全てを失った日。
表舞台に立てなくても芸能と関わっていたいという一心で、コロナ禍の就職難の中転職したはずの芸能事務所での仕事を半年で退職、結婚話が出ていた恋人にフラれ、東京での一人暮らししていた住居の更新も過ぎていた。
私は何て弱くて無力な人間なのだろう、こんな私がこのまま生きる意味はあるのか?自分に問いかけても答えは出ないまま。
そんな時、画面の中にいた中田敦彦が言った。
人は何者にでもなれるいつからでも。
この一言で、私はまだこの世界で生きる希望を失いたくないのだと気づいた。
現代社会や哲学の授業を通して、「無知の知」と「自分の価値観」を発見したことで“強くて優しい人になりたい”と心が叫んだ。
これが終わらない学園に足を踏み入れたきっかけである。
転機が訪れたのは、あっちゃんの授業をきっかけにミュージカル部で企画した『レ・ミゼラブル』。
その頃、初めてHRであっちゃんとお話する機会を頂き、沢山のメンバーに応援してもらえたのが嬉しかった。
そのことがきっかけで仲間も増えてきた。
その後、歌とダンスでお祝いするあっちゃん40歳お誕生日企画でメインボーカルの一員として参加させて頂き、ダンスの活動開始に踏み切り、大好きな「ゆず」をきっかけにした番組配信を始める。
ここで“武器は歩いてきた道に落ちている”ということに気付かされたのである。
高校時代、ミュージカル女優を目指して歌とダンス漬けの毎日。
友達への誕プレは好きなアーティストのお誕生日ソングを歌い踊る。
辛い時や高い障壁にぶつかった時は、「ゆず」を聴いて心を慰めていた。
こうして「歌とダンスでpgを代表するパフォーマーになる」という夢の原点に帰ってきたのである。
この世に光と陰が存在するように、私の中にも光と陰がある。
再び陰に飲み込まれそうになっても、今の私にはprogressという場所がある。