YouTube大学をパクって登録者5万人になるまでの一般男性の話。

執筆者 | 21/04/30 (金) | コラム

『中田敦彦のYouTube大学』を見て、「自分もこんな風に人に何かを教えるYouTubeチャンネルをやってみたい。」そう思った人は多いのではないだろうか。

前葉富雄も、そんなことを考えた一人だった。

前葉富雄がYouTubeを始めるまで

前葉富雄は、子供のころから人間社会に適応するのが苦手で、別にイジメられたわけでもないのに高校を不登校になったりして、これでは将来、とても会社に勤めたりして生きていくことはできないと思い、食い扶持を求めてお笑い芸人を目指したというろくでもない人間だ。

田舎を出て、東京で一人暮らしをしながらわずかなバイト代で食いつなぐ生活。

時には借金を背負い、まともなギャラも支払われない劇場のお笑いライブに出演しながら、テレビ番組のオーディションに挑んでは敗れの毎日。

そんなどこにでもいる売れない芸人。それが前葉富雄だった。

やがてコンビを解散し、先輩芸人からのパワハラ教育に耐えかねて、芸人を辞めてしまった富雄は、25歳の冬にバイト先のひとつであった飲食店に就職した。

しかし、元はと言えば社会に適合できないからとお笑いの世界に入った人間だから、社内でまともな人間関係を築くことができず、これはいよいよもって生きることすら難しいと思ったところに最初の転機が訪れる。

ホリエモンの著書との出会いである。

ホリエモンに感化され、仕事を辞める

「多動力」「所属しない勇気」といった、要はとにかく動け!会社なんかで働かなくても生きていける!といった極論ホリエイズムが凝縮された著書を読んで、富雄は大いに感化されてしまったのだ。

富雄は漠然と「ユーチューバー」になろうと考え、仕事を辞めてしまった。もちろんそれまでに働いて得た給与は芸人時代の借金に消えていたので貯金は1円もなかった。

だがホリエモンは言っている

「有り金は全部使え」と。

貯金などというものは臆病者の盾に過ぎない、とその時の富雄は本気で思っていたのだ。

ここから富雄の無謀なユーチューバーとしての生活が始まる。

とりあえずゲーム実況を始める

始めは、ゲーム実況動画を撮ることにした。もともと野球が好きだったこととある程度知識もあったので「パワプロ」のプレイ動画をアップしていた。

たまにバズって1万回再生されるということもあったが、いかんせん登録者が増えない。

YouTubeは最低でも1000人の登録者がいないと収益化ができないので動画を作れば作るほど赤字だった。

さらに、持っていたパソコンのスペックでは、ゲーム映像をキャプチャーして編集するのは負荷が大きすぎて、とても効率が悪かったので、(レンダリングして書き出すまで8時間以上かかっていた)ここからは実写動画に切り替えることにし、ゲーム実況を辞めることにした。

そこで始めたのが、そのころ日本でサービスが開始したばかりの「ウーバーイーツ」をネタにした動画だ。(2018年頃)

「ウーバーイーツを頼んでみた。」という人気YouTuberがやっている企画ではなく、「ウーバーイーツで働くリアル」を届けるという内容。

これはまだ「ウーバーイーツ」で働いている人間が少なかったことと、これから働こうとする人が「どれくらい稼げるのか?」と調べるだろうという推測から、再生数を期待して始めた内容だった。

しかし、結果は芳しくなかった。

まず、2018年の時点では「ウーバーイーツ」がまだまだ浸透しておらず(サービスを利用できるのも東京や大阪だけ)、あまりにニッチすぎた。

ニッチを狙うことも大切だが、ニッチすぎても良くないということがここでよくわかった。

そのおかげで、このウーバーイーツで働く人たちの界隈では無駄に有名になってしまい、「YouTubeではたいして稼げていないのに、その業界だけでは有名」という所得ゼロなのに有名税を払わされるみたいな状態になってしまった。

映画レビューで“バズる”を体験

ウーバーイーツをネタにした動画に限界を感じた富雄は、逆にマスを狙ってやろうと、今度は「映画レビュー動画」を撮るようになった。

平日の昼間から自由に動ける利点を活用し、公開初日から話題の映画を鑑賞し、レビューするという内容だ。

これが思いのほか上手くいき、登録者500人程度に関わらず、15万回も再生される動画なども出てきた。

このあたりからコンスタントに1万回再生されるような動画も出てくるようになる。

しかし、問題があった。メンタルが持たないのだ。

映画レビュー動画で再生数が伸びるのは「酷評」したものばかりだったため、動画のコメント欄はいつも地獄絵図。

どんな映画でもファンはいる。それは作品のファンだったり出演者のファンだったりと様々だが、自分が好きなものを貶されていい気持ちがするはずがない。

そういったファンたちから、富雄は罵詈雑言のコメントを受ける。「死ね」「キモイ」「お前が消えろ」

いくら再生数が伸びても、こういったコメントを目にするたびに心が痛んだ。

そして、「見たくもない映画をネタのために見る」「普通に面白かったけど再生数のために悪口を言う」などといったチャンネルの方向性が、やりたかった事からかけ離れていることに気付いた富雄は、またしても映画レビューを辞めることになった。

YouTube大学に出会う

この頃、中田敦彦のYouTube大学が始まる。

ホリエモンチャンネルの動画をかじりつくように見ていた時、ふとおすすめ動画に上がってきたのが

「エドワード・ゴーリー」の動画だった。

富雄は衝撃を受けた。それまで映画を酷評することで再生数を稼いでいた人間には、刺激的すぎる内容だった。

「エドワード・ゴーリー」の作風自体の興味深さももちろんあるが、これはなにより「中田敦彦」という芸人が、自分の体験談を交えながら面白おかしく作品を紹介していることが凄いのだと直感的に理解った。

これは間違いなく伸びる、と富雄は思った。そして自分がやるべきジャンルもこれだと思ったのだ。

なぜなら、自分には映画レビューで15万回再生を叩き出した実績があるからだ。

「芸人として成功者である中田にはさすがに敵わないが、俺だって芸人端くれだった男だ。俺にもできる。」

謎の自信に満ち溢れた富雄は、原点回帰し再び野球ネタをやり始めることになる。

「自分の好きなことを、面白おかしく紹介する」

中田敦彦のエドワード・ゴーリーを、野球チームに置き換えて動画を作ればいいのだ。という単純な考えだが、その時の富雄は自分の頭はかなり冴えていると思っていた。

しかし、現実は甘くない。

映画レビュー動画が再生されたのは、パイが大きかったからだ。

エドワード・ゴーリーの動画が再生されたのは、誰もが一度は通ったことがある「絵本」というジャンルで有名人の中田敦彦が上手くしゃべったからだ。

そもそもパイの小さい特定のプロ野球チームの解説を、何の知名度もなく、専門家でもないただの一般男性が喋っている動画、誰が見たいのだ。

やけくそになった富雄は、今度は野球場でカメラを回し、球場に来ているプロ野球ファンの可愛い女の子をナンパしまくるという企画を実行するが、球場の警備員につまみ出され、怖い大人たちに怒られた

富雄は、野球チャンネルを辞めた。

エクストリーム日本史への怒り

目減りしていく再生数、増える借金。気が付いたら富雄のクレジットカードは使えなくなっていた

そんな時、中田敦彦のYouTube大学がバズりだす。

俺の目に狂いはなかった。

富雄は自分のことのように得意げだったが、なぜ自分には先見の明があるのにやることなすこと上手くいかないのかと肩を落とした。

もうユーチューバーはあきらめよう。俺には無理なんだ。

芸人としても売れなかった。YouTubeでも失敗した。どちらも成功した中田敦彦のように、俺はなれない。

そんなことを思い始めていた時、YouTube大学でエクストリーム日本史が始まり、富雄の人生が大きく変わる

もともと日本史が好きで、芸人時代は「戦国武将好き芸人」みたいなくくりを目指していたこともあった富雄にとって、エクストリーム日本史は今までのどんな日本史エンタメよりも面白いものだった。

エクストリーム日本史がこの調子で進んでいったら、俺の好きな戦国時代にはどんな話が聞けるんだろうか。

富雄はただただYouTube大学の更新が楽しみで、自分が芸人としてもユーチューバーとしても成功できなかったとか、そんな悩みは忘れていた。

しかし中田敦彦がこう言ったとき、富雄の中で何かが大きく崩れた。

「まず見てよ、本能寺の変から書いてるからね」

はああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?!?!?!?!?!?

え?日本史で最も面白いと言われる戦国時代を?

いきなり本能寺の変から!?

っていうかそれもう戦国時代じゃないし!安土桃山時代だし!

戦国時代ってのはさぁ!一番大事なのは下剋上から始まる室町幕府の崩壊でしょおおおおおお!?

なにいきなり信長殺しとんねん!?!?

エクストリームにもほどがあるやろがい!ふざけるな!!俺は何を楽しみにして縄文時代からあんたの話聞いてると思ってんだよ。こっちはよおおおおおおおおおお戦国の話聞きてええんだよお。

戦国の話つって足利も武田も上杉もでてこないってどういうことおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?!?!

富雄の中で、その感情は怒りを通り越してよくわからない義侠心みたいなものになっていた。

「これはダメだ。俺がなんとかしないと。」

別に誰にも頼まれてもいないのに、富雄は戦国時代を解説する動画を作ろうと決意した。

野球チャンネルと同じで、これもまたニッチな分野だ。

何の知名度もない自分が喋って聞いてくれる人がいるのか?しかしもうそんなことは関係ない。

中田敦彦が話さなかった戦国時代を俺が話す。話さなければならない。ただそんな衝動にかられて富雄はチャンネルを開設した。

それが戦国BANASHIだ。

戦国BANASHIが始まる

ご覧の通り戦国BANASHIは中田敦彦のYouTube大学のまるパクリだ。だがそれでいい。

ホリエモンの著書と一緒に、中田敦彦のウルトラメンタル教本なども購入していた富雄は、中田敦彦がパクリを推奨していることを知っていたからだ。

最初の数カ月は、なかなか登録者が増えなかった。

それまでにやった、ゲーム、ウーバーイーツ、野球、すべてと比べても明らかに再生数が少なかった。

戦国時代の解説を、なんの資格もない、どこの馬の骨とも知れない男が喋っても誰も聞いてくれないのは必然だ。

ここで富雄は改めて思い知るが…

中田敦彦のYouTube大学は、中田の知名度だけでなく、彼が「慶応義塾大学卒」という華々しく説得力のある学歴を持っていることが大きかったと言えるだろう。

高校すらまとも通えなかった中卒同然の富雄に、何の説得力があるというのか。

富雄が途方に暮れていた時、世間を騒がせる事件が起きた。

沢尻エリカの覚せい剤使用による大河ドラマの降板だ。

そこで富雄は思いつく。

このニュースで、一躍注目を浴びた沢尻が演じる予定だった「帰蝶」という人物。

この帰蝶の解説をすれば、きっと多くの人が見てくれるに違いない。

そう確信した富雄は、さっそく「帰蝶」の解説動画を出すことにした。

すると、これが見事に当たる。

とは言っても数千回の再生にすぎなかったのだが、この小さな小さなプチバズリがのちの戦国BANASHIに大きく影響を与えることになる。

富雄は思った。

「映画レビューをした時のように大河ドラマをレビューしつつ、YouTube大学のように解説すればいいのではないか?」と。

道は繋がっていたのだ。

こうして、大河ドラマ解説YouTuberの第一歩が始まった。

その後、チャンネルは順調に伸びていき、「日本史・戦国時代・大河ドラマ」というそこそこニッチなジャンルにしぼっているにも関わらず、3カ月ほどでチャンネル登録者数は1万人を超え、バイトをしなくても食べていけるほどの収益を手に入れることができた。

ようやく、富雄はYouTuberになれたのである。

順風満帆ではないYouTuberの生活

チャンネル登録が1万人を超えてからも、決して富雄の生活は順風満帆ではなかった。

新型コロナウィルスの影響で、大河ドラマの撮影が中止になってしまい、約3か月間の放送休止。

その結果、YouTubeの売り上げは50%以上減少した。

もしあの時、持続化給付金の制度がなかったらと思うとぞっとする。

大河ドラマが再開したあとも、視聴者が完全に戻ってくるまでは時間がかかった。

考えていたドラマの聖地巡礼の企画や、ツアーなどの営業もコロナの影響でできなくなり、せっかくチャンネルが軌道に乗っても、安心できることは何もなかった。

そして、2021年4月、富雄の31歳の誕生日の直前に、戦国BANASHIのチャンネル登録者数は5万人を超えた。

しかし、見た目上の登録者数は増えているが、全体の再生回数は落ちているため、売り上げは伸びていない。

大河ドラマに頼りすぎた結果、大河ドラマが新シリーズに突入した瞬間に、多くのチャンネル視聴者が脱落してしまったのだ。

富雄の当面の目標は、チャンネル登録者数10万人と、大河ドラマへの出演。

決して順風ではない。上手くいく保障もない。

それでも歩くのをやめるわけにはいかないのだ。

YouTubeは決して楽な道のりではない。

だが、大切なのは、目標に向かおうとする意志だ。

向かおうとする意志さえあれば、今は上手くいっていなくても、いつかはたどり着くはずだ。

向かっているのだから。

執筆者 | 21/04/30 (金) | コラム


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