お金に対する価値観は人それぞれだと思う。
お金が全て!と思う人も居れば
お金なんて!と思う人も居る。
本当に様々な考え方があり
どれが正しく間違っていると言うものでは無い。
しかし、こと商売をする上で
個人的なお金への価値観はある種フラットに
考えるべきステージのように思う。
更に言えば、売り手買い手としての心構えは
大変重要だと思っている。
何故このようなコラムを書こうと思ったかと言うと
人からモノや技術を得る代わりに対価を支払う。
これを商売と呼ぶわけであるが
昨今は、フリマアプリの普及やSNS上での繋がりにおいて
個人間の売買がなされる機会も沢山ある。
PROGRESSにおいても例外では無いだろう。
そんな売買のやり取りにおいて
ワタシが買い手という立場の際に
たまに危うさを感じることがあるからだ。
そんな、お話をしたいと思う。
モノや技術を提供する側にとって
そのモノや技術に思いを込めて制作していることが
殆どである。それは個人でも企業でも同じだ。
しかし、個人間において商売が発生した際
製作者と販売者が同一であることが多いこともあって
その制作にあたる思いや労力というものに
販売者自身、重きが置かれすぎる
売買の風潮はとても危うい。
そんなふうに思う時がたまにある。
(逆に購入者が技術を軽視する。
それも然りだが、今回は販売者側に
注目したいと思う。)
ワタシはこのように思う。
販売者の思いや労力を汲むのは購入者であって
販売者自身では無い。
思いや労力を込めて制作したものに
値を付け販売する時点でそれは商品となる。
それを売買することを商売と呼ぶ。
商売というステージにおいて
思いや労力を購入者に訴えかけることは
お値段以上の負荷を購入者に与えていることになる。
それは非常にフェアではない。
だからこそ、販売者は自分の納得の行く
妥当な価格をつけることが大変重要だと思う。
そうすることによって
この時点で価値の妥当性を
購入者側が承認しいるから商売が成り立つことになるので
そのモノ自体の価値の取引は平等となる。
その上で、更に…
販売者は購入者からお金を頂戴することに。
購入者は販売者の思いや労力に。
感謝し思いを馳せること。
その相互の
人としての感情に触れる付加価値を実感できた時に
その商売において
“良い取引ができた”
ということになるのでは無いだろうか。
その人にしか生み出せないモノや技術と言うのは
そうそう無い。
その中で大切なのは誰から購入したいか。
これが大事になってくるとワタシは思うのだ。
そんな時に、
ワタシはお金を支払われる価値を軽視している
売り手からは購入したいとは思わない。
そして、
売り手の技術を安く見積もる購入者にも
なりたいと思わない。
お金を介した上での信頼関係や絆は存在する。
それを得るためには、相互の商売取引における
心構えがとても重要なのでは無いか。
そんなふうに改めて思ったりするのです。
個人間の商売が活発に行われる昨今なので
あくまでもイチ考え方として
何かのお役に立てたら幸いです。
最後まで見ていただきまして
ありがとうございました!