こんにちは。
コラム初投稿です。タイトルを見て、パニックになった方もいらっしゃると思いますが、内容は本当に天上人のお話です。おそらく多くの方、いや、全員が意味不明と感じると思います。
みなさまのように、progressメンバーを賛美賞賛してもいいのですが、既に素敵な文章がたくさんあるのでもういいかなと思い、あっちゃんの暇つぶしのためにモニョモニョ書き連ねたいと思います。人生でなかなか出会うことのできない人たちの貴重な体験談を私自身忘れたく無くて記すので、お暇な方のみご覧ください。
歴史に名を残し損ねた男の話
私のよく知っている長崎出身の男性医師、御年83歳のお話です。
かれこれ半世紀ほど前、長崎大学医学部に勤務していた彼は、たった一本の論文をwashington university school of medicineに送りました。それが認められめでたくワシントン大学で働くことになった彼でしたが、当時の日本の(今でもそうかもしれませんが)英語教育は酷いもので、彼の英語力もまた実践的ではなかったようです。アメリカで暮らし始めて数ヶ月、ようやく会話以上の議論ができるようになったのだそうです。
「なぜ原爆を落としたのか?」
さて、議論までできるようになったとは言え、まだまだ言いたい事の全てを伝えられるほどの能力はありません。それでも、彼は一度でもいいから聞いてみたかったことを同僚のメディカルドクターたちに聞きました。
「なぜ、原爆を落としたのか?」
彼が、NAGASAKI 出身であることは、周知の事実だったようで、周囲のドクターは全員蒼ざめたそうです。彼自身に強いイデオロギーや信念があって問うた質問ではなかったのですが、同僚たちは皆いわゆる知識人階級。「戦争を終わらせるためにしかたなかったのだ。」などと言う、プロパガンダで反論する者はいません。まずいことを聞いてしまったかな。彼はそう思ったそうです。
トルーマンに会いに行こう
そんな彼を、あるドクターが熱心に誘いました。
「トルーマンに会いに行って、直接聞いてみようじゃないか!」
ワシントン大学の所在地であるセントルイスは、トルーマンの出身地。実は大学から20分程度のところにトルーマンは住んでいたのです。日本人の感覚では、政治家が一般人と気安く会うとは考えにくいですが、アメリカ合衆国という国は、ある種の正当な熱量があれば元大統領だろうと何だろうと対話できるところのようです。私自身、トルーマンならNAGASAKIから会いにきたDoctorと聞きつけたのなら、ワシントンポストあたりを呼びつけて握手した写真ぐらい撮らせたのではないか、と思います。だからこそ、同僚のドクターは、彼を熱心に誘ったのです。
NAGASAKIからたった一人でトルーマンの出身地へ。世界最高峰の医学研究機関で働く敗戦国の日本人を、同僚たちはどんな眼差しで見ていたのでしょうか。
ドクターは、30分以上も彼を誘い続けたそうです。
人生万事塞翁が馬
ところが、彼は近場にトルーマンがいるとは知らなかったのです。すべては偶然が重なって、長崎からトルーマンのお膝元に行ってしまっただけのことでした。痩せても枯れても元大統領。英語もまともに話せない日本人なんかに会ってくれるわけがない。まして、原爆の話。彼はそう考えて、適当に相槌を打ってドクターの誘いを断りました。
その話を聞いた私の第一声は、
「いや、行けよ!会いに行けよ!」
「でもなあ、当時の俺の英語じゃ、イエスイエスしか言えんかったかも知れんし。」
「それでも行くんだよ!」
何とも愛のない言葉をぶつけたものですが、同じ話を別日に聞いた私の兄も全く同じリアクションだったようです。
「私なら行くね!通訳いなくても行くね!」
息巻いて話してみたものの、私にはwashington university school of medicineから金をもらえるような頭はありませんし、自費留学すらできません。反省しきりです。
もし、彼がトルーマンに会っていたなら、きっと歴史の表舞台に名を残す日本人になっていたでしょう。でも、名を残したところで、『原爆』に縛られて生きることになったなら、それが良かったとは私には言えません。三世の私ですら、原爆を過去にできないのですから。医師なら尚更雁字搦めにされたのではないでしょうか。ただ、惜しいことをしたな、と思わずにはいられない笑い話です。
まあ、医学の方ではしっかりと名を残しているようなので、上々吉です。