みなさん、こんにちは。
2020年7月30日入会の福原昌子(ふくはら まさこ)と申します。
大阪で社会保険労務士をしています。
「人は、集団になったとき、『協力したほうがいい』と分かっていながら、なぜ協力できないのか?」
このテーマについて、3回にわけてコラムを書きたいと思っています。
第1回はこちらです。
前回読んでくださった方、今回こちらをのぞいて下さった方、ありがとうございます!
書くのが好きだと言いつつ、人の目の前に出すのが毎回怖くもありますが、引き続き書いてみます。
「自分以外の誰かが行動するだろう」
唐突だが、1964年にニューヨークで起こった殺人事件の話から始めたい。
深夜、自宅アパート前で、女性が暴漢に襲われた。
彼女の叫び声で、周辺住民のうち38人もの人が事件に気づいていたにも関わらず、誰一人、警察に通報したり、助けに入ったりすることなく、女性は死亡した。
当時のマスコミはこの事象を「都会人の冷淡さ」によるものと報道したが、この事件に注目した心理学者たちが、「多くの人が気づいていたために誰も助けなかったのではないか」という仮説を立て、実験によりこれを裏付けた。
先の殺人事件をきっかけとして、「傍観者効果」(ある事件に対して、自分以外に傍観者がいる時に率先して行動を起こさない心理)が提唱されたのである。
「傍観者効果」はあらゆる場面で起こりうる
傍観者効果は、次の3つの考えにより引き起こされる。
①多元的無知:他者が積極的に行動しないことによって、事態は緊急性を要しないと考える
②責任分散:他者と同調することで責任や避難が分散されると考える
③評価懸念:行動を起こした時、その結果に対して周囲からのネガティブな評価を恐れる
所属する会社や部署で、あるいは、何かのプロジェクトチームで、思わずこのような言葉を口にするような事態が発生したことはないだろうか?
「あれ、なんで誰もやってないの?」
「こんなおかしい決定がなぜそのまま通ってしまったの?」
傍観者効果は、殺人事件を目撃する、というような特殊な状況下でなくても起こりうる。
また、気が合う仲間同士が集まっていたとしても起こりうる。
むしろ、一見「仲が良い」人同士である方が、衝突を避けようとして、「言わないほうがいい」「行動しないほうがいい」になりがちなのかもしれない。
では、どうやって「傍観者効果」の発動を防ぐのか?
「じぶんごと」として考えられるメンバー(「当事者」)をできる限り増やすことが重要なのだが、そのために、こうしたほうがいい、と私が経験から感じることを次に書いてみようと思う。
「当事者」を増やす「情報共有」のあり方
結論から言うと、「当事者」を増やすには「情報共有」が鍵となる。
ここで言う「情報」とは、たとえば会社を例に取ると、
上から下へ:企業理念、経営方針、「トップメッセージ」、社長や上長やリーダーの夢・思い等
下から上へ:トラブルの報告、困っていること、悩んでいること、仕事でやりにくいと感じていること・こうしたいと思っていること、夢・思い等
横同士:マニュアル化・明文化がしにくい無形の知恵、失敗事例、困っていること、悩んでいること等
様々な情報共有“ツール”が導入されている割には、情報共有が適切に行われていないケースが本当に多い。
「組織は人だ」という言葉があるが、私は、組織を「人体」だと考えるのが良いように思う。
人体における「血液」が、組織における「情報」なのである。
血液が行き届かない部分が壊死するように、情報の行き届かない部分は機能しなくなる。
それは人体さながらに、想像以上のスピードで、しかも、気づかれないまま腐っていく。
情報を流さない、という行動は、「あなたは、この事案に関係がありません」という、この上ないメッセージであることを、よく認識したほうがいい。
「トップはしっかり企業理念や経営方針を発信しているのに、部下がそれを聞かない、だから浸透しない」というお悩みをよく聞く。
また、「うちの従業員はホウレンソウ(報告・相談・連絡)もろくに出来ない」と嘆く声もよく聞くのだが、その原因が従業員だけにあると考えていると、本質を見誤るかもしれない。
こういう困った事態が起きるのは、血液(情報)の通り道が詰まっているからだと思う。
企業理念を流す以前に、挨拶・雑談・気遣いの言葉などが、組織の中を縦横無尽に、スムーズに流れているだろうか?
それらがスムーズに流れていないのに、いきなり企業理念を流してもうまく行きわたらないのは当然である。
組織の長やプロジェクトリーダーになって、うまくいかないと悩んでいる人がいたら、とにかく情報の通り道から詰まりを取る、を先にやってみていただきたい。
情報共有については、私自身、いくつかの手痛い失敗から学んだことがあるので、別の機会に詳しく書けたらと考えている。