メキシコで出会った太陽

執筆者 | 21/03/31 (水) | コラム

僕がメキシコに来て1年が過ぎましたが、今回は2回目であり、初めて来たのは2008年のことでした。

当時、自分のやりたい事が分からなくてうだうだと悩むだけの日々を過ごしていました。

だから海外に行って自分探しをしたいのと、しばらく会ってなかった父を訪ねる目的でメキシコに来ました。(父も同じく画家でありメキシコに移住して20数年経ちます)

今回は当時の、父の仕事を手伝った時のことを描きます。

父は政府からの委託を受けて、恵まれない子供達と一緒に絵を描いたり歌を歌ったり、とにかく楽しい時間を過ごすという活動をしていました。

最初に行ったのは山間部の小さな村です。
舗装もされてない車一台通るのがやっとの険しい道を何時間も登ってやっと辿り着いた村。

そこで広場に子供達を集めてお絵かき教室をしました。
絵だけじゃなく、皆でダンスをしたりサッカーをしました。

メキシコはフレンドリーな国ですが、山間部は少し違って、少し閉鎖的です。

最初は変な目で見られていたと思いますが、そのうち打ち解けて大人達も混ざって一緒に遊びました。

メキシコは絵が好きな人はそれなりにいるし、壁画も多くてアートが盛んなようにも見えます。

しかし子供達が絵を描く機会はほとんどありません。小学校でも絵の授業はありません。

貧しい国ですから、アーティストになるよりもまず仕事に就けるかどうかのほうが重要です。

お金持ちの家に生まれて、美大に進んで初めてアートを知る、そんな国です。

でも、やっぱり子供達は絵を描くのが大好きでした。

絵の具を触るのも初めてな子もキャッキャと笑いながら思い思いに花や家、家族を描きます。

次に海沿いにあるピニャ・パルメラという知的、身体的障害を持つ子供とその家族が共同生活をする施設に行きました。

そこではひょんな事から車椅子バスケにも参加しました。
初めて座る車椅子。

それでバスケットボールなんていう激しいスポーツ、
手の皮は剥けるし転けるし、ヘトヘトになりながら…

それでも2ゴールくらい決めて周りから祝福されたのは良い思い出です。

他には、難病を抱える子供達のための病院にも行って待合室で一緒にお絵描きしました。

 

メキシコは他の中南米の国に比べれば経済の発展している国ですが、それでも貧しい国です。

2008年当時はまだ貧富の差も大きく(今でも)特に農家などでは子供も家の手伝いに駆り出され、学校にはほとんど行っていませんでした。

山間部に住むのは先住民族の子孫達で、国内の経済発展の恩恵はほぼ無く本当に細々と暮らしています。

そんな環境で育つ子供達は、その村でそのまま農家として一生を終えるか、街に出ても1日10ペソ(日本円で50円くらい)稼ぐくらいの仕事にやっと就けるくらいです。

街を歩いてると、6歳くらいの子供が交差点で車の窓拭きをしていたり、ガムなどを売り歩いている姿を見かけます。
仕事に就けなければ物乞いになります。

しかし、そんな厳しい環境にあるにもかかわらず、子供達の笑顔がとても眩しかったのを覚えています。

皆んな、大声で歌い、跳び上がり、身体いっぱいに楽しさを爆発させていました。

ぼくたちは生きているぞ!!そんな強烈なメッセージでした。

ああ、太陽だ。

僕はそう感じました。

子供達のためにという活動でも、実は僕のほうが子供達からエネルギーをもらっていたように感じます。

それから12年後の今、またメキシコにいて太陽とか生命力とかをテーマに絵を描いています。

メキシコは暑くて騒がしくて不便な事も沢山あります。

しかしこの底抜けに明るい太陽は僕にとって無くてはならないものになりました。

今、コロナの影響もあり様々な施設や小学校は閉鎖されていたりして、あの時の活動を再開するのは難しい状況です。

でも、時期が来たらもう一度やりたいと思っています。

今度は他の中南米の国にまで、車で旅をしながらそんな活動ができたら最高だなぁと考えています。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

執筆者 | 21/03/31 (水) | コラム


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