はじめまして
こんにちは。アリスカーナ所属の村上華と申します。
私は仕事で心理学を扱うなどはしていませんが、子供の頃から心について敏感で、twitterでそのような話題を呟くことが多いです。
ですが自分は心理学を勉強したわけではないのでおそらく知識としては不十分かもしれません。カウンセラーの経験もないですが「人の争いが何故どのようにして起り、和解あるいは根本的な解決が可能なのか?」ということが自身の人生で最も大きい悩みであり、そのために勉強が必要だと常々感じています。
それで心について分析するのが癖になっています。その分析のなかでサロンと直接関係のある話題に関しては、たまに記事を書いてみようかと考えております。
ちなみに本業はデザイナーです。イラストレーター・漫画家も目指しています。どのような仕事をするにしたって「人には心がある」ことを理解し円滑に仕事を進めるには?なんてことは誰でも考えることです。あるいは作品に「心を込める」ことは重要なことなわけで、心と関係がない仕事はないのだと思います。
そんなわけで個人的な「分析」を少しでも楽しんでいただけると幸いです。
火炎瓶というワード
昨日朝のホームルームで『火炎瓶』について中田さんが語っておられたので、その件について個人的な分析をまとめます。あくまでも一個人の考え方であり、不十分なものであるという前提の元書いていますが、もし1ミリでもあなたのお役に立てるのだとしたら幸いです。
ここでは『火炎瓶』を「言葉の暴力」のことだと認識して話を進めます。
火炎瓶(言葉の暴力)の怖さ
人は”感情を持つ生き物”です。歴史の中でありとあらゆる人がその感情はどのようにして起こり、コントロールは可能なのかについて悩んできたことと思います。そこについてすでに多くの書籍や知識が溢れた現代ですが、それでも争いはあります。とても悩ましいことです。
智恵の恩恵は誰でも授かれる時代ですから、是非「心」について考えてみようではありませんか。争いをなるべく回避し、克服の道がないか追求する姿勢を忘れては先人たちの努力や智恵をドブに捨てているようなものだから。
誰もが傷付きたくはありません。そして幸せでありたい。これはどんな人にでも共通する心理です。
しかし現実的に、生きていれば誰でも傷つく経験をします。幸せだと感じることができない心理状態になることもあります。様々な立場の人が生きていますから、それはしょうがありません。
人は無理解や無関心を感じると、人を信用できないと判断しますが、心のどこかでは信用したいという心はあるのだと思います。火炎瓶は「理解してくれ!」「気付いてくれ!」の感情の現れであり、「気付いてくれない」「理解してくれない」という怒りと一緒になって攻撃という形に変わることが多いと感じています。
少し話がそれますが、人を信用できないあるいは人を道具のように考える心を持つ人は実在すると私個人は考えています。ですが多くの人はそうではありません。人に絶望する領域までいくとなかなか心を開くことは難しくなりますが、人には良心があると信じた方が、自らの心を大きくし、行動や習慣を変える選択肢、また自らの心を危険から守り味方をつける選択肢を選ぶ可能性が増えます。結局生きる姿勢が今に現れているのです。自らの姿勢を見直す行いはあなたの心を変え、習慣を変え、行動を変えることにつながります。
物事の正しい正しくないという議論は時に解決が全く見えない泥沼の争いにまで発展することがあります。しかし火炎瓶を投げることは本当に理解や解決を生む方法としては不十分です。大概の争いはディスコミュニケーションが原因。現実的に人を殺すための武器を持つなどの行動がある理由を考えればわかることで、ディスコミュニケーションの果てに武装をしないと身を守れない状態であるということですよね?和解にコミュニケーションは必須です。たとえ危険が伴うとしても。
先ほど“火炎瓶”を投げる時「理解してくれ!」「気付いてくれ!」という心が表に出たものだと書きましたが、火炎瓶を受けた時、受けた側は火炎瓶を何故投げたのかを見極めないと最善の解決策を導き出すことができません。投げる側が主観的に自らの行動を攻撃と認識しているのか、それとも防御だと認識してるかを知ることはとても重要です。
火炎瓶から心を守る
犯罪から自分や周りの人を守るためにやむを得ずとる行動を正当防衛といいますが、口喧嘩ではなく拳の喧嘩の場合、日本では正当防衛を通り越したオーバーキル「過剰防衛」になると罪だとみなされます。過剰にやり返しすぎてしまうと防衛の範囲を超えて過失になります。正当防衛を証明することは簡単ではありませんが、証明できるように線を引きできた方が良いです。
これは言葉の暴力でも同じだと考えています。法律があるないが重要ではありません。行き過ぎに線引きをし、最善を尽くすことが重要です。
人の感情は複雑に見えてとてもシンプルです。怒りは感情の反応である場合が多いからです。これは中田さんも授業でやっておられますが、参照ください。
【アンガーマネジメント①】怒りで失敗しないために今最も必要なスキル
https://www.youtube.com/watch?v=VDoZQxlnbjE
火炎瓶を投げる人の怒りの原因が何であるかを把握できれば、対処策がうてます。それが”逃げる”なのか、”立ち向かう”のかを選ぶのはあなた次第ですが、是非争いを発展させるのではなく、治める方向性に向かうための行動をとることをお勧めします。
しかしこの時注意点があります。争いが複雑に感じる原因は感情というよりはどちらかというと「立場」にあるのかなと感じております。
先日の朝の会で触れたマジョリティ(多数派)・マイノリティ(少数派)理論を語る人は自らを「マイノリティ(少数派)」と認識している人が多いのではないかと仮定しています(統計はなくてすみません。データを探してみたいところです。)統計はどうかは別として、自らを弱いと認識しているとしたら、防衛だという自覚を持った上で火炎瓶を投げる行動にでるのではないかと考えられます。
マジョリティ(多数派)・マイノリティ(少数派)理論はあくまでも立場を表現する手段であって、その次の行動は結局のところその人次第です。自らが弱い(と自覚している者)が(その人の主観で)強いと感じる者を下に引きずり下ろすことを「必要な戦い」だとする思想とそこに基づく行動は”過剰防衛”に近いと感じています。しかし強い立場に立つ人に不正があると考えたり、あるいは強い立場の人は自分にとって都合が悪いと考えることもまた一つの心理。本当に強い者というのは地位に囚われません。重要なのは心です。
※地位のある人物が心を伴っているかどうかは見分けが難しく、そのために起こる争いも多くありますが、言及するとセンシティブな領域まで行きますのでこの話はここで止めさせていただきます。せめて、誰でもできることは自らを悔い改めることです。こればかりはかわらない真理でしょう。
一番の地獄絵図は「防衛」vs「防衛」の対立で、互いが「防衛」だと自覚してるのに行きすぎて「攻撃」になってるパターン。時折「あ、これは正当防衛だな」というのも見かけますが、近頃のネットの炎上はこの地獄絵図パターンを目にすることが多いと感じるのは私だけでしょうか?
この時、火炎瓶の投げ合いでは和解の道はありません。感情のコントロールと立場の理解の両方セットが必要です。和解ができないと感じるなら大切ものを守ために一度逃げて体勢を立て直すか(逃げることは恥ずかしいことではありません)、大切だと感じていることを発信してください。和解ができると感じるなら対話してください。
あるいはもしあなたが火炎瓶を投げることで相手が怯み、悲しむ姿を見て楽しいと感じているのだとしたら、それをみている人が必ずいるのだということを忘れないでください。
至らない文章ではありましたが、どうかあなたの人生が少しでも豊かになるきっかけになれば幸いです。あなたがまず心の葛藤を克服し、歩み寄る努力をできるように祈ります。
ありがとうございました( ´ ꒳ ` )