いいね!というナイフ

執筆者 | 21/04/14 (水) | コラム

 PROGRESSはめちゃくちゃソーシャルなネットワークサービスだ。

 もはやSNSって言うのに慣れすぎて忘れていたが、オンラインサロンほど社会的なネットワークコミュニティは無いと言えるだろう。

 閉じていながら外の世界と繋がりが無いわけではない、いい感じの閉鎖感と交流がある。ものすごく村っぽいコミュニティである。

 最近は本体側でTVやTheatreなどへの案内が無いので、都市部と村みたいな感じになりつつあるが、基本的に村のほうがにぎやかという非常に不思議な空間でもある。

(ブランド名募集のような祭りがあると都市部もごった返すが)

 さて、話が変わってPROGRESS PUBLICの僕のコラムを読むような人は大体の人が何かしらの形で発信したことがある人だと思う。

 配信だけじゃなくて、朝の会へのコメント、配信へのコメント、Twitterでのつぶやき。

PUBLICでのコラム。全てが発信行為だ。

特徴的なのは全ての発信がSNSプラットフォーム上で行われていることだ。

Facebookも、TwitterもPUBLICも「発信、コメント、いいね」これらの機能で成り立っている。

・発信(自己の主張)

・コメント(他者の主張、および評価)

・いいね(見たことへの反応、評価)

 大きく分類すれば、これらの人々の人的なコミュニケーションが重なることで、コミュニティ、コンテンツとして成立しているのである。

 加えて、FacebookとTwitterにはコメントへのいいねも存在することから、多重構造になっている。

今回論じたいのは、「いいね」についてである。

いいねという機能は全てのSNSプラットフォームに内蔵されている機能である。

ここで考えてみたいのは、なぜ全てのSNSに導入されることになったか?ということだ。

2ちゃんねるのような最古の掲示板においては、スレッド(テーマ)とコメントしか存在しない。

しかしながら、商業的なソーシャルネットワークプラットフォームにおいては必ずいいね機能が導入されている。なぜだろうか?

答えは非常に簡単だ。

そうした方が「儲かる」からである。

もっと言えば、いいねという機能を実装したほうが、人はそのプラットフォームに対して夢中になりやすくなるのだ。

これは3つの機能的側面からその効果が推測できる。

1.自己へのいいね

2.他者へのいいね

3.他者につけられているいいね

大きくわけてこの3つだ。

1.自己への「いいね」がそのSNSへのコミットメント(参加意識)を向上させるのは想像に容易い。

人にいいね!とされるのはシンプルに嬉しい。

人から快く評価されることを嬉しいと感じる回路が遺伝子レベルで人間(もっと言えば類人猿まで)には備わっている。

2.他者への「いいね」に関してもそれほど理由を想像するのは難しくない。

自分自身が良い、と感じたことを「いいね」と行動することによって、人がそれを良いと思う気持ちは増幅される。

良い、と思ったことは事実だが、それをいいね!と表明した自己の行動によって

いいね!という感情系がより強化されるのだ。

行動バイアスってやつだ。

3.他者につけられている「いいね」

これは自分がいいねされているわけでもなく、他者にいいねするわけでもない、誰かがいいねされている時について考えるということだ。

つまりは、「この人のこの発信はこれぐらいいいねされている」という状態を自身が確認した時、という状態についてだ。

この他者につけられているいいねが持つ機能は

「他者はこの発信を評価している」ということを認識できるという点にある。

良いと感じた人が多かったんだな、ということで自分自身がその発信を見る価値があるのか?ということをなんとなく判断するという機能だ。

このいいねによる視聴選択が他者につけられているいいねが持つ機能だと言えるだろう。

 

さて、ここからが本題だ。

実は、これまでの123の中に含まれていない、いいねの持つ機能というのがある。

それは

4.他者につけられていない「いいね」である。

この存在しない「いいね」は何とも残酷な機能を持っている。

まず、つけられていない「いいね」というのは、主に【発信】に紐付けられている。

発信へのコメント(TwitterのリプライやFacebookLiveへのコメント)は基本的にいいねがつかないことが自然なので、そもそものいいね存在期待値が低い。

いかにも絶対にウケると思って書いたコメントが0いいねだった時は凹むが。

存在しない「いいね」は他者との相対によってその存在が発生する。

ようは、○○さんはこれだけいいねがついているのに!自分には全然いいねがついていない!という状況下で初めてその存在を認識するのである。

この相対的に見た時にいいねが少ないことを以降【負のいいね数】と言う。

負のいいね数がもつ機能は、「良くなかったこと」を認知できるという機能だ

。要は、スベっていることがわかるということだ。

念の為言っておくが、機能としてそういった機能を発揮してしまっているという話を論じているのであって、誰か個人に対して言っているわけではない。

ただ単に「いいねがつかない」という現象が持っている機能、我々に与えている影響に関して書いているだけだ。

発信というのは、主に3つの要素で評価される。

「人」「テーマ」「内容」だ。

誰、どんなことを、どう話したのか。これでいいね数(評価)が変動する。

ちなみに、この場合の話すは、歌う、踊る、描く等に置き換えられる。

あらゆる発信に対する他者の評価軸は、この3本で決められる。

 例えば、誰も自分のことを知らない場合、つまり「人」という柱がフラットの状態の場合はテーマと内容が最も重要である。

 他人が気になる、見たくなるテーマを面白く扱えるか、これが重要となる。

 こういった「テーマ」「内容」のヒットを打つたびに、「人」としての視聴率が上がる。

 これは配信だけを言っているのではない。

 コメントやリプライ、いいねでも「この人は攻撃的なコメントはしないな」とか「良くいいねをつけてくれるな」という信頼のやり取りが発生する。

 話を負のいいねに戻そう。

 例えば、同じ人でも「テーマ」「内容」によって、いいねがついたりつかなかったりする。

 僕の場合だとマニアックすぎる、文章硬すぎる、笑いどころ少ない、テーマがよくわからない、みたいな時に負のいいね数が増加する。

 どちらにせよ僕が書いているし、喋っているので「人」という軸は変わっていない。

 その負のいいね数をみて僕は「あー、今回はマニアック過ぎたかな」とか「言葉のエッヂ効きすぎてたかな」とか、「ぬかにきゅうりスベったかな」とか思うわけである。

 これが負のいいねがもつ機能である。

 要は、そのコミュニティにおいて「好ましいものかどうか」を暗に判断する機能を持っている。

 これが、「テーマ」や「内容」である場合はまぁ反省すればいい。

 だが、人軸で見た場合の負のいいね数は残酷なまでに正直である。

 Introductionは美少女にいいねが集まり、TVでは人気配信者とそうでないものを一目瞭然にする。

 この負のいいね数は非常に殺傷能力の高いナイフになり得る。

「この人はこんなにいいねがついているのに自分にはつかない…」

この気持ちは発信したことがある人は誰もが抱いたことがあるだろう。

だがあえて言おう、この感情こそが我々がSNSにドはまりしてしまう最大の理由である、と僕は考えている。

負のいいねがあるから、正のいいねの喜びが生まれる。

そういうことなのだ。

ウケたもの、ウケなかったものがあるから、夢中になってしまうのだ。

Youtubeの再生数。

Twitterのいいね、リツイート。

TV配信のいいね、視聴数。

PUBLICコラムのいいね。

コメントにつくいいね数。

これらの数字の増減に我々は一喜一憂する。

だが、それらの数字は全て「自分にとって相対的な評価軸」で考えられている。

 僕もTV配信するなら20人前後を基準に考えて、多かったか、少なかったかを考えてしまっている。だがこの数値、20人という数は他の「人軸」だとめっちゃ多い数字かもしれない。少なくとも新人で配信して20人見てくれたら驚きすぎてビッくらポンだ。

そう、あくまでも僕個人の判断軸なのだ。

この時の「あー、今回はあんまりいいねつかなかったなぁ」という気持ちは、勝手に思っている負のいいね数なのである。

これはすなわちどこまでいっても負のいいね数の痛みからは逃れられないということを意味している。

人は常に、「自分の平均」「その場所の平均」をなんとなく意識している。

もうこれはしょうがない。そういう生物だから。

最後に負のいいねへの処方箋を皆さんにお渡ししたい。

それは、「参考にして、気にしない」ことだ。

クリエイターの現場において良く言われるのは、「作品と自分を同じものだと考えないほうがいい」ということだ。

作品が低評価されたからといって、自分が低評価されたわけではない。「テーマ」「内容」が悪かっただけだ。気にしなくていい。

だがしかし、負のいいね数を全く認識せず、「テーマ」「内容」を改善せずにやり続けていいものではない。

人、テーマ、内容だけじゃなく、環境も常に変化する。

昔ウケたものが、今日もウケるとは限らない

例えば、今のTVだと「いつもやってるコメント読み配信」というテーマのニーズは前よりは無くなっている。前のコロナ禍のときほど皆が交流に飢えていないからだ。

逆に「オフラインでの交流」というテーマは今盛り上がっていると言える。

要は、環境が理由の負のいいねはある意味気にしなくていいけど、環境が変わっているということは理解したほうがいい、ということだ。

負のいいねは指標だ。痛みを伴うかもしれないが、正しい方向がどちらかを教えてくれる羅針盤でもある。良薬口に苦し。

もう一度いう、「参考にして、気にしない」これを意識してほしい。

ということで、このコラムにいいねください。

あと、方波見さんが会員限定コラム書くまで僕のコラム全体公開にしたるからな。

執筆者 | 21/04/14 (水) | コラム


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