なぜ人は「最初からそうなると思ってた」と言いたくなるのか
「俺はこの結果を予測してたよ」
「僕は最初から気づいてた」
「私、実はそうなるんじゃないかと思ってた」
何かが上手くいったとき、もしくは失敗した時に、後から「知っていたよ」という人っていませんか?
僕も結構人から言われてます。
「やっぱり遅刻したじゃん」
「どうせ言い訳も長くなると思った」
「あーあ、なんとなく道間違えそうだなって思ってたんだよね」
こうやって後から知ったように言われるとムカつきますよね?って書こうとしたら、遅刻するわ言い訳が長いわ、挙句の果てに道間違えるわ、方波見って奴はロクな奴じゃねぇなと思ったのですが、それはいったん置いといて。
このように、後から「知っていた」「そんな気がしていた」と思ってしまうのは、人の思考の偏りによるものだそうです。
その現象を、後知恵バイアスといいます。
後知恵バイアス=無意識な思い込み
別名で後見バイアスとも言いいます。バイアスと言うのは思考の偏りのことで、分かりやすく言うと「無意識な思い込み」というものです。
代表的なのが「正常バイアス」というもので、人の失敗を見ているのに「自分は大丈夫」と思ってしまう無意識の思い込みで、いわゆる台風の日に川の様子を見に行ってしまうアレです。
さて、「なんとなくそんな気がしていた」と後から言ってしまうのも、実は後知恵バイアスで思い込みの一種と言うのは驚きです。
なぜそんな思い込みが発生するかと言うと、人は「起こったこと」に思考のフォーカスを当ててしまう癖があるからだそうです。
例えば僕が道を間違えたとき、そこには「間違えた事実」と「間違えなかった別の可能性」が存在するわけですが、現実には間違えた事実しか起こっていないので、そもそも間違えなかったケースを考える必要性がありません。
今文章を書いていても、「いきなりパソコンが落ちる可能性」も「キーボードで突き指をする可能性」も「それにブチ切れてキーボードクラッシャーになる可能性」もあるわけですが、そんなありとあらゆる可能性を考え続けていては、おそらく脳が秒で破裂するため、人は「起こったこと」にフォーカスを当てるように出来てるのです。
過去の記憶にもバイアスがかかる
そして、そうした脳の特性は、実は過去の記憶にも作用します。
過去を思い出すときも、「目の前の事象が発生しなかった可能性」をもとに思い出すことはありません。もう少し分かりやすく書くと、僕が道を間違えた時には、間違えた事実をもとに過去を思い出すということです。
思い出せば、あのときカーナビは付けてなかったし、時間に遅れたせいでやけに慌ててたし、間違えた道はいくつか右折レーンがあったから……
「私、なんか道間違えそうだなと思ってたんだよね」
となるわけです。
でも、本来これらの事象は、僕が道を間違えなかったときには思い出さない過去なんです。
目の前で道を間違えるという事象が起こったことで、それに関連する過去の思い出が想起されて、道を間違えた理由につながる要素にのみフォーカスが当たって記憶に定着し、記憶に残っているということはやっぱりそんな予感がしていたんだと思い込んで、はい、無事に後知恵バイアスの完成という流れです。
しかもこの一連の流れは、無意識に処理されていますから、本人に自覚はありません。
さらに悪いことに、自分の予想が当たるということは、とにかくめちゃくちゃ気持ちが良いんです。
「気づいていた」「予想していた」と思うだけで脳がフットーしそうになるのに、それを得意げに口に出して根拠まで述べていくと、もう脳汁ドバドバ、さながら合法二郎です。
だから、人は何かの事象が起こったとき「俺は知っていた」と言いたくなってしまうのです。
不安な事象にはさらにかかりやすい
ちなみに不安に関してはこの現象が起きやすいと言われています。
それは、人は常に不安と隣り合わせで生きているからです。
例えば車の運転なら、実際は習慣となっているので忘れがちですが、ほぼ全員が、道を間違えてはいけない、人や動物を轢いてはいけない、遅刻しちゃいけない、と無意識と有意識の間で不安を覚えながら運転しています。
そんな中実際に事件が起こると、その不安の種を思い出し、「そんな気がしていた」となりやすいのです。
そして、これは自分の出来事ではなく、他人の出来事に対しても普通に起こることなので、本人より隣に乗っている人の方が、良く覚えているし、そんな気がしていたと言いがちだったりするのです。
皆様も似たような事象、身近にありませんでしたか?
本当は楽しみ半分、不安半分だったのに、失敗した時には「失敗すると思っていたんだ」となってしまうような事象。
それって、ひょっとしたら後知恵バイアスかもしれませんよ?
おまけ:後知恵バイアスの解除方法
後知恵バイアスを軽減するには、「目の前の事象が発生しなかった可能性」を想像し、その根拠となる思い出を想起すると良いそうです。
もし道を間違えていなかったら、道を間違えなさそうだと感じる根拠はあったか?
もし遅刻してこなかったら、それはどんな部分で「もしかして今日は遅刻しないかも」と思ったか?
もしもプロジェクトが成功していたとしたら、それはどんな部分があって成功につながっていたか?
そう思うと、意外といろいろな理由が見つかり、自分の後知恵バイアスが弱まるかも知れません。
ぜひお試しください。
※ちなみにこの文章を書いている途中パソコンが2回も落ちて、キーボードをたたき割りそうになりました。書いてるときからなんとなくそんな気がしてました。くそっ!