集団の「チーム」化を妨げる3つの罠(3)

執筆者 | 21/04/25 (日) | コラム

みなさん、こんにちは。

2020年7月30日入会の福原昌子(ふくはら まさこ)と申します。

大阪で社会保険労務士をしています。

「人は、集団になったとき、『協力したほうがいい』と分かっていながら、なぜ協力できないのか?」

このテーマについて、3回にわけてコラムを書きました。
第1回、第2回はこちらです。

集団の「チーム」化を妨げる3つの罠(1)

集団の「チーム」化を妨げる3つの罠(2)

過去記事を読んでくださった方、今回こちらをのぞいて下さった方、ありがとうございます!

私自身も答えを探して走り続けているところですが、これまでの体験から感じたこと、現在の考えを記録しておきたいと思います。

「元気のない」社員

 「最近、若い社員の元気が無い」とこぼす社長さんがいる。
 会社にお勤めの経験がある方にはたいてい通じると思うが、入社時には生き生きとした表情だった新入社員も、数年会社で過ごすうちに、だんだん元気がなくなっていくのである。

 何か新しい提案をしても、周りや上の反応は薄い。仮に反応があったとすれば、「それいいな。じゃあ、お前がやってみてくれ。」となって、自分の首を絞める結果になる。

 「言い出しっぺが損をする」「余計なことなどしないほうがいい」「自分一人が何かやっても、どうせムダ」という思考になっていく。

 こう聞くと、さぞ「ブラックな企業」なのだろう、と想像する人がいるかもしれないが、いわゆる「ブラック企業」(長時間労働、サービス残業、残業代未払、パワハラなどが横行する企業)ばかりがこうとは限らない。

 むしろ、会社の業績が良くはないが悪くもなく、残業時間もそこそこで、贅沢をしなければ生活していける程度の給料ももらえている、という企業で、「あきらめ感」が蔓延している。目の前に危機が無ければ、あえてリスクを冒してまで何か行動しようという気持ちにはならないものである。

「あきらめ感」を助長するもの

 会社の業績が伸び悩んだり、これといった新規事業が出なかったりする時期は、「部署や立場を問わず、全社員から、改善提案を募集しよう」というのをやりがちだ。 

ただ、やったはいいが、耳障りの良い提案を1つ2つ表彰して終わり、というのがよくあるパターンである。他の提案は日の目を見ることも無く、管理部門の書棚などにしまわれて忘れられる。

 せめて、「たくさんの提案をありがとう」の一言はあったほうがいい。それすらもしないのであれば、そういう提案募集や、従業員アンケートの類はやらないほうがいい。

 ただ、社長さんの気持ちも十分に分かる。社員からの提案がなぜそういう扱いになるかというと、社長からしてみれば「どの提案もパッとしないように思えるから」である。
 「●●部署の○○という仕事のやり方を、こう変えた方がいいと思う」と言われても「そんな小さいことを」という気がしてくる。「わかってないな。視野が狭い(視座が低い)な」と結論づけたくもなる。

 なぜ社長から見て「パッとしない」かというと、一般的に組織の上に立つ者ほど、全体がよく見える位置にいて、経営判断に必要な情報もより多く持っている。それに比べれば社員の持っている情報は限定的だ。全社員から募った改善提案の中に「会社の業績をV字回復させるような、起死回生のアイディア」がありはしないか、と期待しても、アテが外れて終わるだろう。

 では、社員に改善提案を出させることに何の意味もないかというと、そうではない。

 社員に考えさせるのは「●●部署の○○という仕事のやり方を、こう変えた方がいいと思う」で良いのである。現場の問題については、社長より社員のほうが情報を持っているし、自分の仕事のやりやすさに関わることなので当事者としてものを考える姿勢になる。

改革は「引き算」から始める

 売り上げが伸び悩む中では仕事を選ぶことができず、大小さまざま、ありとあらゆる「お客様の要望」に応えなければならない。一方で、「労働時間短縮」が声高に叫ばれる。二つの矛盾する事柄を解決するのは、確かに「生産性向上」なのだが、どうすれば生産性が向上するのか考えることは、現場に押し付けられている。

 「早朝にミーティングをするといい」「コンサルタントの勧める人事評価制度を入れよう」
「経費削減プロジェクトを立ち上げよう」等、会社も状況を好転させようと様々なことを始めようとする。しかし、社員にしてみれば、上から落ちてくる仕事に加えて、新たな仕事を抱え込むことになり、どんどん余裕がなくなっていく。余裕のなさは、考える力と機会を奪う。

 改革をするなら、「足し算」より、「引き算」から始めるべきだと思う。「なんとなく」でやっている仕事について、「なぜそれをするのか」「本当に必要か」を問い直す。仕事の流れを阻害しているものを取り除いてやる。ここからやっと、「新たに何を始めるべきか」を考えることができるのではないだろうか。

「あきらめ感」を打ち破るために

 「あきらめ感」を打ち破るために、何ができるだろうか?社長(上司)は、社員(部下)を「承認」すること、そして、「するべきこと」と「しなくてよいこと」を分けるのが務めだと考える。

 たとえば、対応すべき客(の要望)の範囲を決めることや、「この仕事を取るには1週間の深夜労働をしなくてはならない」という局面で、「深夜労働してでもその仕事は取ってくれ」なのか「その仕事は取らなくていい」なのか方針を決めてやることである。

 一方、社員(部下)ができることは何だろうか?影響力も無い、権限もない、飛び出せば叩かれる、という状況でできることは「仲間」を作ることである。一人で無理に動くと、失敗して、よりあきらめ感に捉われる結果になるからだ。

 「あきらめて、ほどほどに、目立たず要領よく生きるのが社会人だ」と笑われても、自分なりに筋を通して仕事をする。

 すぐに効果の出ることでもない。長い旅になるから、体力と精神力を消耗しないことが今は大事だ。

最後に

 3回のコラムで、下記の「罠」が、「協力し合えない」状態を作っているのではないか、ということを書きました。

①「自分が集団全体のためになる行動を取ったとしても、他の人間がそうしなければ、自分だけが割を食うことになる」という不安・恐れ

②「ある物事に対して、自分以外に傍観者がいる時に率先して行動を起こさない心理」

③「言い出しっぺが損をする」「余計なことなどしないほうがいい」「自分一人が何かやっても、どうせムダ」という思考

 今回コラムの冒頭に、「入社時には生き生きとした表情だった新入社員」と書きましたが、最近は新入社員として入ってくる人たちにも「あきらめ感」を感じます。どうせ望むものは手に入らない、報われない、それなら多くを望まず、ほどほどに生きた方がいい、というような。ともすれば日本全体に広がっている、この「あきらめ感」をどうにかしたいです。 

 私自身も、この「あきらめ感」にやられ、何年ももがいて、失敗しては、また懲りずにジタバタしています。その行動を、昇進したいためのパフォーマンスと取られ「あなたは承認欲求が強すぎるね」と呆れられたり、「業務外のことをやったりして・・・自分の部署の仕事はちゃんとやってるの?」と責められたりもするのですが、どうしても動いてしまうのです。

 「理屈は分かったから、じゃあどうすればいいの?」と問われたら、私も今、答えを探しているところ、とお答えするしかありません。

 ただ、よくあるドラマのように、悪徳政治家、心無い経営者という「悪」を取り除けば解決する問題ではない、ということを肌で感じます。
 私が知る中小企業のほとんどが、社長さんも苦しんでいる状態です。「誰が悪いか」の犯人捜しをするより、まず「集団の中に働く力学」を理解したほうが、問題の本質に迫れる気がしています。

 「そいつをやっつければ万事解決」の「ラスボス」はいません。だから、「英雄」を待っても仕方がありません。小さな力しかない私たちの手で、少しずつ動かしていくしかないです。

 私は、少しでも多くの人が、生きる力を身につけて、自分で自分の生きたい人生を選び取れるようになればいいなと思っています。命を削るような働き方や、組織に満ちる「あきらめ感」を、「仕方ない」と片付けることがどうしてもできません。何年かかるか分かりませんが、これからもジタバタあがいてみようと思います。

最後までお読み下さり、ありがとうございました。

執筆者 | 21/04/25 (日) | コラム


180 ビュー
1いいね!
読み込み中...