とても興奮している。
先日のHRであっちゃんから発表のあったカールフォンリンネ(以下CVL)の新しい方向性、それを聞いてワクワクがいっそう加速しているのだ。
原価を表示して販売する、という透明性を全面に出したやり方をすることで、アパレル業界が昨今抱える闇に一石を投じる。
要するに、ファッションにジャーナリズムという「意味変」が加わるという事だと私は理解している。
(「意味変」という言葉に馴染みがない方へ、検索するとキングコングの西野亮廣さんのブログが出てきます。同じ行為でも意味軸を変えてやる方法… ビックリマンチョコやAKBなどがキーワード)
だからは、ファッションにジャーナリズムが加わるとはいったいどういう事だろうか。私はこれをファーマーズマーケットに例えたい。
もし友人が「これ、ファーマーズマーケットで買ったの」と言ってきた時に、どんな印象を受けるだろうか。一度立ち止まって考えて欲しい。
お気づきになるだろうか。
「これ、スーパーで買ったの」というのとでは、オシャレ感が雲泥の差だ。
「スーパーで買ったの」をドヤ顔で言う人はいないが「ファーマーズマーケットで買ったの」はドヤ顔が許される雰囲気がある。それはなぜならファーマーズマーケットというワードには、そこはかとないオシャレ感が含まれるからだ。
それを具体的に言語化するならば「食の質を重要視する洗練」や「農家をサポートするクールさ」という感度の高さ、というところだろうか。
CVLが試みるコストの透明性というのはそれに似たポジティブな付加価値を生むのではないかと思う。
アパレル生産の闇「低価格競争のもとで工場の労働者が犠牲になっている現状」という、消費者がなんとなく聞いたことのある問題に意識を向ける効果があり、また、適正価格とは何か?というもっと一般的な自問を消費者各自に促す効果もありそうだ。
そしてそういったいわゆる四角い問題提議を、俗っぽさの象徴であるファッションブランドがするという新しさがクール、つまりオシャレ感を生むのではないかと私は受けとめた。
さらに言えば、あっちゃんのような有名人がリテールビジネスを始めると世間は「金儲け」だの「売名行為」だのとやっかみがちだが、そういったアンチの声を抑えるという意味でも緩衝材になりそうだと感じている。
多面的にプラスの付加価値を生むだろうこの新しい方向性を、素晴らしい選択だと感じた勢は多いのではないかと確信している。
ここで少し、アメリカのアパレル業界の動きを参考までにご紹介したい。他の国の動向はよく知らないが、アメリカに限っていえば最近のアパレルにおいて新たな試みが増えていて、動きがあるのを肌で感じているからだ。
まず、Mens/Womensとは別にGender Neutralというユニセックスカテゴリーを見かけるケースが増えている。大手GAP傘下にあるOld Navyも始めたというのもあり、今後ますます増えるような気がする。社会的な動きに対応するという姿勢はもちろんのこと、それ以外にも在庫リスクが減少するという企業側のメリットもあるのも大きい。
そしてマーケティングにはさまざまな人種、いろいろな体型のモデルを起用するというのがクールと受け取られる傾向にある。なんなら一般的、といってもいいレベルまで来ているかもしれない。多様性を認めるという意思表示をするビジネスはアパレルに限らず増えている印象を受ける。
HRでも紹介されていたが、寄付型のビジネスモデルも同様に見かけることが多くなった。弱者に手を差し伸べるという意識が根付いているキリスト教文化だからだろうか、消費者のいわゆるノブレス・オブリージュの精神に響く商品の販売の仕方は、消費者、企業、寄付先のすべてにとってWin Win Wiiinなビジネスモデルだと言える。
押し並べて、社会問題にフレキシブルに対応する、ということがキーポイントであることが見てとれるのではないだろうか。そしてそれはアメリカに限った事ではないと思う。なぜならものが溢れる現代、食べ物や服の「質」という面では総じて満足値に達しているところまできてしまっている。現代人の心の隙間を埋めてくれるのは量でも質でもなく、その商品の背景やストーリー性という付加価値に変わってきているからだ。
オーガニックの野菜は、スーパーで買うよりもファーマーズマーケットで買ったと言いたい。えもいえぬオシャレ感を含ませてファーマーズマーケットというワードを口にしたい。
そして私は近い将来CVLの服をドヤ顔で着る日を楽しみにしている。友人に「その服いいね」などと言われようものなら、即座にCVLが掲げる透明性とブランド名である植物学者について語るだろう。
今年の冬が待ち遠しい。