評価と信用のアルゴリズム ~ハックの持つ危険性~

執筆者 | 21/06/14 (月) | コラム

このコラムはパッと頭に浮かんだことを言語化する目的で書いております。

特段、激しい内容でも無いのでご安心ください。

■評価と信用とは何か

 PROGRESSというコミュニティに所属してから早1年少し、このコミュニティの特異性は中田さんを中心としながらも、メンバー個々人の自由な発信が許されていることである。

(倫理的、ルール的に誤ったものは当然ダメだが)

 そういった場所で、僕自身色々な発信をさせてもらってきたし、多くの学びを得ることが出来た。最も多く学びを得ることが出来た点は、自分が発信することよりも、「誰かの発信を観察すること」の方が多かったように思う。

 他の人が、何かしらの目的を持って各々好きなように発信する。

 ベースとなるルールの上で、本当にいろいろな種類の発信がなされる様はカオスでありながら、ある一定の法則、アルゴリズムのようなものがあるように思えたのだ。

 今回は、

・評価を得る人と、その上で信用も得られる人

・評価を得るが、信用を得られない人

・評価すら得られない人

 について考えていこうと思う。

■評価とは何か?

まず、評価について。

評価と聞くと自然と「良い評価」といったニュアンスで語られることがあるが、評価という言葉自体は「他者から判断される事」という意味に過ぎない。

よい評価の場合もあれば、悪い評価の場合もある。

また、これらの判断は評価する側の価値観によって、良い悪いが変化する。

しいたけという存在があるとして、「好ましい食材」と評価する人もいれば、「嫌悪の対象」という人もいるだろう。

評価とは、他者から判断されることである。

■評価すらされないこと

そして、これまで数多の発信を見てきた中でかなりの数の「評価すらされない表現」を見てきた。

「いいね!」とも「ダメだね!」とも言われていない、まるでその存在そのものが無かったかのようなものだ。

この評価すらされない表現たちには何か共通するものがあるのだろうか?

まず、この「評価すらされない表現」に関してだが、「評価すらされない人」に関して論じているわけではないことを言っておきたい。

「表現」というアウトプットはその人そのものではないし、世界から無視されていい人間など存在しない。

そして、「評価すらされないことは悪いことだ」という評価もしない。

ただ、「評価すらされない表現」という現象がどういった時に発生しているのかを考えるということだ。

あくまでもアウトプットに関する批評であり、個人を攻撃する目的など一切ないことを理解した上で読みすすめていただけると幸いである。

■皆評価をしたくないのか?

ただ、皆が積極的に無視したいわけではないことは先に言っておきたい。

どの表現も最初から完全に一切合切無視されているものは無かった。

PROGRESSという環境では、YouTubeのように無慈悲なるAIが自動的に露出を減らすという作用がない。

コラムを書けば誰かが開いてはくれる。TVを配信すれば誰かが必ず覗きに来てくれる。

この環境はどこにでもあるわけではない。非常に素晴らしい環境であると言える。

むしろ、皆積極的に評価したがっているし、信用を置ける人を積極的に探している。

ここまで素晴らしい環境は長くネットを触っている僕ですら見たことがない。

そんな環境下でも「無視される表現」とは何が問題なのだろうか?

■無視される表現の共通点

評価すらされない。すなわち無視されるアウトプットにはいくつかの共通点がある。

この共通点を一言で言うならば

「自分軸の発信」

ということだろう。

とにかく自分のやりたいことをやる、自分の言いたいことを言う。自分が正しいと信じることをぶつける。自分自身が表現したいことをそのまま原液でやる。ということだ。

この【自分軸の濃度】が濃ければ濃いほど、無視される表現になっている。

これが1年間発信を観察することで得た一つの結論である。

YoutubeやNetflix、地上波テレビのように事前にコンテンツを厳選していない、野生の表現活動を見れる場所であったからこそ、この知見を得られたように思う。

普段触れるコンテンツでは【出演者、作家の自分軸の発信】とは出会うことが出来ない。

個展や美術館に行けば出会えるかもしれないが、それらもある程度評価が下されたあとのものだ。

AIや専門家によって、自分軸の濃すぎる発信は事前に取り除かれてしまうのだ。

■なぜ自分軸の発信は無視されるのか?

ここで更に疑問が出てくる。

「なぜ自分軸の発信は無視されてしまうのか?」という問いである。

別に皆が皆自分のやりたいことをやって理解されないわけではないじゃないか!と。

これに関して考える際に重要な考え方は

「誰もが皆、自分のために行動する」ということだ。

全ての人が自分が利益を得たり、気持ちよくなるために行動する。

僕がこういったコラムを書くことも、自分が評価されたり、自分の中で考えをまとめるという利益があるからやっているに過ぎない。

誰にも見せないのに日記のように文章を書くことはない。

少なくともこんな文体で日記は書かないだろう。笑

他者対してとても親切にしている人も、あくまでも自分のためにやっている。

理由はそれぞれあるだろうけど、親切にすることがその人にとって楽しいことなのだ。

そんな親切な人達も「自分軸の濃すぎる発信」に関しては、評価すらしない。

一切自分の利益と重ならないからだ。

自分の軸を貫きすぎると、社会や集団。つまりは他者の軸と重なる部分がなくなっていくのだ。人は自分の軸と一切重ならない表現に対しては、評価すら下そうとはしない。

誰もが皆「自分事」にしか興味がないのだ。これは自然なことだと、個人的には思う。

だから、発信をするときはなるべく自分の軸を他者にずらすことが必要だ。

他の人と重なる点の多い発信は無視されにくい。

Progress上であれば、Progressのことを話して無視されることは無いだろう。

■悪い評価の集め方

さて、その上で「じゃあ、他者の軸と重なるように!自分事になるようにさえすればいいんでしょ!」と考えるのは早計だ。

あまり、推奨出来ない評価、注目の集め方も存在する。

Progress上では、「ハックする」と表現される方法だ。

ハックするというのは色んな意味合いを持つが、その場所でメインとなる「軸」に対して逆のポジションや裏のポジションを取ることだと思う。

一言で言えば「ルールへの破壊行為」だろうか。

これは僕自信も何度も使ってしまった作戦なので(その時は自覚は無かったが)言いにくいが、全くおすすめ出来ない。

炎上マーケティングや、物申す系アプローチ、ご報告釣りタイトルなどは、ハック系の発信であると言えるだろう。

これらの手法は一時的に注目を集める手段としては最強の方法である。

それはなぜか?

半強制的に自分の軸に他者の軸を重ねさせることが出来るからである。

他者の注目を「取り去らう」方法として、ハックほど効果的な方法はないだろう。

■ハックの副作用

だが、ハックする事によって注目を集めることは非常に危険性を伴う。

評価を信用に転化するすることが難しくなるのだ。

実は、このことを非常にわかりやすく教育している童話がある。

それは「オオカミ少年」である。原文では「嘘をつく子供」だが、日本ではオオカミ少年の方が有名だろう。

話のあらすじはこうだ。

むかしむかしあるところに、村外れに羊飼いの少年がいました。

少年は嘘つき者で、村へ出ては大きな声で「オオカミが出たぞー!!」と叫びました。

村人たちが大慌てで少年の元へ駆けつけるとオオカミなどどこにもおらず、慌てる様子を見て少年は笑い転げていました。

村人たちは少年にだまされたことに気づきこっぴどく叱りましたが、少年も羊も無事だったので安心して帰っていきました。

それからしばらくして、少年はまた同じように村人をだましました。

同じことを何度か繰り返しているうちに、少年にだまされて家を飛び出してくる村人は減っていきました。

しかしある日のこと、少年が羊の世話をしていると本当にオオカミの群れがやってきたのです。

少年は必死になって大声で叫んで助けを求めましたが、村人たちは少年の言うことを本気にせず出てきてはくれませんでした。

とうとうオオカミたちは少年と羊を襲い始め、村人たちが気づいた時には、跡形もなくなっていました。

一時的に嘘をついて、注目を集めると信頼を失い。

本当に大変な時に誰も見向きもしてくれなくなる、という逸話だが、ハックする行為もこれと全く同じ状態となる。

ハックするときは「嘘をついている」わけではない場合もあるが、過激な方法で注目を集めることは嘘をついていることと同義である。

一時的に注目を集めても、悪い評価を集めては意味がない。

■貯まる信用、失われる信用

また、良い評価を集めていた人が誤った表現により、一瞬で信頼を失った現場も見てきた。

これを僕は「信用破産」と呼んでいる。

信用破産は前記した「ハック行為」によって発生することが多い。

ご報告多発Youtuberの再生数がどんどん目減りしていくのを見てもそれは明らかだろう。

さらに言えば、最初に記載した【自分軸の濃度】が濃くなりすぎることでも少しずつ信用の残高は減少する。

男性視聴者に見られていた女性Youtuberがメイク動画ばかり上げると視聴数が減るような現象だ。

よくあるパターンとしては、最初「他者軸」で発信を続け、少しずつ評価と信用を溜めていくが、どこかのタイミングで自分軸が濃くなってしまう。

自分軸が濃くなってしまうことで、信用残高が減少してしまう。

失われていく残高に焦って、再度評価を集めようと「ハック行為」をしてしまうパターンだ。

これが信用破産のアルゴリズムである。

再度回復するべきは信用だったにも関わらず、評価を再度得るべきだと勘違いしてしまい、過激な表現をしてしまうのだ。

必要だったことは、再度自分の発信がどういった人たちの軸に重なっているのか?という点を見つめ直して、そこに真摯に向き合うことだ。

より自分軸を濃くしたり、ハックすることではない。

失われた信用を取り戻すことは難しい。

急速に評価を集めて、信用残高を過激に増やす努力よりも、信用を減らさない努力。

信用支出を減らすことの方が重要だ。

一度、評価を集めた人はその点に気をつけるべきなのかもしれない。知らんけど。

■まとめ

何か表現をするためには、まず第一歩として評価されることが必要だ。

そのためには、他者に軸を合わせた表現である方が好ましい。自分をわかってもらうより、無視される方が悲しい。

自分の専門ジャンルや、自分のやりたいことを表現するのではなく、他者が何を求めているのかを考えて発信することをオススメする。

それをイキって言うとマーケティングという言葉になる。

その上で、信用支出を増やさないことが重要だ。

ハックする行為では、注目を集めることが出来たとしても、信用に転化しづらくなる。

むしろ、信用のデフレが発生してしまい、長期的には苦しくなる。

信用破産してしまった人間は、そのコミュニティを去ることしかできなくなる。

それは非常に悲しいことである。

僕自身、信用デフォルト寸前になった自覚を持って、誰よりも優しくあろうと努めたいと思う。

信用を集めるのに派手なパフォーマンスは必要ない。朝誰かにおはようというだけで十分である。

執筆者 | 21/06/14 (月) | コラム


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