4月10日にクラス改革配信ってのが行われたらしい。
こんなタイトルを付けておきながら大変申し訳ない話だが、これを書く直前まで配信の存在も知らなかったしアーカイブ見てないしという有様な自分である。
見たのはしゅやこさんことサカシアヤコさん(@PROGRESS_sakaaya)のまとめツイート?だけ…。
それを見るに、大きな提案として出されたのは、
1. クラスの情報は公開した方が良い
2. クラスの移動制限は撤廃した方がよい
というものだったらしい。
その中でどんな議論が交わされたか分からないまま、無責任にも自分の考えを出すと
1. クラスの情報を「出したければ」、部活同様、TV配信もしくはコラムで発信すればよい
2. クラスの移動の回数は増やしてもいいかもしれないけど、撤廃はしなくてよい
である。
まず1について。
クラスの情報を開示するのは良いことに思う。やはり新しくPROGRESSに入った方もそうだし、前からPROGRESSにいる方も、クラスの雰囲気は知りたいところである。
ただ、TV配信なりコラムを書くなりするのは無償の労力を要する。自発的にやるならまだしも、「誰かやってちょーだい」だと誰もやらないもしくは誰かが犠牲になるほかない。1回だけならいいかもしれないけど、毎回同じメンバーで順繰りやることになってしまうことを考えたら…、なかなか大変だろうな…って思うのだ。
だから「やりたければ」という条件を付加する必要性は感じるところだ。
最もローカロリーなのは、クラス内で行ってる勉強会をTV配信でやることだろう。それなら雰囲気も掴めるし、元々やるものなのならそれを利用するべきだと思う。もちろん、勉強会などを企画してくれる人に感謝なのですが…。
2について。
クラス移動を撤廃に関しては、一個人的にはしなくてもよいと思っている。なぜなら、現所属のアリスカーナから出るつもりがないからである。ていうか、そもそも幽霊してるからどこにいようが関係ないというのもあったりするけど…苦笑
ただ、やはりクラス替えをしたい人はそれなりにいるわけで、その要望を汲むのは大事なことだと思う。
ただ、無節操に無制限にしていいかというと、そうでもないと思う。やはり回数制限は設けるべきだと思う。
釈迦に説法であろうが、「クラス移動は2回まで」というのは絶妙な回数であり、全部のクラスは見て回れないようになっている。つまり、きちんと自分がどのクラスに入るか、移動するかを考える、つまり「意志を持ってクラスを選ぶ」ということを自動的に促すことが出来ている。
この思想を投げ捨てるのは上策だとは思わない。僕みたいなテキトー人間でも、この制度のおかげで意志を持ってクラスを選ぶことが出来ている。たとえ結果論として幽霊になろうが、最初に意思を持つことが肝心な様に思う。
この制度下でクラスに入るという意志を持つのは、多かれ少なかれ「何かを学ぼうor人との繋がりを作ろう」という意思が自分の中にあるはず。それをかなぐり捨てるのは、単純に「勿体ない」と思うのだ。
だから、その思想は持ちつつ、だけどクラス替えの回数を増やしたい人の気持ちとの折衷案は、
「クラス移動は3回まで」
であろうかと思う。
複数興味あるクラスは3つまでは見て回れる、だけど全部見て回るとクラス替えが出来ず元に戻れない。このくらいがちょうどよいのではないだろうか。
まぁ、そんなわけで「クラス改革は必要なのか?」というタイトルで始めたわけですが、ここまでの個人的意見は「ちょっとは変えた方がいいかもしれないけど、ほぼ今まで通りでよいのでは?」であります。
さて、こんな長々とした文章を読んで頂いてありがたき幸せなのである。しかし、大変申し訳ない。
ここからが本当に今回書きたかった「本題」なのである。
ここまでは前置き…。
タイトルの
「クラス改革って必要なのだろうか?」
の本当の意味は、
「PROGRESS5000人時代にPROGRESS1000人時代に設計されたクラス制度を維持したままのクラス改革議論って意味あるのか?」
である。
もし、これがTV配信中に議論されていたのなら大変申し訳ない話である。が、これはあくまで個人的意見なので、”まぁいいか”という軽い気持ちで書いてしまう。
言いたいことは「PROGRESS全体の人数が大幅に増えたのに、クラス制度を現状維持でいいの?」って単純な疑問なのだ。
だって、高校で1学年300人くらいを8クラスに分けてた。
PROGRESSでそこまで細分化する必要はないと思うけど、それにしたって1クラス500人前後って多すぎる気がするんだよね…。ウォルクスに至っては800人以上いるみたいだし…。(クラスの人数参照はうえだゆう(@PROGRESSUEDA)の2021年4月1日のツイート)
僕みたいな幽霊から脱する気がないやつは放置で良いわけだけど、「潜在的にクラス内でアクティブになりたい勢」、特に新人がクラス内でグイグイ入っていくのは余程妥協がないと無理だと思うのだ。やはりクラス古参メンバーの関係性に入っていくのは至難の業だ。
別に古参メンバーが意地悪して新人を入れてやってない!って言いたいわけではなく(そしてそんな事実はない)、ただ単に「新人から見れば入りにくいだろう」って言いたいだけ。僕も新人時代、グイグイいく方ではあったと思うけど、それでも感じる壁は多少ならともあったのだ。もちろんその「壁」は、メンバー同士が繋がっていた「時間」に起因するものなので、新人が感じるのは致し方がないけど、クラス内でアクティブになるにはその壁はやはり「なるべく」低いに越したことはない。
しかし、PROGRESSが長い歴史を持つ「永遠の学園」になるにつれて、この問題は増大していく様に思う。
とは言え、じゃあ古参メンバーがリーダーシップを取って新人をフォローしよう!ってしても500人もいたらなかなか厳しい。おまけにアクティブになりたい人もいれば、僕みたいに幽霊くらいで丁度いいと思ってる人もいる。こんな多種多様な意思が入り乱れてる集団を統率しようと思うとさらに困難を極める。
とは言え、「クラスを4つ以上に増やす」なら、どの様な旗印を掲げるかはという別の問題が生じる。
今のラグナリオ、ウォルクス、アリスカーナ、フラーシアという枠組みは秀逸であると思うからで、これに被らない別の旗印を掲げるのはなかなか難しい。
そこで思ったのは、
「クラス内を班分け」したらどうだろうか?
例えば、アリスカーナは音楽をやりたい人、絵をやりたい人が入り乱れてるので、その集団を「アリスカーナ音楽班」と「アリスカーナ絵画班」とかに分けるのだ。
…まぁ、ネーミングが「ざっくり過ぎるよ!」とか「…ダサ」というクレームは承る所存だし、もう少し細かくしてもいいと思う。
ただ、これならクラス内が細分化されるので、「一つのクラスで500人の顔が見えない集団」が「一つのクラスに数十人の顔の見える集団が複数ある」くらいには変わると思う。
この無責任な妄想の最大の課題は「誰が管理するか」である。
そして、無責任な妄想ゆえにジャストアイディアはない。
ただ、学校の世界には「班」やら「委員会」というもの、さらに「生徒会」というものもあるわけだから、それらを参考にすればやってやれないことはないと思う。
ここで肝心なのは、「特定の人に負荷がかかり過ぎない」である。その様な制度設計が出来るかが重要なのだが、これまた無責任な妄想ゆえにジャストアイディアはない。
以上、無責任な妄想を膨らませ続けた石山の文章でした。
書くのは簡単、やるのは難しい…。
いつもPROGRESS内をいろいろ考えてくださる方々は本当に凄いなぁってしみじみ思う、という感想を最後に述べて、この文章は締めたいと思う。