CVLに追付け追い越せを目指すシンガポールの鮨屋の話

執筆者 | 21/10/25 (月) | コラム

ども。シンガポール鮨来村

店主の木村ともおです。

 

海外でやってる寿司なんて、Sushiでしょ?

自分自身、シンガポールで仕事をするまでそう思ってました。

そう思ってしまったことを責めていません。それが普通なんです。

 

ただ、

読みかじった文字面と見たままの数字を覚えて知った気になっているようでは貴方は今日も丘サーファー、と言わせて頂きます。

何事も、自分で実際に見て聞いて感じて判断したものが宝になります。

 

前にも書いたことあるんですが、椎名林檎さん大好きです。

いきなり挑戦的なことを書いてしまいました…。

 

はい!気を取り直して!

 

Progressで知り合えた方達の食材や食品をこちらに引くことが実現し、

美味しさ、そして何物にも替えがたい嬉しさが百倍元気万倍!

本当に何度でも言いますが、感謝感謝の毎日です。

 

さて、10年前にシンガポールに渡った木村がどのようにして

ミシェラン一つ星の鮨店を開店できたのか、です。

 

10年前にシンガポールで仕事を始めた時には貯金はほぼありませんでした。

伝統的な寿司屋のいくつかの教えを従順に守っていたのが主な原因です、

と慣習のせいにする悪癖をどうかお許しくださいイマス様…。

 

いえ、すいません。それは言い訳です。つまり、言い訳をしたくなるくらいということです。

 

さて、それはどんな教えなのかというと、

「休みの日は他の店に食べに行け」

「お客さんと同じ遊びをしろ」

言ってしまえばこの二つ。

 

幸い、食べるのは大好きだったので他の店に食べに行くのは苦になりませんでした。

そして、この教えは真理でもあり、しかし虚実でもあると言うのが答えだと行き着きます。

ただ食べるのではなく、考えながら食べる、が正解だと思われます。

 

それを馬鹿正直に実践し、

ある程度の技術を習得してからは、気になる仕事をしていた寿司屋さんを渡り歩いて仕込みを覚えるという「ナガレ」と呼ばれる職人をやっていた30代前半。

 

ちなみに、30年前なら「ヤクザ者」と言われていた「ナガレ板」の生活です。

技術とプライドはあるけど金はないという困ったちゃん。

知っていますか?以前、寿司板前は「ヤクザな商売」だと扱われていた時代があったのです。

 

「お客さんと同じ」遊びの方は…みなさんのご想像にお任せしますが、

警察にお世話になるような遊び以外は一通りは経験したと思います。

 

遊ぶ中で心に決めていたのは、

借金してまで賭け事をしないこと。

 

何度かは本当にギリギリまで行ったのですが、

借りて打つまで行きつかなかったのは運が良かったとしか言いようがありません。

しかしそのおかげでどんなことに対して人が破産するまで賭けるのかを「頭と体験で」理解できました。

 

一方、キャバクラ等のお姉さん系の遊びには全く興味がありませんでした。

見習い時代に埼玉県は蕨、西川口。

そして銀座の盛場の寿司屋で仕事をしていたので、

先に裏側を見てしまっていた影響です。自分の運の良さに感謝する毎日です。

 

 

前置きが長くなりましたが、整理すれば

シンガポールに渡航する前までの自分のステータスは

技術はあるが金は無い、という状態でした。

 

今考えて、そして俯瞰して見ても、技術と体力はピークにありました。

相性の悪い店もありましたが、仕込みと握り、お客さんのあしらいにかけては

どんな店でも花板をやれるところまで来ていたのです。

 

ただし、金が無いが借金も無い。

ちなみに、こんなことを書くと両親に怒られてしまうのですが

実家もそんな状態でした。

 

…が、勝算もありました。

もともと勉強ができた。

嫌味に聞こえるのは知っているのですが、それでも書きます。自覚していました。

 

小中高と、塾とかそういうものに行かずに偏差値60前後。

 

天才では無い秀才が、勉強では天才に絶対に勝てないことを思い知った

大学受験失敗の後に、悩み抜いて選んだ仕事が料理系職人だったんです。

 

すごく嫌なことを敢えて書きます。

このまま浪人して大学に入ったとしても、本当の天才には絶対に敵わない。

自分の持てる脳力を最大限に活かせるのは、肉体労働系でしかも自分の好きな分野。

 

こういうことを書くと、肉体労働者を下に見ていると言って憤る人もいるのですが本質は正反対です。

 

かくして、自分の中での、我慢の10年間の始まりです。

 

大学生になった友人達の楽しそうなキャンパスライフを横目に一日16時間以上労働で時給二百円を切る世界に突入し、

「勉強」はできないが「仕事」はできる年下の先輩達に揉まれる生活。

 

今の世の中はブラックとか言う便利な言葉がありますが、それが当たり前の世界です。

 

漫画とかでもよくあるアレですが、

実際の時間を体験するのはまさにここが煉獄かというほどの熾烈さです。

現実は、漫画の斜め上を行きます。

 

この経験の中で最高の収穫だったものが

 

年上年下は関係ない。

 

人生密度と適材適所と世の中の流れでいくらでもいつでもいくらでも逆転する。

下手に出ていて本質的に損をすることなんて無い。

 

なんだかどこかで聞いたことありませんか?

 

中田敦彦その人が言っていることにあまりにも似ているんです。

 

 

導入が長すぎる!!!

知ってます!笑

 

本題は木村がどうやってシンガポールで会社を作ってお店を当てられたかでした。

しかしこの説明なくしてはまとまらないんです。

 

シンガポールは板前の地位と給料が日本と比べて圧倒的に良いので、頭金はすぐに貯まりました。

 

社会的地位は、10年以上の経験をもつ職人は早稲田慶應卒業と同じ立ち位置。

これです!自分の選んだ実験が初めて間違えていないし、且つ社会に於いて証明されたと思いました。

 

しかし、それでも肝心の店を開けるべき場所が見つからない。

 

行き詰まって、考え抜いた結果、前予約のみのケイタリングを始めました。

まさに最小リスクのスタート。

先行予約のみ、賃貸契約は自分の住まいのみ。

 

またしても運の良いことに、シンガポールで運命的出会いを果たし結婚してもらえた永住権持ちの嫁さんのおかげでビザに困らなかったのが大きい。

 

自分の住まいで仕込みをして、お客さんの家で鮨パーティーをする毎日。

しかも競合無し。

 

はっきり言います。めちゃくちゃ儲かりました。

雑費を含め原価に50%かけても、自分の利益が50%なんです。

 

でも、こんなビジネスモデルは自分に何かあった場合は一発で終わり。

長くやるべき業態ではないのは一目瞭然でもありました。

 

状況としては、日本人で技術のある板前が出張でホームパーティーをできるのは(2021年現在でも)自分一人だけだったんです。

それだけ就労ビザが厳しい証拠でもあるのですが…。

 

そんな中で真に信頼できるビジネスパートナーにも出会いました。

信頼できる人の選び方。

 

出張先で行った家のメイドさんが笑顔で楽しそうに働いているかどうか。

ここです。すべての本質がここに含まれています。

 

ちなみに、オファーは200件をこえていました。選びに撰び抜けたのも運が良かった。

そんな中で、信頼できるビジネスパートナーが見つかると同時期に、これしか無いという物件も出ました。

 

*日本人が日本で寿司店を郊外で開店するならば、1000万円以内でできるのですが、

シンガポールで高級店を開けようとすると最低6000万円かかります。

そんな貯金があるわけもないので、契約書にイロイロと織り込んだ契約を飲めるビジネスパートナーが必要になります。

ちなみに、シンガポール内で自己出資を入れている本当の意味でのオーナーシェフは1%いません。
名刺にはオーナーシェフと書いてあるのですが、実質は替えの効くただの雇われシェフがほとんどです。

 

自己顕示欲の塊をお見せしてしまいましたが…。

そうでもしないとバランス取れないんです…。

 

さて。

 

よく聞く話で、飲食店を開けて最初のお客さんが来てくれて死ぬほど嬉しいという系統のオープニングストーリーを読むことが多いと思います。

 

はっきり言います。

そんなレベルでは飲食店は潰れます。

ほぼすべてのそう言ったお店は2年以内に潰れます。

残っているとすれば、運がよかっただけ。

鉄板でお客さんが入るという自信がないなら飲食店経営なんて、やめなさい。

無尽蔵に思われる資本があるなら別ですが。

 

「友達」は「お客様」ではありません。

 

家族ですら金銭でめちゃくちゃになると言う事実に目を向けてください。

未だに飲食という業種は、お笑い芸人と同じ厳しい職人の世界です。

 

勉強偏差値60の人間が、一番楽しいであろう20代の楽しみをほぼ全て生贄にして技術を習得してやっと仮の成功を収める修羅の世界です。

そんな私だって、10年後にはどうなっているかわからないのが飲食業です。

 

世の中に、飲食コンサルティングというものが溢れかえっているのがその証明です。

コンサル程度のアドバイスに右往左往するくらいなら飲食経営なんてやめなさい。

あなたの資金が湯水のようにあって、自分がコンサルにヨイショされて気持ちよくなりたいという目的なら止めません。

 

今現在、ここまでたどり着けたミシェラン一つ星店経営の「職人経営者」が言い切ります。

 

中田敦彦さんレベルで「他人」に寄り添える人なんて中田敦彦以外いません。

総理大臣も、矢澤○吉さんも、毒○されてしまった金○男さんに「鮨」を握ったことのある私が言い切る!

 

…。

 

Progressは、たのしい。

 

コンサル業やっている方も、メンバーにいらっしゃる。

わかってます。

でも書く。その業種の人たちにも自分が助けに行ける状態にあると言う自信があるからです。

 

飲食業をやっていて、やろうとしていて、相談がしたいメンバーさんがいるならば、

いくらでも私が持っている情報もつながりもシェアできます。

それでお金は取りません。だって、ありがたいことにそれは自分の本業で稼げるとこに立ててるのだから。

 

でもその代わり、口で食べて美味しいものを俺につなげてくれればいい!

それが今でなくても、未来でも!

 

働かざる者食うべからず!を地でいくゴリマッチョモードですが、ここを通り抜けずに飲食は語れません。

あれ?

コンサル業をされているメンバーさんと対談するTVとかも面白そう。

自分の自己顕示欲を高めるとか言うことではなく、さらなる高みにいくために。

 

こんな鮨屋ですが、私は貴方を待っています!

このたのしいが、自分だけのものではないと思いたいのかな…。

あー!生きててたのしい!

24/10/2021

鮨来村 店主

木村共男

執筆者 | 21/10/25 (月) | コラム


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