この記事を読んでくれている方の中に、PROGRESS内のコンペに参加したことのある人はどれくらいいるだろうか?
これまでに、歌詞コンペ、ブランド名・タイトル名コンペ、ロゴデザインコンペなど、様々なコンペがあった。
競争が苦手な人もいるだろう、自分の作品を人前に出すのが恥ずかしい人もいるだろう。
もしも、最後までこのコラムを読んで気分が変わったとしたら、提出しなくてもいいので作品を作ってもらいたいと思っている。
なぜなら、コンペの魅力をまた一味違って体験することができるからだ。
確かに、見ているだけでもイベントを楽しむことはできる。
みんなが作品作りに苦労するところ、あっちゃんが苦悩の末、最終選考をするところ。
募集スレッドのコメント欄は、言うなればパレードのメインストリート。
これを見ているだけで大部分を楽しめる。
作品を作ると、これがどう変わるのか?
月並みな表現で申し訳ないが、「パレードの舞台裏が見えるようになる」。
神輿の製作風景、準備中の雑然として活気のある、そんな風景が見えるようになる。
もちろん、他の人の製作過程が実際に見えるわけではない。
しかし、自分の経験を基に広がる想像上の風景は、僕の中で、思ったより広大でバラエティー豊かなものになっていた。
僕が初めて参加したコンペは、『僕たちは世界を変えることしかできない』の歌詞コンペだった。
参加する気になった理由は二つ。
①あっちゃんが歌詞作りのメソッドをみんなに教えてくれたこと
②あっちゃんが全作品に目を通し、丁寧に評価して最終決定してくれたと感じられたこと
全くやったことのない世界に飛び込むのに、勇気や好奇心だけでは流石に無理だと思うことがある。
この二つの要素の後押しは、本当に大きかったと思う。
現にこれ以降、コンペ参加者の数は増加していく。
きっとみんな僕と同じように、「優勝は間違いなく俺のもので、あっちゃんとお近づきになるチャンスがついにやってきたな。グヘヘ。」と、思ったに違いない。
もしも「私はそう思ってません」という人がいたら、どうかその旨告げていただきたい。
友達になれるかどうか十分検討した上で、しかるべき処置を行いたいと思う。
この初めてのコンペ。
勿論、歌詞など書いたことがないどころか、カラオケに行ったのは全人生で30回以下、知っている楽曲は20曲以下のこの現状、どうやっていくのか。
まずは、文字を数えるところから始まった。
(タタ タンタタタタタ タンタタータタタ ターター)
実際に文字に書き起こす。
(8文字、6文字、2文字…)
それをExcelにまとめる。経理出身の僕はいつでも困ったときはExcelを立ち上げる。
正直、こんなやり方でいいのか?!とは思った。
でも、方法を知らないし、現時点で深夜2時、誰にも聞けないので突き進んだ。
そしてこの後、1リズムに2文字入れる方法もあると気づき、ぶっ倒れて寝た。
数日が経過し、文字数の外枠が何となく見えてきたので、歌詞を書き始める。
やはり、オリラジの二人を『僕たち』にふさわしいだろう。
二人を主人公に据えて、世界を変えるサクセスストーリーにしてみた。
驚くほどサクサク言葉が出てきて1番が完成した。
逆境を乗り越え、勝利を手にした二人。次は世界を変える番だ、みたいな。
すると自然に2番は、そこから転げ落ちる二人になってしまっていった。
勝利を手にしたけど、理解してもらえず一向に変革の進まない世界。
(なに?この後味の悪さ…。これ藤森さん歌ってる最中に辞めるぞ、きっと…。)
製作は締切前日の深夜まで続いた。
結果、大人が敷いたレールに異を唱える少年たちをモチーフに、「成功も失敗も全部自分で選び取るんだ」というメインフレーズとした作品を完成させることができた。
初作詞ということもあり、凄まじい興奮に包まれたが、なぜだかこれは選ばれないだろうとも思っていた。
そして締切当日、続々と渾身の作品が送り込まれてくる。
それを一つ一つ丁寧に読み込んでいった。
記事の流れだと、『舞台裏』を伝えるために各作品の講評を行うべきなのだろうが、紙面の都合上、割愛せざるを得ないのが悲しいところだ。
しかし、『僕たちは世界を変えることしかできない』に限って言えば、こちらのアーカイブを見ていただくと、あっちゃん解説により『舞台裏』を覗く感覚を追体験できる。
2020年3月4日~3月8日 HR夜の会 『僕は選ばれなかった歌詞たちをいじることしかできないVol1~Vol5』
後に『お焚き上げ配信』と呼ばれるようになったこれらの配信は、アーカイブ発掘調査隊のおかげで手軽に見れるようになった。発掘メンバーには、前回に引き続き深く感謝の意を述べたい。
このアーカイブでのあっちゃんの解説の通り、「ここ言葉浮かばなかったんだなぁ~」とか、「ぶっこんだワード入れてきたな~!」とか、「この気持ちわかるわ~」とか、ホント味わい尽くすように他人の作品を見ることができる。
歌詞コンペを例えるなら、自分の展示室を与えられて「自由に自分の作品を展示してくださーい」と言われたようなものだ。字数制限、つまり大きさが決まった部屋の中に全てを盛り込むのだ。
でもいざ自分の作品を展示しようとすると、スペースが余ったり、一つ一つの展示物の関係性がワヤクチャになったり、全部が収まり切れなかったり、思ってもみない行き詰まりを色々体験することになる。
この体験がスパイスとなって、普段興味のない他人の考えに、新たな味わいを感じられるようになるのだと思う。
でも採用されないのは悔しいことだ。
採用作品に対して、ともすれば「PROGRESSベテラン勢が採用されるのだろう」と、うがった見方に囚われる方もいたかもしれない。
僭越ながら僕の印象では「PROGRESSを理解している人が採用されるているな」という感覚の方が強い。当然だが、入会間もない方の採用もあるからだ。
今回の僕の応募作品のモチーフは、『大人が敷いたレールに異を唱える少年たち』だった。
これは「大人にも昔を思い出して共感してもらえるかな」と思って作ったものなのだが、PROGRESSは『大人』の集まりで、RIDIO FISHのファン層も同様であることに気づいていなかった。
つまり『少年』を主人公に据えた時点でズレているわけだ。
これが、製作直後に感じた自分の作品に対する違和感の正体だった。
初参加のコンペはこうして見事落選したわけだが、悲しかったか?落ち込んだか?
否、ワクワクした。
こんなにハッキリ他人と比較してみたことで、「嗚呼、自分はこう考えているのか」と自分の姿がクッキリと見えたからだ。
これは僕にとって『競争』ではなかった。僕にとっての競争は、ひたすら自分の力を出し切り走り抜けることだった。相手の姿は見たくない。
今回は、じっくり他人を見る時間があった。批判もした。脅威にも思った。しかし、数見ていくうちに単に『比較』しているだけになっていった。
(自分とこの人はこう違う…。あの人はこう考え、自分はおそらくこう考えている…。)
競争は怖い。自分の至らなさが浮き彫りになるから。
人に見られるのは恥ずかしい。他人と違うところに気づかれてしまうから。
僕はそう思う。
でも、自分のことを正しく見つめられていたのだろうか?
表舞台に出て、他人と比較して、自分の見方が少し変わった、そう思えた。
だから、PROGRESSのコンペは楽しいと思う。