兄さま。毎日どこにおいでなのです?どなたかいい方でも出来たのですか?」
「って訊くんだよ。だからね、お勤めはきちんとしているのだからいいだろって言ってやったんだよ。それで遅くなってしまってね」
「ぼくは詠人のいい人?」
「そうかもしれないね」
詠人はれいのことが愛おしくて仕方がなかったのでございます。それ以上にれいの身を案じておりました。あのお祭りの日以来、れいが床に臥せることが多くなっていたからでございます。
れいと話をして、れいを寝かしつけ、あかりをつけたまま、そっと帰っていく日々が続いておりました。
「れい…お医者を呼ぼうか?」
「いや。お医者は嫌い…だからお医者を呼んだら詠人も嫌い…」
「れい…」
(もし、お医者に連れていかれてしまったら詠人に会えなくなるかもしれないから…)
れいの命のろうそくは短くなっておりました。炎も少しづつ弱くなっております。そのことにれいも詠人も気づいておりました。
「れい。春になったらお花見に行こうね」
「うん…」
「夏には送り火を見に行って、舟遊びもいいよね」
「うん…」
「お寺とか神社を回るのもいいよね。お伊勢さんにも行きたいけど、ちょっと遠いかなぁ」
「うん…」
「今年、出来なかったことたくさんしようね」
「うん…」
もう遅いかもしれない…出来ないかもしれないとわかっておりました。それでも詠人はれいをこの世に繋ぎとめておきたかったのでございましょう。そして、れいもそれを望んでおりました。
「約束だよ」
「うん…約束」
二人が交わした指切りはとても美しくとても悲しい約束の証でございました。
(詠人…ぼく、やっぱりもう無理かも…また詠人にさよならを言わないといけないかもしれない…)
れいの命のろうそくが尽きるのはもうまもなくなのかもしれません。
京の町に初雪が降った夜のことでございます。
いつもはあかりを消すことを嫌がるれいが
「あかりを消して」
「えっ?消すの?」
「いいの。その代わり、詠人がそばにいて。帰らないで…」
あかりを消し、腕枕で添い寝をしてやると、れいは熱い息の下で、詠人に話し始めました。
「詠人…今、幸せ?」
「幸せだよ。れいは?」
「ぼくも幸せ…。このまま詠人とずっと一緒にいられたらいいなって思ってる…」
「それなら一緒にいよ…ずっと」
「ねえ詠人。ぼくともう一つ約束して…」
「なに?」
「ぼくがいなくなっても、幸せでいるって…そうでないとぼく…」(安心してさよなら言えないから)
「れい?」
「約束して…」
「約束するよ」
「ねえ、詠人…猫ってね…」
「れい?寝てしまったのか」
れいの髪を撫でてやり、詠人の唇がれいの額にそっと触れると少し辛そうだったれいの寝息がすーっと和らいだのでございます。
「おやすみ、れい」
そのまま詠人も寝入ってしまった夜明け前のことでございます。
詠人の腕の中でれいが目を覚ましたのでございます。
「詠人、お別れだね…詠人のそばにいられて幸せだったよ。ずっと一緒にいられなくてごめんね…でも、次に生まれ変わってもきっと詠人を見つけてみせるから…待ってて…それまでほんの少しのさよならだから…」
れいもまた詠人の額にそっと唇をあてたのでございます。
その頃、詠人は夢を見ておりました。りんがじっと見つめると何かを伝えるかのように短い鳴き声をあげて去っていく不思議な夢でございました。
(りん?どこへ行くの?りん!)
朝になり、目覚めた詠人は自分がなぜか泣いていることと、隣で寝ていたはずのれいがいないことに気づいたのでございます。
「れい?」
(そうか…れいは行ってしまったのか…りんのように…)
「やっぱり、れいとりんは似てるな…れい、いつかまた僕のところへ戻っておいで…」
それから幾度かの春がやってきて、今年も桜が満開になっておりました。
「れい…今年も桜が咲いたよ…」
「れいとの約束だから…僕は今、幸せだよ…」
花びらを舞い散らす風の中にチリンと鈴の音が聴こえたのは気のせいなのでございましょうか?
「詠人…好きだよ…待っててね…」
fin.
本編『風に消えた恋』
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